カルロヴィ・ヴァリ

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テンプレート:Redirect テンプレート:世界の市 カルロヴィ・ヴァリKarlovy Vary)は、チェコボヘミア西部の都市。ドイツ名のカールスバートKarlsbad, Carlsbad)という呼称もよく知られる。人口は52,022人(2003年)。世界的に有名な温泉地。

地勢・産業

テプラー川とラベ川(ドイツ語ではエルベ川)の支流であるオフジェ川(ドイツ語ではエーガー川)の合流点に発展し、温泉保養地として世界的に有名である。街の伝統産業としては、陶器工業、ボヘミア・ガラスに代表されるガラス工業、地元のビール産業など挙げられ、近年は化学機械、製材、食品工業の成長もみられる。

歴史

14世紀半ば、ボヘミア王であり神聖ローマ皇帝にもなったカール4世(ボヘミア王としてはカレル1世)が偶然に温泉を発見したとされる。街の名称も、そのカール4世(カレル1世)にちなんだものである。

18世紀以降、温泉地として急速な発展を遂げていった。ウィーン体制下の1819年には、オーストリアメッテルニヒによる主導で自由主義運動を抑圧するカールスバート決議がなされた。19世紀になると鉄道の開通により、ウィーンなどから多数の湯治客が訪れるようになり、街はさらに発展した。

第二次世界大戦前までは、住民の大半はドイツ系であった(1939年の時点でドイツ系住民は5万3300人)。1938年には、ナチス・ドイツによるズデーテン地方の併合でドイツ領となったが、第二次世界大戦後、独立を回復したチェコスロバキア政府のベネシュ布告(ドイツ系住民の国籍剥奪と財産没収を規定)により、ドイツ系住民は強制的にカルロヴィ・ヴァリから追われることとなった(ドイツ人追放)。

第一次世界大戦後のチェコスロバキア建国に伴ってオーストリアから切り離されたことにより、ハプスブルク帝国の富裕層のための「リゾートを兼ねた湯治場」としての役割を終え、第二次世界大戦後に住民もほぼ入れ代わったカルロヴィ・ヴァリは以後、映画祭を開催するなどして街の振興に努めている。

温泉と観光、行事

周辺のカルロヴィ・ヴァリ山塊に水源をもつ鉱泉(泉温43~73度)は、飲用・浴用として用いられている。交通網の整備が進むにつれて、各地から著名人が訪れるようになった。ゲーテシラーベートーヴェンゴーゴリショパンなどが同都市に滞在しており、それを記念した碑が至る所で見られる。

1950年から一年おきに、国際映画祭「カルロヴィ・ヴァリ映画祭」が開かれる。日本1954年から参加しており、参加した初年度に「原爆の子」が平和賞を受けた。

現在はロシア資本が多く流入し、チェコ語英語のほか、ロシア語による情報も充実している。

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ゆかりの人物

姉妹都市

関連項目

外部リンク

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