ザ・ギャザリング

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Musician ザ・ギャザリング(The Gathering)は、オランダ出身のロックバンド。結成当初は、ヘヴィメタルバンドであったが、現在はヘヴィメタルから脱却している。

概要

当初は従来の男性デスボーカルだったが、3rdアルバムから女性ボーカルの Anneke van Giersbergen に替わった。その3rdアルバム『マンディリオン』は耽美さの中に民族的・精神的・廃退的な色合いが強くなっている。

5thアルバム『ハウ・トゥ・メジャー・ア・プラネット?』辺りから他の同期のゴシックメタル・バンドがそうしたようにシンセ・ロックプログレッシヴ・ロックへと傾倒し、若干ゴシックメタルの音楽性から離れつつある。最近ではトリップ・ホップオルタナティヴ・ロックの要素を取り込み、独自の世界を築いている。

2007年6月、バンドの看板シンガーであったAnneke van Giersbergenが脱退を表明し、彼女自身のバンドAgua de Anniqueの活動に専念することとなる。

歴史

初期(結成~アンネッケとの出会い)

1989年、オランダの小さな町オスにて結成。Hans Rutten (Drums)、Rene Rutten (Guitars) 兄弟と、Bart Smits (Vocals) により、ザ・ギャザリングの歴史がスタートした(Hansが3つ年上の兄でReneが弟)。翌1990年に Hugo Prinsen Geerligs (Bass)、Jelmer Wiersma (Guitar)、Frank Boeijen (Keyboards) が加わり、最初のラインナップが完成。自主制作盤『An Imaginary Symphony』を制作する。

1991年、2本目のデモ『Moonlight Archer』を完成。ヘヴィなギター・リフにグランド・ピアノが絡み、デス・ヴォイスが乗るゴシック・メタルが評価され、インディーズ・レーベルFoundation 2000よりお呼びが掛かる。初期のデモ2作は、長いこと入手不能だったが、2001年になって『Downfall - The Early Years』としてハンマーハート・レコードより復刻された。初回盤は2枚組で、ボーナス・ディスクには貴重な第1期のライヴも収録されていた。

1992年、1st.アルバム『Always...』でデビュー。売上は1万枚を超え、インディーズとしては十分な成功を収める。アルバムはアメリカでも発売され、ジャケットは計3種類もあった。(1)青空の下、岩場に立つアラブの女性を写したものがオリジナルで、他に、(2)赤を基調とした女神の絵画のもの、(3)球形に穴の空いた謎の物体を写したもの、がある。

1993年、新作作りに入るが、コアな方向性に拘るBartと、より多くの聴衆を求めてポップ化を主張するメンバーとが対立。Bartが脱退する。新たなメンバーとして、Niels DuffhuesとMartine van Loonの男女2人を加入させ、2ndアルバム『Almost A Dance』を発表する。しかし、このラインナップはこの年のみで終わる。

1994年、バンドに転機が訪れる。新たなシンガーとして、バンドはまた男女2人のヴォーカルを探していた。そしてあるパブで歌っていたアマチュア・ポップ・デュオの片割れに声をかけた。これが Anneke van Giersbergen との出会いであった。ところが、独特の雰囲気に加え、十分な声量を持っていたAnnekeの歌声を聴いて、「これなら男性ヴォーカルは要らないのではないか?」と思い始め、予定していなかった「紅一点」の編成が完成する。

ゴシック・メタル期

1995年、Annekeをリードに録音されたデモは素晴らしいものであった。テンプレート:要出典範囲このデモで大手センチュリー・メディア・レコードと契約が成立。代表作となる3rdアルバム『Mandylion』(マンディリオン)が完成した。

