セヴァストポリ

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テンプレート:世界の市 セヴァストポリテンプレート:Lang-uk セヴァストーポリテンプレート:Lang-ru セヴァストーポリ、ラテン文字転写の例: Sevastopol')は、黒海に面したクリミア半島南西部に位置する都市である。首都のキエフとともに、ウクライナの特別市であったが、2014年3月17日クリミア自治共和国とともに主権宣言した上で、翌3月18日ロシア連邦と条約を締結し、ロシア連邦の構成主体となったとしており[1]、一方でクリミアの独立とロシアへの編入を認めないウクライナとの間で論争が続いている状態である。人口360,000人。

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歴史

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セヴァストポリの位置

古代この地にはボスポロス王国の都市ケルソネソス(ケルソン)があり、6世紀に東ローマ帝国の統治下になった後も東ローマ帝国のクリミア半島における統治の拠点、ハザールキエフ大公国などとの交易拠点としてテマ(軍管区)が置かれ、12世紀のコムネノス王朝時代まで東ローマの領土であった。

12世紀後半に東ローマが衰退すると、その後はモンゴル人キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、その後裔のクリミア・ハン国などの支配下にあったが、1783年ロシア帝国クリミア半島を併合した際、一緒に組み込まれた。その後、重要な海軍基地、商業港として発展してきた。

1853年からのクリミア戦争では、同地を拠点とする黒海艦隊シノープの海戦オスマン帝国の艦隊を撃破するなどの戦果を挙げたが、1854年にオスマン帝国と同盟を結んで参戦してきたイギリスフランスオーストリアの妨害工作により攻略目標をオデッサからセヴァストーポリに変更。ロシア軍は英仏艦隊の侵入を阻止するために黒海艦隊を湾内に自沈させ、市街地全体に防塁を敷き詰めて要塞化したが、長期にわたる包囲戦の末にナヒーモフ提督やコルニーロフ大佐も戦死し(セヴァストポリの戦い (クリミア戦争))、1855年9月に放棄を決定。後にパリで開かれた講和会議でカルス要塞と引き換えに返還された。

第二次世界大戦時、要塞化された同地に対してドイツ軍は80cm列車砲「ドーラ」、カール自走臼砲などを用いて攻略、占領したが、その後赤軍の反撃によりセヴァストポリはソ連へ取り戻された。(セヴァストポリの戦い (第二次世界大戦)

ソビエト連邦の時代には、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のクリミア州の一部としてではなく、キエフ(1954年以前はモスクワ)の直轄下に置かれ、外国人の立ち入りを固く規制する閉鎖都市だった。

ソ連時代に、クリミア戦争第二次世界大戦での攻防戦の奮闘を讃え英雄都市の称号を与えられた。

現在のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2042年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。

ロシアとウクライナの政治対立から、セヴァストポリのロシア領土編入を求める運動がしばしば同地に住むロシア人住民によって起きており、両国の対立の火種となってきた。2010年以降のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権では対立は沈静化していた。しかし2014年2月にヤヌコーヴィチ政権は崩壊し、親欧米派の暫定政権が樹立されたことにクリミア自治共和国は反発。2014年3月11日、同月16日の住民投票においてクリミアのロシアへの編入が賛成多数を得た場合、ウクライナよりいったん独立する決議をクリミア自治共和国とともに採択した(クリミア・セヴァストポリ独立宣言[2]。16日の投票では賛成票が全体の9割を超え(2014年クリミア住民投票)、クリミア自治共和国とともに主権宣言した上で(クリミア共和国)、3月18日にロシア連邦に編入される条約をロシア連邦と締結した(ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入)。 この編入により、ロシア連邦の連邦市という位置付けになったが、ウクライナを始めとする大多数の国は認めていないため、国際的にはウクライナの特別市のままである。

行政区分

  1. テンプレート:仮リンク・・・ケルソネソス
  2. テンプレート:仮リンク
  3. テンプレート:仮リンク
  4. テンプレート:仮リンク - バラクラヴァ・・・旧ソ連バラクラヴァ原子力潜水艦地下秘密基地(Balaklava Underground submarine base)の所在地
  5. テンプレート:仮リンク

産業

帝政ロシア時代以来セヴァストポリは軍港都市・商港都市として発展してきた。またリゾート地・観光地としても有名である。

人口

2001年ウクライナ国勢調査によるデータ。

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姉妹都市

関連項目

脚注

  1. テンプレート:Cite news
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web

参考文献

外部リンク

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