アフガニスタンの国旗

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アフガニスタン国旗(アフガニスタンのこっき)は、の縦三色の中央に国章を配した旗。

中央の紋章にはイスラム教の五行のひとつであるシャハーダ(信仰告白)「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒」とモスクなどが描かれ、それらをの穂とで囲んでいる。

アフガニスタンの国旗は、20世紀に多くの変遷を遂げてきた[1]。現在の旗はアフガニスタン・イスラム移行国(2002~2004年)によって2004年1月4日制定された。かつてアフガニスタン王国で1930~1973年の間掲げられていた国旗とよく似ているが、中央の国章の上部にシャハーダを加えたことなどが異なる。

歴史

期間 縦横比 政府 備考
1747-1823 108px 2:3 ドゥッラーニー朝 ドゥッラーニー朝の旗は、緑・白・緑の三色旗である。ドゥッラーニー朝の王が退位した後、ヘラートで1842年まで掲げられていた。[1]
1880-1901 108px 2:3 アフガニスタン首長国
バーラクザイ朝
アブドゥッラフマーン・ハーン治世下での旗。
1901-1919 108px 3:5 アフガニスタン首長国 ハビーブッラー・ハーン治世下での旗。ハビーブッラーは父王の旗に近代的な国章を加えた。
1919-1921 108px 2:3 アフガニスタン首長国 アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた最初の旗。父王の旗の国章のデザインを変えたもの。この国章のデザイン(オクトグラム)は、オスマン帝国で一般的な様式である。
1921-1928 108px 2:3 アフガニスタン首長国→アフガニスタン王国 アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第二の旗。国章を囲む円を卵型にした。アフガニスタンは1926年に王国になった。
1928 108px 2:3 アフガニスタン王国 アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第三の旗。国章を囲むオクトグラムを花輪に置き換え、国章を微修正した。
1928-1929 108px 2:3 アフガニスタン王国 アマーヌッラー・ハーン治世でつくられた第四の旗。黒・赤・緑の三色旗を採用した。黒は過去(前の旗)、赤は第三次アフガン戦争(1919年)で独立のために流された血、緑は未来への希望をあらわす。1927年におこなわれた王のヨーロッパ訪問がおそらく影響している。新しい国章は二つの山から太陽が昇るもので、王国の新しい始まりを意味する。
1929 108px 2:3 アフガニスタン王国 イギリスに支援されてアマーヌッラー・ハーンを逐った叛乱指導者ハビーブッラー・カラカーニーHabibullah Ghazi)が掲げた旗。赤・黒・白の三色旗は、13世紀にモンゴルに支配された時期に用いられた旗と同様である。
1929-1930 108px 2:3 アフガニスタン王国 ムハンマド・ナーディル・シャー治世の最初の旗。黒・赤・緑の三色旗が復活した。アマーヌッラー・ハーンの二番目の旗の国章が用いられている。
1930-1973 108px 2:3 アフガニスタン王国 ムハンマド・ナーディル・シャー治世で定められた第二の旗で、その子ザーヒル・シャーも用いた。オクトグラムが取り除かれ、国章が大きくなった。紋章に描かれた年号 ١٣٤٨ (イスラム暦1348年、グレゴリオ暦1929年)は、ムハンマド・ナーディル・シャーの王朝が開かれた年を示す。
1973-1974 108px 2:3 アフガニスタン共和国 アフガニスタン共和国(ムハンマド・ダーウード政権)が定めた最初の旗。先の旗の紋章にあった ١٣٤٨ が取り除かれた。
1974-1978 108px 2:3 アフガニスタン共和国 アフガニスタン共和国の第二の旗。同じ色が用いられているが、意味は置き換えられている。黒は暗い過去を、赤は独立のために流された血を、緑は豊かな農業を示す。カントンには、翼を広げた鷲とモスクの説教壇・太陽を描いた新しい紋章が置かれた。
1978 108px 2:3 アフガニスタン民主共和国 クーデターによりムハンマド・ダーウードが殺害され、共産主義者(アフガニスタン人民民主党)の政権が誕生した。旗は同じデザインだが、国章は取り除かれた。
1978-1979 108px 1:2 アフガニスタン民主共和国 共産主義政権によって用いられた、赤字に黄色の紋章を配した旗。紋章は、小麦の輪、星(5つの民族集団を象徴する)、アラビア文字のハルク 'Khalq' (人民を意味する)から構成されている。この旗はアフガニスタン人民民主党の党旗でもあり、1979年にヌール・ムハンマド・タラキーが党内抗争で失脚・病死する(暗殺とも)まで用いられた。
1979 108px 1:2 アフガニスタン民主共和国 この旗は1979年の9月から12月まで、ハフィーズッラー・アミーン(アフガニスタン人民民主党ハルク派)の短い政権の下で用いられた。 紋章は農業を示す小麦と工業を示す歯車からなっていた。もともと人民民主党の旗として定められたものであったが、国旗にもなった。12月にソ連軍がアフガニスタンに侵攻してアミーン政権は崩壊、旗は短命に終わった。
1979-1987 108px 1:2 アフガニスタン民主共和国 アミーンのハルク派政権が打倒され、パルチャム派のバブラク・カールマルが政権の座に就くと、旗はふたたび変更された。黒・赤・緑の三色旗が復活し、三色はそれぞれ過去・血・イスラムの信仰に結び付けられた。新しい国章は、昇る太陽、説教壇とクルアーン(イスラムの信仰)、ナショナルカラーのリボン、歯車(工業)、星(共産主義)から構成された。
1987-1992 108px 1:2 アフガニスタン共和国 前の旗と同様であるが、国章にデザインの変更が加えられた。歯車は上部から下部へ移動され、赤い星と本が除去された。緑の野は地平線のように弧を描くようになった。
1992 108px 1:2 アフガニスタン共和国 ソ連崩壊後の暫定的な旗として定められた。このため、左に示したもののほかに多くのバリエーションを持つ。上段にはアラビア文字で「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と記されており、中段にはシャハーダが記されている。
1992-1996 108px 1:2 アフガニスタン・イスラム国 前の旗からは黒と緑の位置が入れ替わっている。シャハーダは別のロゴで置き換えられている。
1996-1997 108px 2:3 アフガニスタン・イスラム首長国
ターリバーン政権)
ターリバーンは模様のない白い旗を掲げた。
1997-2001 108px 2:3 アフガニスタン・イスラム首長国 1997年、ターリバーンはシャハーダを書き加えた。
2001-2002 108px 1:2 アフガニスタン・イスラム国 ターリバーン政権が崩壊すると、1992年の旗が再び使用されたが、シャハーダが書き加えられている。
2002-2004 108px 1:2 アフガニスタン・イスラム移行国 黒・赤・緑の縦三色旗。基本デザインはこの20年間の多くの旗と共通する。中央の紋章はモスクとミフラーブからなる紋章である。この旗は、王政時代の1930年から73年にかけて使われた旗とよく似ている。違いはシャハーダが加えられたこと、アフガニスタンの独立年である ١۲۹٨ (イスラム暦1298年。グレゴリオ暦1919年)の年紀が加えられたことである。
2004-Present 108px 2:3 アフガニスタン・イスラム共和国 前の旗と似ているが、縦横比が変更された。また、国章の中で"دا افغانستان اسلامی دولت" (アフガニスタン・イスラム国)と記されていたものが単に "افغانستان" (アフガニスタン)と変更された。

脚注

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関連項目

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参考文献

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外部リンク

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  1. [2]