センチュリー・メディア・レコード主宰のコンピレーション『IDENTITY II』にも収録曲「In Motion #1」が収録され、サンプル盤代わりに各国のプレスに配布された。しかしこの時、曲名が「Leaves」と誤表記されてしまった。日本ではBAY FMのPower Rock TodayでOAされた。DJ伊藤政則が 1st.アルバム『Always...』を高評価していたこともあってか、「オランダのバンドなんだけど、(サウンド)変わっちゃったなぁ」とコメントされ、雑誌での評価も80点だった。しかし、後に発売された日本盤(2曲増曲)と殆ど変わらない枚数を売り上げた。また、『Mandylion』のオープニング曲であり、バンドの代表曲となった「Strange Machines」がシングルカットされた。

1996年、ダイナモ・オープン・エア・フェスティヴァルに出演。1年間ツアーに明け暮れた。ここでは新曲「Adrenaline」および「Third Chance」を披露。同時にフェスティヴァル出演記念の2ndシングル『Adrenaline/Leaves』としてリリースされた。実は、「Third Chance」は、Anneke とバンドが最初に録音した曲である。しかし、「this whole world / could explode around us / will they ever know / we had a third chance」というくだりが、「第三次世界大戦を想起させて危険なのでは?」との配慮から、『Mandylion』への収録が見送られた経緯がある。ちなみに、両曲が追加収録された日本盤の歌詞カードでも、別ヴァージョンとして再収録された 4thアルバム『Nighttime Birds』でも、そのMiddle 8 (Bridge)の部分は、歌詞に載っていない。

ちなみにこの録音作業中に、隣のスタジオで録音していたドイツのヘヴィ・ロック・バンドFARMER BOYS(1996)よりデュエットのお誘いがあり、Depeche Modeのカヴァー「Never Let Me Down Again」に参加した(アルバム『Countrified』に収録)。オリジナルより動きを付けたメロディーが好評で、何とシングルにもなったらしい。

ブレイクを果たしたザ・ギャザリングは、ツアー中も休むことなく次のアルバムの曲作りを行い、また一部の曲はツアー中に録音されたという。

1997年、4th.アルバムに先行して発売された3rdシングル『The May Song』は、ヘヴィなリフが消え、3分のポップ・バラードになっていた。更に、B面曲もヘヴィ・リフは少ないゆったりした曲。しかし、発売されてみると4thアルバム『Nighttime Birds』はイントロからヘヴィなリフが使われているものであった。

ツアー中には、4thシングル『Kevin's Telescope』リリースされ、中ヒットになっている。この曲は、珍しく割とメジャー・コード(長調)を多用したナンバーで、ゴシック独特の「暗さ」がない。B面には、初の試みとして、カヴァー曲2曲が収められていた。カルト的な人気を誇るゴシック・ユニット DEAD CAN DANCE の「In Power We Entrust The Love Advocated」と、Slowdive(後のMojave3)の「When The Sun Hits」である。

イェルマーの脱退~脱メタル

1998年、バンドは公式サイトにて、Jelmer Wiersmaの脱退を発表する。家族と離れてのツアーに疲れた事と、エンジニアとして裏方に回りたいという本人の希望による、との事だが、その後の詳細は不明で、引退であった可能性もある。

続いて、バンドは再び公式サイトで次のアルバムが2枚組の大作になることを発表する。当初は先行して発売する限定盤のみ2枚組で、限定盤が売り切れた後は1枚モノにするとコメントしていた。しかし、実際には現在でも2枚組で販売が継続されており、後に方針が変わったようである。

5thアルバム『How to measure a planet?』のサウンドはかなり変化している。ギター1本のハード・ロック編成になったのはメンバーの変遷上仕方ないとしても、明らかに欧州で流行しているトリップ/アンビエントの影響が垣間見られる音である。また2枚のディスクのラスト曲は、それぞれ、9分超、28分超と、意図的に長尺にした形跡が見られる。

5thシングル『Liberty Bell』はラジオ向けのEditヴァージョンのみの収録で、Fullは収録されなかった。珍しく全編メジャー・コード(長調)の曲であった。また同曲のプロモーション・ビデオは宇宙服を着てはしゃぐAnnneke 1人だけで、バックのメンバーは全く出て来なかった。

