紀元前243年
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テンプレート:Yearbox 紀元前243年は、ローマ暦の年である。当時は、「ガイウス・フンダニウス・フンドゥルスとガイウス・スルピキウス・ガルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元511年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前243年と表記されるのが一般的となった。
できごと
エジプト
- プトレマイオス3世は、エジプト内で起こった反乱のため、シリアから撤退した。その結果、セレウコス2世は自身の王国の支配権を回復し、エジプト軍はメソポタミア及びシリア北部から追放された。
- プトレマイオス3世は、セレウコス朝の領土からの帰途、大量の宝物、カンビュセス2世によってエジプトからペルシアに持ち込まれたエジプトの神像を含む美術品等を持ち帰った。彼はエジプトの寺院に像を設置し直し、Euergetes ("Benefactor")というタイトルを付けた。
ギリシア
- アカイア同盟をギリシアの有力勢力に育てたシキュオンのアラトスは、宣戦布告なしにコリントスに突如攻撃を仕掛け、マケドニアを占領していた軍を撤退させた。メガラ、トロイゼーン、エピダウロスもマケドニア王アンティゴノス2世と縁を絶った。
- スパルタの立法者リュクルