ジョゼフ・ヴァラキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:External media ジョセフ・"ジョー・カーゴ"・ヴァラキJoseph "Joe Cargo" Valachi, 1904年9月22日 - 1971年4月3日)はマフィアジェノヴェーゼ一家の構成員。マフィア組織内の地位は低いが、オメルタを破った人物として有名。

来歴

ニューヨークマンハッタンのイースト・ハーレム(East Harlem)にてナポリから来た移民の子として生まれる。若い頃は泥棒稼業をしていたが、その後サルヴァトーレ・マランツァーノの配下として27歳の時にコーサ・ノストラに正式加入した。マランツァーノの死後はラッキー・ルチアーノの一家に入り、一家の大幹部のヴィト・ジェノヴェーゼのもと、カポレジーム(Caporegime)のアンソニー・"トニー・ベンダー"・ストロッロ(Anthony Strollo, aka "Tony Bender")の配下の組員となり、麻薬ビジネスに関わる。ジェノヴェーゼにはヴァラキ自身の結婚式で仲人役を務めてもらう。ジェノヴェーゼのような大物に務めてもらうことは光栄で、彼の部下として堅い忠誠を誓っていた。

その後、一家のボスはルチアーノからフランク・コステロ、ジェノヴェーゼと移り変わったが、ヴァラキは1959年に麻薬取引の罪で起訴され、ジェノヴェーゼらと共にアトランタ刑務所に収監された。その後、ジェノヴェーゼの獄中の指示により、ヴァラキのかつての上司だったストロッロは1962年4月8日に殺害された。

しかし、裏切りの濡れ衣によりジェノヴェーゼによるコントラクト(殺人指令)によってヴァラキは追われる身となってしまう。1962年6月22日にはジェノヴェーゼが送った刺客と間違えてジョン・ジョゼフ・サウップという組織とは関係ない男を殺してしまう。追いつめられたヴァラキは、1963年10月FBIとの司法取引により、コーサ・ノストラ内部の情報をリークするかわりに、FBIの証人保護プログラムによる保護を求めたのである。このマクレラン委員会での証言が後に有名になった『ヴァラキの証言』である。

マフィアの正式構成員(マフィオーソ)の証言は初めてであり、それまで沈黙の掟(オメルタ:Omertà)により不明な点が多かったコーサ・ノストラの名前そのものおよび歴史、全容が明らかになった(ただし、ヴァラキに都合よく語られているとも、マフィア内でのディスインフォメーションに乗せられていたとも言われる)。しかし、ヴァラキがマフィアについて知っていたことは、ニューヨーク地区と組織の末端という限られたことだった。

マフィア上層部はヴァラキを暗殺するために刑務所の刑務官を買収して飲み物に毒を入れたり、殺し屋を刑務所に送り込んだりもしたという。その後、ヴァラキは厳重に管理された独房で過ごし、1971年テキサス州の拘置所で心臓発作によりこの世を去った。

マクレラン委員会で証言をしたことで、司法取引で外に出られるという約束をしたが、当時の司法長官のロバート・ケネディが暗殺され、ニコラス・カッツェンバックが司法長官となったときに、約束は無視されて、失意のヴァラキは首をつり自殺したという説もある。後に、ジェノヴェーゼはヴァラキは1956年に逮捕されたときから政府に協力していたと主張している。

彼の証言は1972年に『バラキ』(原題:The Valachi Papers)のタイトルで映画化され,FBI取調室でのチャールズ・ブロンソン演ずるヴァラキの証言を通して,オメルタの掟から始まるコーサ・ノストラ入会から出世、逃亡、そして当局に保護されるまでを描くことで、ラッキー・ルチアーノ等、実名で登場する本物のコーサ・ノストラの史実が解り易く忠実に再現された。

関連項目

外部リンク