イスカンダル
イスカンダル (テンプレート:Lang-ar-short, Iskandar) は、古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王を指すアラビア語・ペルシア語の人名である。もともとは Aliskandar であったが、語頭のal-が定冠詞と勘違いされ、Iskandar と呼ばれるようになった(言語学では「異分析 」という )。ただし、現在でもアラビア語では定冠詞をつけて al-Iskandar と言うのが普通である。kとsが入れ替わった理由は不明である。
アレクサンドロスは西アジア地域でも英雄として記憶されたため、古代の英雄に基づいた人名として男性名に好んでつけられる。この名のもととなったイスカンダル王は、
- イラン(ペルシア)では、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼした侵略者として記憶された。
- アラブでは、「ズルカルナイン」ذو القرنين Dhū al-Qarnayn (二つの角をもった王:双角王)という名の英雄の伝説に語られ、クルアーン(コーラン)にも神から強大な力を与えられて世界を征服した王として登場する。
- アッバース朝時代以降の伝統的歴史学では、イスカンダル・ズルカルナインは古代イランのカヤーニー王朝の偉大な帝王として位置付けられている。それによれば彼はカヤーニー王朝の君主ダーラーブ王(ダレイオス1世に相当)の息子で、幼少時に亡命したユーナーン(古代のギリシア世界)から挙兵し、庶流の王ダーラー(ダレイオス3世に相当)を廃してイランの帝王位に復帰した人物としている。
これらイスラーム世界でのイスカンダル像は、主に『偽カリステネスのアレクサンドロス物語』といったアレクサンドリア発祥の空想譚を起源とし、それにアッバース朝時代の翻訳運動などで流入したシリア、エジプトなどでのアレクサンドロス伝承などから、イラン世界におけるアレクサンドロス3世の支配を歴史的に整合性をつけようとしたものであった。 テンプレート:Main
文学ではフェルドウスィーやニザーミーといった著名な作家たちが韻文や散文による『イスカンダル・ナーマ』(アレクサンドロスの書)を著している。これらの作品ではイスカンダルとアリストテレスが理想的な「君主と宰相」像として描かれている。
また、アレクサンドロスに由来する中東の都市名は、それぞれアレクサンドリアはアル・イスカンダリーヤ、アレクサンドレッタはイスカンダルーン(トルコ語ではイスケンデルン)と呼ばれる。
イスラム教の東進に伴い、東南アジアでも一般的な男性名となっており、歴史上でもマラッカ国王イスカンダル・シャー(在位1414年-1424年)、 アチェ国王イスカンダル・ムダ(在位:1607年-1636年)らがいる。シンガポール近くのジョホールバル南部開発地区の名前であるテンプレート:仮リンクは開発開始当時のジョホールのテンプレート:仮リンク テンプレート:仮リンクの名前に因んでいる。
インドにはスカンダという神が存在するが、これはイスカンダルに由来した神名という説が有力である。なお、スカンダは仏教に入って「韋駄天」となった。
暴れ馬ブケファラスが自らの影を恐れていることを見ぬき、太陽の方を向かせて落ち着かせ、生涯の相棒としたのは有名な話である。