ウルグアイ・ラウンド

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WTO本部(旧GATT本部) - ウルグアイラウンドによってGATTはWTOに改組された
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ウルグアイ・ラウンド対策で建設された育苗施設(三重県志摩市

ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round、1986年 - 1995年)は、世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行なわれた通商交渉。

ウルグアイ東方共和国の保養地プンタ・デル・エステ1986年に開始宣言されたことからこの名がついた。

1944年ブレトン・ウッズ協定によって成立したGATTIMF体制の下行なわれた通商交渉としては、ケネディ・ラウンド東京ラウンドと並び有名である。

概要

この協議では、サービス貿易や知的所有権の扱い方、農産物の自由化などについて交渉が行われた。中でも農業分野交渉が難航し、将来的に全ての農産物を関税化に移行させること、最低輸入機会(ミニマム・アクセス)を決定するにとどまり、完全な自由化には至らなかった。

この協議によってGATTを改組して世界貿易機関(WTO)を設立することが決定され、また貿易に関連する投資措置に関する協定 (TRIM)、サービスの貿易に関する一般協定(GATS)、知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)等が成立した。これにより加盟国はパフォーマンス要求の一部を廃止することやサービス貿易の一形態であるサービス産業の現地進出に対して規制緩和することなどの義務を負うことになった。しかし、これらは先進国が想定する投資ルールのごく一部をカバーするにとどまっており、包括的な投資ルールの策定に向けた交渉の開始が期待されている。

サービス分野や知的財産権も交渉対象となった。

ウルグアイ・ラウンドの結果に落胆した発展途上国の反発により、当初新多角的貿易交渉(新ラウンド)立ち上げを計画した1999年10月 - 11月のシアトル閣僚会議では、新ラウンドをスタートできなかった。

GATT/WTOの多角的貿易交渉

日本における対応

日本におけるウルグアイ・ラウンド合意の影響を緩和するため、細川内閣は事業費6兆100億円、国費2兆6,700億円のウルグアイラウンド農業合意関連国内対策事業費を予算執行した[1]。予算の5割強は農業農村整備事業土地改良事業など)に用いられた。JC総研の今村奈良臣所長は、「その殆どは色々な建物や施設に使われたが、多くは朽ち果てているか使っていない」と述べている[2]

脚注

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関連項目

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  1. テンプレート:Cite report
  2. テンプレート:Cite journal