いけ年こい年

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いけ年こい年』(いけとしこいとし)は、1999年12月31日 - 2000年1月1日と2000年12月31日 - 2001年1月1日(どちらも21:00 - 翌未明0:30、JST)に日本テレビ系列局で放送された年越し特別番組。正式タイトルは、1999年 - 2000年の年越しが『雷電スペシャルいけ年こい年1999〜2000』、2000年 - 2001年の年越しが『いけ年こい年世紀越えスペシャル2000〜2001』である。

進ぬ!電波少年』と『雷波少年』、『ウッチャンナンチャンのウリナリ』のメンバーが出演。総合演出は土屋敏男プロデューサー。

なお、『進め!電波少年』時代にも「いけ年こい年」のタイトルで、1994年 - 1995年の年越しに特別番組を放送している(詳細は『2年越し!超超興奮!仰天"生"テレビ!!』の項目を参照)。

番組概要

1994年 - 1995年

1999年 - 2000年

  • 電波少年的80日間世界一周」で真中瞳チューヤンが生放送中にゴール。
    • ゴール会場をフジテレビ・V4スタジオ(この時間帯は『LOVE LOVE2000』(「LOVE LOVEあいしてる」主体の番組)の生放送)に設定。しかし、フジテレビ側はそのことを把握していなかったため、日本テレビに抗議が殺到、急遽汐留に変更された。
  • 除夜の鐘にちなみ、を108発かます「108つプー」が行われた(108人はオーディションによる公募)。一発目は高田純次
  • 2000年の幕開けと同時に、松任谷由実ポケットビスケッツによるスペシャルユニット「Yuming+Pocket Biscuits」として、新曲『Millennium』を生中継、生演奏で初披露した(松任谷のツアー「FROZEN ROSES TOUR 1999-2000」の中で行われ、東京国際フォーラムからの中継)。この楽曲は同年1月に発売され、ポケットビスケッツとしては最後のシングル作品となった。
  • 2000年への年越しは、同時に2000年問題が騒がれる中の年越しでもあった。そこで、2000年が明けた番組内で、飛行機内からの中継と銘打ち、飛行機内の電気が点滅するかのような演出を行った。
    • 番組の司会を進行していた松本明子も、2000年問題で飛行機が落ちるかのような不適切な発言を番組中に行い謝罪した。

2000年 - 2001年

  • タイムトラベラーが挑戦した「雷波少年系究極の麺ロード」の料理が完成。生放送で試食会を開催し、半数以上が「おいしい」と評価しゴールとなった。
    • 試食会の場所を視聴者に公募したにも関わらず、NHK名義で『紅白歌合戦』が行われているNHKホール前に特設会場を指定した。
  • 漫画『おそ松くん』のイヤミのギャグ「シェー」を2001連発するという「2シェー1年 シェー2001発」。この時、会場となったステージの上には、イヤミのパネルが置かれ、主宰の高田純次もイヤミのコスプレをしていた。赤塚不二夫VTRコメント出演。
  • 新世紀の幕開けとともに久保田利伸が作詞・作曲を手がけた『Vibe,Survive』の歌と振り付けに15人の少女が挑戦する「電波少年的おニャン子だったりモー娘だったり…」。
  • 21世紀世紀越えでもある年越しカウントダウンの際、午前0時の数分前から、番組を進行していたさいたまスーパーアリーナの会場ステージとテレビ画面に表示されていた時計を意図的に2分早めカウントダウンを行った。電波少年の企画でニューヨークに滞在していた華原朋美らも現地で同時にカウントダウンを行っており、実際の午前0時を回る直前に時報をフライングしていたことが明らかになり、全国の視聴者から苦情が殺到した。
    • この件に関して放送内では数分後に進行役を務めた松本志のぶ(当時:日テレアナウンサー)が謝罪を行ない、2001年最初の電波少年通常放送の番組終了後、約15秒ほど黒バックに白文字でお詫びを放送した。
    • 1年後の2001年末、日本テレビの年越し特番は「いけ年こい年」ではなく、ナインティナインによる『ナイナイの夢と笑いが丸い地球を救うのだ!!』となった。その代わりに2002年最初の電波少年は正月特番として『わけあって今年はカウントダウンやらせてもらえないのね〜んスペシャル』と題して放送、最後までおどけてみせた。

関連番組

テンプレート:電波少年シリーズ