ツアーは前期と後期に分けて行われ、後期はアメリカ大陸にも渡るなど、バンド史上最大規模のツアーとなった。ツアー終了後、バンドはセンチュリー・メディア・レコードとの契約以来初めて、長い休暇に入った。公式サイトには「やっと休みが取れる!」というメンバーの喜びの声が掲載された。

1999年、バンドは休暇に入り大きな動きはなかった。その代わり、初のライヴ・アルバム『Superheat - a live album』をリリースしている。Jelmer 脱退後の、How to measure a planet?ツアーでの2会場のものが収録された。全10曲と少ないのは、MPEGビデオが1曲収められているためである。曲は『Eleanor』なのだが、ファイル名のeにアクサンテギュを付けてしまったため、当時のパソコンでは見ることができなかった。翌2000年に、多言語に対応したNT系OS Windows 2000 Professional が発売され、初めて普通に見ることが出来るようになった。

2000年、「次のアルバムは、よりオーガニックになる」というアナウンスに続いて、6thアルバム『if then else』を発表。前作は「ヘヴィなゴシック・メタル」+「ノイズ」+「トリップ/アンビエント」と言った作風だったが、6th.は、「ヘヴィ/メタル」というキーワードが初めて外れている。即ち、トリップ寄りのゴシック・ロックである。電子音ドラム・ループも使われ、メンバー全員が当時心酔していた「RADIOHEAD」の影響が見られる曲もある(「Analog Park」という気怠いナンバーが特に顕著)。オープニング曲にして6thシングル『Rollercoaster』はまだまだゴシックであったが、続く7thシングル『Amity EP』は多数のRemixも収録した、トリップ・バラードで、脱メタルは決定的となった。

自身のレーベルで活動開始

2001年、クラブ・シーンにも似合う作風となったこともあってか、小さなクラブも積極的に組み込んだツアーを展開。更に、人気が出始めた南米にも足を運び、特にメキシコで熱狂的な出迎えを受ける。ツアー後、メンバーは長い休暇に入り、一旦、ファンの前から姿を消す。この時、ビジネス面で大きな動きがあった。所属レーベルのセンチュリー・メディア・レコードとの亀裂が深まり、契約解消が決まったのである。ビジネス的に身軽になったことを利用してか、長らく入手不能だった初期のデモ2作を、初回限定ライヴ映像ディスク付きで、『Downfall - The Early Years』としてリリースしている。また、同時期、自身のレーベルPsychonaut Recordsを立ち上げ、Foundation 2000からリリースされていた1st.アルバム『Always...』、2ndアルバム『Almost A Dance』を、リマスタリングして再発売している。

2002年、EP『Black Light District』を発表。大手レーベルには属さず、新作も自身のレーベルで販売して行くことがアナウンスされた。収録曲は3曲であるが、うち1曲は16分にも達する大作であった。『Amity EP』のカップリングに収録されたTALK TALKのカヴァー「Life Is What You Make It」のサウンドと同系統の、気怠いアンビエント・サウンドとグランド・ピアノのサウンドとなっている。また、ライヴDVD『In Motion』が旧所属先のセンチュリー・メディア・レコードより発売になった。

2003年、7thアルバム『Souvenirs』を発表(「Memories」の意)。SONIC YOUTHを手掛けた若手プロデューサーと、先鋭的なサウンドを築いている。もはやゴシックと呼べるのは、9thシングル『Monsters』くらいとなった。英語圏のプロデューサーが一部詞を手掛けているため、「英語としておかしな表現」がなくなっている。プロデューサーとのデュエット・ソングも収録している。

また、一般販売網を経由しない、初めての作品もリリースされている。10thシングル『You Learn About It』がそれで、大手CDショップにもネットCDショップにもカタログが見当たらない。どうやら、公式通販サイトのみからの出荷のようである。Edit/Fullの2曲を収録する。

