シャルル・アズナヴール

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テンプレート:Infobox Musician シャルル・アズナヴールCharles Aznavour1924年5月22日 - )は、フランスパリ出身のシンガーソングライター俳優である。アルメニア系で、本名はシャアヌール・ヴァリナグ・アズナヴーリアン(Chahnour Varinag Aznavourian)。

経歴

彼の父はグルジアで生まれ、その父(シャルルの祖父)はロシアニコライ2世料理人をしていたという(最近本人がニコライ2世ではないと否定した)。母はアルメニアトルコ人商人の家系である。彼らはアメリカ行きのビザを申請するためパリに滞在している時に知り合い、1922年に結婚した。

シャルルの両親は、早くから彼とその兄弟を彼らがパリに持つレストランや多くの舞台に立たせた。9歳より芸能活動を開始し、アズナブールの芸名を名乗る。

1946年に、フランスの有名な女性歌手エディット・ピアフに認められたことにより、彼の経歴はより著名なものとなっていった。彼女のフランスおよびアメリカでのツアーに同伴した。

彼のシャンソンはそのほとんどが愛を謳い上げている。また60本以上の映画にも出演している。5つの言語で歌い、彼は最も世界に知られたフランスのシャンソン歌手の1人である。

1995年以来、アルメニアの駐ユネスコ大使を務めている。また、2009年2月15日、ロシアのインタファクス通信等の報道によると、彼の母方の祖国であるアルメニア共和国政府は、シャルル・アズナブールを同国の駐スイス大使に任命することを決定した。

代表曲

  • 愛のために死す(炎の恋) Mourir d'aimer
  • アヴェ・マリア Ave Maria
  • イザベル Isabelle
  • 生命にかけて Sur ma vie
  • 想い出の瞳 Et pourtant
  • 想い出をみつめて Mes emmerdes
  • 帰り来ぬ青春 Hier encore - ロバート・アルドリッチ監督、バート・レイノルズカトリーヌ・ドヌーヴ主演のアメリカ映画『ハッスル』(Hustle, 1975年)の挿入歌として使用された。
  • 哀しみのヴェニス Que c'est triste Venise
  • 希望に満ちて Je m'voyais déjà
  • 声のない恋 Mon emouvant amour
  • コメディアン Les comédiens
  • じっとこうして Reste
  • ジュザベル Jezebel
  • 青春という宝 Sa jeunesse
  • 世界の果て Emmenez-moi
  • 遠い想い出 Non, je n'ai rien oublié
  • 人々の言うように Comme ils disent
  • フォー・ミー・フォーミダーブル For me formidable
  • 二つのギター Les deux guitares
  • 昔かたぎの恋 Les plaisirs démodés
  • ラ・ボエーム La bohême
  • ラ・マンマ La mamma
  • 私は旅する Je voyage
  • 私は一人片隅で Et moi dans mon coin
  • 酔いしれて
  • 忘れじのおもかげ(シー) She - イギリスの連続TVドラマ「女の七つの顔」のために作られ、その後さらにエルヴィス・コステロがカバーし映画ノッティングヒルの恋人』の主題歌としてリバイバル・ヒット、また仏語詞が後で付けられている(Tous Les Visages De L'amour)。

1964年に彼が作詞・作曲した「アイドルを探せ」(La plus belle pour aller danser)もシルヴィ・ヴァルタンが唄って大ヒットした。

主な出演作品

バックアップ歌手

シャルル・アズナヴールは親友ミッシェル・ジュールダンと共に3人の歌手をバックアップしている。フランス人のマリー・ラザロは「忘れ得ぬ面影」はじめ楽曲を提供。日本の浜﨑久美子にはCDへのメッセージ、TVでの対談。岡山加代子には最新曲「ジュ ボヤージュ」の歌唱に対しメッセージを贈っている。他に瀬間千恵ヒロシマ」、堀内環美しき絆」が法定訳詞歌唱者となっている。

日本公演

その他

外部リンク