スティーヴン・ホーキング

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テンプレート:Infobox scientist スティーヴン・ウィリアム・ホーキング (Stephen William Hawking 1942年1月8日 - )はイギリス理論物理学者である。

人物

一般相対性理論と関わる分野で理論的研究を前進させ、1963年にブラックホールの特異点定理を発表し世界的に名を知られた。1971年には「宇宙創成直後に小さなブラックホールが多数発生する」とする理論を提唱、1974年には「ブラックホールは素粒子を放出することによってその勢力を弱め、やがて爆発により消滅する」とする理論(ホーキング放射)を発表、量子宇宙論という分野を形作ることになった。現代宇宙論に多大な影響を与えている人物。

また、一般人向けに現代の理論的宇宙論をできるだけ平易に解説しようと試みた著作群も著して各国語に翻訳されており、これでも人々によく知られている。(日本語版は『ホーキング、宇宙を語る』など)

車椅子の物理学者」としても知られる。60年代、学生のころに筋萎縮性側索硬化症を発症したとされている。通常、発症から5年程度で死に至る病気の患者でありながら途中で進行が急に弱まり、発症から50年以上たっても健在でいる。現在は意思伝達のために重度障害者用意思伝達装置を使っており、スピーチや会話ではコンピュータプログラムによる合成音声を利用している。

大英帝国勲章(CBE)受勲。

サイエンスフィクションを好み、実際にアメリカのSFテレビドラマ『新スタートレック』に本人のホログラムイメージ役で出演の経験がある。また、アニメ『フューチュラマ (アニメ)』の劇場版にも出演している。

業績

一般相対性理論が破綻する特異点の存在を証明した特異点定理ロジャー・ペンローズと共に発表した。

一般相対性理論と量子力学を結びつけた量子重力論を提示している。この帰結として、量子効果によってブラックホールから粒子が逃げ出すというホーキング放射の存在が予測されている。

タイムトラベルが不可能であるとする「時間順序保護仮説」を提唱し、過去に行くことを許容する閉じた時間線が存在するためには場のエネルギーが無限大でなくてはならないとしている。

経歴

出生

フランク(Frank)を父として、イゾベル(Isobel)を母としてオックスフォードに生まれた。両親は経済的には恵まれていなかったものの、父親はオックスフォード大学医学を学び、母親も同大学でPPE(哲学・政治・経済の学際領域)を学んだ[1]。第二次世界大戦の直後、ある医学研究所でフランクが医学研究者としてそして同じ場所でイゾベルが秘書として働いていたことで二人は出会った。両親はテンプレート:仮リンクで暮らしていたが、第二次世界大戦でロンドンは爆撃を受けていたため(ザ・ブリッツ)、おなかの子を安全に産むために母はオックスフォードに行って出産した。こうしてスティーブンが誕生した。スティーブンにはPhilippaフィリッパとMaryメアリーという二人のができ、またEdwardエドワードという、養子縁組による兄弟もできた。

初等~中等教育

スティーブンはByron House Schoolで初等教育を開始した。1950年に父のフランクがNational Institute for Medical Research寄生虫学部門の長となると、一家はセント・オールバンズに引っ越した[2]

スティーブンはRadlett Schoolに1年通い、1952年からは St Albans Schoolに通った。一家は教育を重視していた。父のフランクはスティーブンを評価の高いWestminster Schoolに入れたがっていたが、当時13歳だったスティーブンは奨学金のための試験の日に病気になり休み(それはふいになり)、家計の状況は奨学金無しで通わすのは困難だったので、スティーブンはそのままAlbans Schoolに通いつづけた。ただ、これで良かったこともあり、スティーブンは仲の良い友人たちとボードゲームをしたり、花火を作ったり、模型飛行機ボートで遊ぶことができたし、またキリスト教や、ESPについて話し合うことができた。1958年からは、数学教師 Dikran Tahtaの助けも借りて、この仲間たちは、時計部品、電話交換機、中古部品などを使って計算機を作った。学校では「アインシュタイン」として知られていたものの、もともとは学問的にはさほど優れていなかった。が、やがて、科学に適性があるところを見せ始め、数学教師のTahtaに鼓舞されて、スティーブンは大学で数学を学ぼうと決意した。スティーブンの父は、数学専攻で卒業した人には職が少ない、ということから、医学を学ぶことを勧めた。父は自分のアルマ・マータ(出身校)であるオックスフォード大学で息子が学ぶことを望んでいた。当時、オックスフォード大では数学を選択できなかったので、スティーブンは物理化学を学ぶことにした。1959年の試験を受け奨学金を獲得することに成功した。

大学

1959年10月に17歳でオックスフォード大に入学した。最初の1年半、彼はうんざりさせられていて、孤独だった。というのは、他のほとんどの学生に比べて彼は若く、大学の教育内容が「ばからしいほど簡単」と思えたからだった。変化が訪れたのは第二学年と第三学年で、学生の一員になろうと努力するようになり、クラシック音楽サイエンス・フィクションに興味を抱いている者たちのグループと交流するようになってからである。また、大学のボート部に参加しようと決意したことも状況を変える効果をもたらした。ボート部でcoxswainという、漕ぎ手たちのリズムを整える役をするようになったのである。