2004年、一時的にセンチュリー・メディア・レコードとの関係が復活。アンプラグド(アコースティック)・ライヴ・アルバム『Sleepy Buildings - A Semi Acoustic Evening』を録音・リリースする。尚、この作品を以て結成以来ベースを弾いてきたHugo Prinsen Geerligsが脱退することが発表された。

2005年、シングルB面+デモ音源を収めた2CD『Accessories - Rarities and B-Sides』がリリースされた。後に『Nighttime Birds』のリマスター・再リリースの際、シングルB面を改めて大量収録している。また、2作目のライヴDVD『A Sound Relief』も、同年リリースされている。

アンネッケ最後の参加アルバム

2006年、8th.アルバム『Home』を発表。RADIOHEAD や SONIC YOUTH といった、アンビエント或いはノイズ・ロック的な無機質さが全編を覆っている。1990年代の作品とはメロディーの質が根本的に違っており、高揚感のあるロックは一切ない。逆に、非常にベーシックな音でもあり、5th.~7th.にかけて展開してきたゴシック・トリップ・ロックともまた違っている。欧州で一部ツアーに制限がかかったと言われるが詳細は不明。代わりに南米などもくまなく周り、オランダに戻っている。

2007年は、アメリカ・カナダを中心にツアーを行った。同時に、Annekeのソロ・プロジェクトもスタートしている。そして5月、Annekeが自分の時間を、より家族そして自身のプロジェクトのために使うべく、バンドを離脱することが発表された。さよならAnnekeツアーも行われ、8月、13年間バンドを率いたAnneke van Giersbergenは脱退した。

バンドは男性・女性を問わず、新たなヴォーカリストを獲得すべく、オーディションを行うことを発表した。「『アンネッケ・クローン』は求めない」と、必ずしもAnnekeと似たタイプを選ぶとは限らない、としていた。結果Silje Wergelandが2009年に加入する。

2012年に9thアルバム『Disclosure』、2013年に10thアルバム『Afterwords』をリリースした。

メンバー

現メンバー

  • René Rutten [ルネ・ルッテン] (Guitars) - 1989年の結成以来、バンドのリーダーにして、メイン・ソングライター。ドラムのハンスは3歳年上の兄。
  • Hans Rutten [ハンス・ルッテン] (Drums) - 1989年の結成時より、弟のルネと共にバンドに在籍。派手なプレイはしないが、堅実で職人肌のドラム・マン。リズム・キープは正確で、ライヴでもアルバム通りの速度を実現。
  • Frank Boeijen [フランク・ブーイエン] (Keyboards) - 1990年より参加。バンドがメタル・サウンドをしていた当初は、普通に和音を被せるシンセ奏者タイプだったが、近年はアンビエント寄りに方向性を変えている。サウンド・メイクの鍵を握る人物。
  • Marjolein Kooijman [マリョライン・コーイマン] (Bass) - 女性ベーシスト。2004年の Hugo 脱退に伴って交替。8thアルバム『Home』より参加。1980年生まれとの事で、他のメンバーより10歳近く若い。
  • Silje Wergeland [シリェ・ヴェルヘラント] (Vocal) - Annekeの後任として2009年加入。元Octavia Sperati。8thアルバム『The West Pole』より参加。

