カルメル会
カルメル会またはカルメル修道会(ラテン語:Ordo fratrum Beatæ Virginis Mariæ de monte Carmelo, 略称:O.C.)は、キリスト教、カトリックの修道会。男子カルメル会と女子カルメル会、および第三会と呼ばれる在俗者会がある。12世紀にパレスティナで起こり、現代でも世界中にその修道院がある。
概説
カルメル会は、12世紀にB修士(原典では「B」という頭文字のみが確認されている。もっともポピュラーな解釈では「ブロカルド」)という修道者がパレスティナのカルメル山中に修道院を築いて暮らしたことが起源とされる。会の名称はその地名からとられている。B修士はもともとカラブリアの出身であったが、巡礼者あるいは十字軍戦士としてパレスティナに赴き、発願して修道者となったといわれている。カルメル山は旧約聖書の『列王記上』で預言者エリヤがバアルの預言者たちと対決し、勝利したことで知られる山である。
B修士の修道院に修道士が集まって生活を始めると、会則が出来、1226年に教皇ホノリウス3世に認可されたことで正式な修道会として成立した。13世紀に東方と西方の乖離が進んだため、カルメル会士たちは発祥地のカルメル山を離れてシチリアとキュプロスに修道院をつくった。やがて会員の増加と共に、イギリスなどヨーロッパ中にカルメル会の修道院を立てていった。1259年にはルイ9世の援助によってパリにカルメル会修道院が設置されている。
14世紀以降、他の修道会にも見られた刷新運動が勃興し、原点回帰が叫ばれるようになった。その動きの中で特に大きな役割を果たしたのは16世紀の女子修道会におけるアビラのテレサであり、男子修道会における十字架のヨハネである。彼らの思想に共鳴し、後に続いたカルメル会士たちは改革を意味する跣足(せんそく=裸足)のグループと称するようになる。(後の跣足カルメル修道会 O.C.D:Ordo Carmelitarum Discultiatorum)このグループは、1593年に元のカルメル会から分離独立する。改革派は、17世紀には、聖ヨゼフ修族と呼ばれるスペイン派と聖エリア修族と呼ばれるイタリア派に別れ、そのまま独自の会憲、独自の総長をもって活動していたが、1875年、時の教皇福者ピウス9世の命により合併、O.C.D.となり、遵守派はO.Carm.と称するようになる。
その後、フランス革命と近代啓蒙思想の発達によって反カトリック教会・反修道会的風潮がヨーロッパに強まったことで、カルメル会も大きな打撃を受けたが、この危機を乗り越え、現代でも世界中に多くの修道院が存続している。
日本における活動
最初に女子カルメル会がフランスの詩人で外交官であるポール・クローデルの提案と海軍少尉でカトリック信者である山本信次郎の協力と、最初の邦人司教に叙階された早坂久之助師の招聘努力*[1]により1933年(昭和8年)、フランスよりO.C.D.の修道女たちが来日、東京に修道院が設立された。1946年(昭和21年)に第三会員(信徒会)が発足、1951年(昭和26年)に共産主義政権樹立による迫害で中国から逃れてきたO.C.D.イタリア人男子会員が来日、名古屋に修道院を設立した。以来、女子では東京・調布市を始め、京都、西宮、北海道、福岡など、男子は東京・上野毛(世田谷区)をはじめ、金沢、宇治、名古屋等に修道院が存在する。なお、カトリック東京大司教区補佐司教であった森一弘司教、同教区司祭井上洋治神父、星野正道神父は男子カルメル会出身である。
脚注
- 元の位置に戻る ↑ *早坂は女子カルメル会修道院を長崎に招くべく、1929年に最初の日本人志願女性をフランスのショレー(Cholet)に送り、修道院も当初、長崎教区への創立に向けて計画を進めていた。その後、諸事情により最初の創立地は東京に変更された。長崎創立は今日まで実現していない。
著名なカルメル会員
- アビラのテレサ(1515年 - 1582年)女子カルメル会の改革者、聖人、教会博士。
- 十字架のヨハネ(1542年 - 1591年)男子カルメル会の改革協力者、聖人、教会博士
- バルブ・アカリー 17世紀フランス・カトリック界の貴族夫人。福者。改革(跣足)カルメル会をフランスに導入し、夫の死後、そこの修道女となる。
- 御復活のラウレンシオ 17世紀フランスのカルメル会修道士。元は兵士であったが負傷し、退役後は修道院に入り聖なる生活を送り、信仰に関する著書を遺した。
- ルイーズ・ド・ラ・ヴァリエール (1644年 - 1710年)17世紀フランス、ルイ14世の愛妾。のちカルメル会に入り、修道女となる。
- リジューのテレーズ(1873年 - 1897年)19世紀のカルメル会修道女、聖人、教会博士。
- コンピエーニュの16修道女殉教者 福者。フランス革命下において処刑される。
- フランシスコ・パラウ 福者。カルメル宣教修道女会並び聖テレジアのカルメル宣教修道女会を設立。
- 三位一体のエリザベト(1880年 - 1906年)修道女、福者。
- ティトゥス・ブランズマ (1881年 - 1942年)司祭、ジャーナリスト、福者。ダッハウの強制収容所で殺害される。
- グアダラハラの3修道女殉教者 福者。スペイン内戦下において殺害される。
- エーディト・シュタイン(1891年 - 1942年)聖人、フッサール門下の哲学者、アビラのテレサの思想に感銘を受けてカルメル会に入会。ユダヤ系であったため、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で処刑される。
- ルシア・ドス・サントス(1907年 - 2005年)ファティマにおける聖母出現の幻視者。
- 奥村一郎 司祭。禅宗よりの改宗者で仏教との対話を深めている。
関連項目
- カルメル派修道女の対話(フランシス・プーランク作曲のオペラ。コンピエーニュのカルメル会修道女の処刑を題材とする)