略歴

  • 1942年 - 戦時疎開先のオックスフォードで生まれる。
  • 1950年 - ロンドン北部のハイゲートから、セント・オールバンズ市に引越す。
  • 1957年 - オックスフォード大学、ユニバーシティカレッジ入学。ボート部に所属。
  • 1962年 - オックスフォード大学卒業ケンブリッジ大学大学院、応用数学・理論物理学科に入学。
  • 1963年 - 検査で「筋萎縮性側索硬化症」と診断される。
  • 1965年 - ジェーン・ワイルドと結婚する。ペンローズと共同で、「特異点定理」発表。
  • 1966年 - ケンブリッジ大学トリニティー校で学位取得。
  • 1967年 - 論文「特異点と時空の幾何学」でアダムズ賞受賞。長男のロバート誕生。
  • 1970年 - 長女のルーシー誕生。
  • 1974年 - 「ブラックホールの蒸発理論」発表。ロンドン王立協会会員に選出される。
  • 1975年 - 業績を讃えられ、ローマ教皇庁から「ピウス11世メダル」を授与される[3]
  • 1977年 - ケンブリッジ大学の教授職を得る。
  • 1979年 - ケンブリッジ大学、ルーカス教授職に就任。次男・ティモシー誕生。
  • 1983年 - ジェームズ・ハートルと共同で「無境界仮説」[4]発表。
  • 1988年 - 『ホーキング、宇宙を語る』を出版。発行部数が全世界1000万部、日本110万部を超えるベストセラーになる。
  • 1991年 - 「時間順序保護仮説」を提唱。ジェーン・ワイルドと離婚する。
  • 1995年 - 看護師のエレイン・メイソンと再婚する。
  • 2001年 - 東京大学安田講堂にて一般講演を行う。
  • 2006年 - 香港にて一般講演を行う。
  • 2007年 - アメリカ合衆国でのゼロ・グラビティー社の専用機「G-フォースワン」に搭乗し、車いすから離れ無重力体験を行う。
  • 2009年 - ケンブリッジ大学の教員退職規定により9月の学年末に大学を退任。退任後もケンブリッジ大学に留まり、応用数学と理論物理学部の研究責任者を務め、研究活動を続けるという。
  • 2011年 - エレイン・メイソンと離婚する。

主張

  • 時間順序保護仮説によって過去に戻るタイムマシンは不可能という立場をとっている。これは「我々の時代に未来からの観光客が押し寄せたことはない」ことからも裏付けられるとしている。タイムマシンが将来的にできるかどうかに関しては「私は誰とも賭けをしないだろう」とした。
  • 2010年4月25日にアメリカのディスカバリーチャンネルのテレビ番組にて、クリストファー・コロンブスアメリカ大陸に到着した時、資源を使い切った彼によってアメリカ先住民が征服されたことを引き合いに出し、人類と宇宙人との接触は人類にとってよい結果をもたらさない、として宇宙人とのコンタクトを試みるべきではないと主張した[5]
  • 2010年9月7日に刊行された新刊書(原著名"The Grand Design"邦訳書名『ホーキング、宇宙と人間を語る』)で、量子力学重力の理論を組み合わせた最新の研究成果から、偶然の一致に見える現象は「創造主なしで説明は可能」、「宇宙誕生には不要」と主張し、宗教界から批判を浴びた[6]
  • 2011年5月には、人間のについて「部品が壊れた際に機能を止めるコンピューターと見なしている」とし、「壊れたコンピューターにとって天国も死後の世界もない。それらは闇を恐れる人の架空のおとぎ話だ」と否定的な見解を述べ[6]、改めて宗教界との認識の溝を示した[7]

著作物

日本語訳書

原著

主な受賞歴

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. Ferguson, Kitty (2011). Stephen Hawking: His Life and Work. Transworld. ISBN 978-1-4481-1047-6
  2. Larsen, Kristine (2005). Stephen Hawking: a biography. p.3
  3. [1]
  4. ハートル=ホーキングの境界条件Hartle-Hawking state)とも
  5. テンプレート:Cite news
  6. 6.0 6.1 テンプレート:Cite news
  7. テンプレート:Cite news
  8. ピウス11世の姿が彫られたゴールドメダル。ヴァチカンにはPontifical Academy of Sciencesという 1936年にピウス11世によって設立された科学アカデミーがある。同アカデミーが受賞者の選定をして授与している。1961~2012年で26名が同メダルを受賞。受賞者が複数名いる年も受賞者がいない年もある。[2]。ホーキングの受賞通知書はこちら[3]。同アカデミーのウェブサイトにはホーキングの業績を紹介するページもある。[4]