シジマール・アントニオ・マルチンス

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テンプレート:サッカー選手 シジマール・アントニオ・マルチンス(Sidmar Antônio Martins, 1962年6月13日 - )は、ブラジル出身のサッカー選手・サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー

1993年に来日しJリーグを代表するGKとして活躍した。現役引退後はサッカー指導者として活躍している。

人物

1993年に清水エスパルスのゴールキーパーコーチとして来日したが現役に復帰しレギュラーとして活躍した。1993年シーズンにはリーグ屈指の清水DF陣を率いてJリーグの連続無失点記録となる731分無失点の記録を樹立している。この記録は2006年横浜FCのGK菅野孝憲に破られるまで13年間Jリーグ記録であり続けた。また、菅野の記録はJ2でのものであり、現在でもJ1では彼の記録は破られていない。

1995年4月26日大宮サッカー場における清水対浦和レッドダイヤモンズ戦において、シジマールの言動を過度な挑発であると浦和サポーターが激怒しスタジアムが混乱した為、[1]事態収拾の為に衆目で土下座する事件が起きた。

日本ではリーグ戦61試合、カップ戦7試合、天皇杯4試合に出場した。身長は183cmとGKとしてはそれほど高くないが、両腕を広げた際の長さは193cmである。

現役引退後は2003年から2006年3月まで静岡県菊川市国際開洋第一高等学校サッカー部コーチを務めた。その後はプーマサッカークリニックの講師を経て、静岡県西部1部リーグに所属するVOLARE FC(現・ボラーレFC浜松)の監督に就任するとともに大阪学院大学サッカー部の特別コーチも務めた。またやべっちFCに番組専属ゴールキーパーとして度々出演し、宮本恒靖とのフットサル対決や中村俊輔とのフリーキック対決などで活躍を見せている。2009年からは柏レイソルのGKコーチに就任し高橋真一郎新監督の下で菅野孝憲南雄太らを指導している。

2006年に結婚した妻のホザンジェラ・岩瀬・マルチンスは1990年に来日した日系ブラジル人で、浜松を中心に大学、市民講座などでポルトガル語の教師を務めている。シジマール自身も流暢な日本語を話す[2]

2009年、柏レイソルのゴールキーパーコーチ就任。2011年、チームスタッフとして同クラブ、リーグ優勝の場に立ち会う。

2013年、ヴィッセル神戸のゴールキーパーコーチに就任。

過去の出演番組

所属クラブ

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個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1993||rowspan="3"|清水||rowspan="3"|-||rowspan="3"|J||17||0||6||0||4||0||27||0 |- |1994||30||0||1||0||0||0||31||0 |- |1995||14||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||14||0 |- テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始61||0||7||0||4||0||72||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終61||0||7||0||4||0||72||0 |}

指導歴

  • 1997年 - 現在 プーマ・サッカー・アカデミー:GKコーチ
  • 1998年 - 1999年 キンゼ・デ・ピラシカーバ:GKコーチ
  • 1999年 - 2000年 キンゼ・デ・ピラシカーバ:監督
  • 2000年 - 2002年 ニッチカ・サッカースクール:代表
  • 2003年4月 - 2006年3月 国際開洋第一高校:監督
  • 2006年9月 - 2007年12月 VOLARE FC:監督
  • 2007年10月 - 2009年2月 大阪学院大学:GKコーチ
  • 2008年1月 - 現在 ボラーレFC浜松:テクニカルアドバイザー
  • 2009年 - 2012年 柏レイソル:GKコーチ
  • 2013年 - 現在 ヴィッセル神戸:GKコーチ

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web
  2. シジマール監督支える妻ホザンジェラさん