過去のメンバー

  • Bart Smits [バルト・スミッツ] (Death Vocals) - 初代ヴォーカル。咆哮するデス・ヴォイス・スタイルだった。1989年の結成時~1st 'Always' 発表後のツアー(1993年)まで在籍。その後、ポップ化を指向したバンドに対し、あくまでコアなデス・メタルに拘り、方向性の違いから脱退。
  • Niels Duffhues [ニールス・ドゥフューズ] (Vocals and Acoustic Guitars) - 1993年~1994年在籍。2nd 'Almost A Dance' 及びツアーのみ在籍。デス・ヴォイスではファンが限られることから、ある程度歌うヴォーカル・スタイルにチェンジ。MEGADETHのデイヴ・ムスティンをやや低音にしたような爬虫類声の持ち主。2ndが不評だったことから、1作のみで脱退。 ※Duffhuesのeにはウムラウト(..)が付く
  • Martine van Loon [マルティネ・ファン・ローン] (Backing Vocals) - 1993年~1994年在籍。2nd 'Almost A Dance' 及びツアーのみ参加。
  • Anneke van Giersbergen [アネク・ヴァン・ガースバーゲン] (Vocals) - 1994年~2007年8月まで在籍。バンド初の女性リード・シンガー。1994年に加入して以来、3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds', 5th 'How to measure a planet?', 6th 'if_then_else', 7th 'Souvenirs', 8th 'Home' などを残す。「ザ・ギャザリングのヴォーカル」と言えば通常は彼女を指す(2007年12月現在)。非常に長い彼女の名前は、現地では「アンネッケ・ファン・ヒエルスベルヒェン」と読むようである(アネク・ヴァン・ガースバーゲンは英語読み)。オランダ語には「グ(g)」に当たる発音がなく、「ヒェ」がその代わりになっている。また「V」は英語の「F」に近い発音だそう。
  • Jelmer Wiersma [イェルマー・ヴィールスマ] (Guitars) - 1989年の結成時から在籍し、1998年 4th 発表後のツアーを最後に脱退。1st 'Always', 2nd 'Almost A Dance', 3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds' までの4作に参加した。家族の問題と、エンジニアに転身するための脱退と言われるが、続報は不明。彼の脱退により、ツイン・リードは不可能となった。
  • Hugo Prinsen Geerligs [フーゴ・プリンセン・ヘーリフス] (Bass) - 1989年の結成時から在籍。1st 'Always', 2nd 'Almost A Dance', 3rd 'Mandylion', 4th 'Nighttime Birds', 5th 'How to measure a planet?', 6th 'if_then_else' の6作に参加。2004年、トリップ/アンビエント化で出番が減ったことが、脱退の理由と言われる。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

シングル/EP

  • Strange Machines (1995)
  • Adrenaline/Leaves (1996)
  • The May Song (1997)
  • Kevin's Telescope (1997)
  • Liberty Bell (1998)
  • Rollercoaster (2000)
  • Amity EP (2001)
  • Black Light District (2002)
  • Monsters (2003)
  • You Learn About It (2003)

ライヴ・アルバム

  • Superheat - a live album (1999)
  • Sleepy Buildings - A Semi Acoustic Evening (2004)

コンピレイション・アルバム

  • Accessories - Rarities And B-Sides (2005)

オムニバス・アルバム

  • Road Kill Vol.1 (1995) - tr.8 "Mirror Waters"
  • Identity II (1996-04-23) - tr.5 "In Motion #1" (表紙には "Leaves" とあるが間違い)
  • Identity 3...D! (1997-01-14) - tr.16 "Adrenaline"
  • Out Of The Dark (Live) (1997-06-06) - tr.3 "Leaves (live)", tr.4 "Eleanor (live)" (「ナイトタイム・バーズ」日本盤にボーナス・トラックとして収録)
  • マスターズ・オブ・ダークネス2 Masters Of Darkness 2 (1998-06-24) - tr.13 "Nighttime Birds" (アルバムでは前の曲と繋がっているため、イントロをフェード・イン処理している模様)
  • Identity Four (1998-03-31) - tr.2 "The May Song" (album version)
  • Call on the Dark 2 (1998-06-23) - tr.12 "When The Sun Hits" (Slowdive cover song)
  • Identity five: I Defy (1999-03-09) - tr.10 "Liberty Bell (edit)"

トリビュート・アルバム

  • The Lotus Eaters: Tribute to Dead Can Dance (2004) - Disc 2, tr.4 "In Power We Entrust the Love Advocated"

ソロ活動

Anneke van Giersbergen

外部リンク

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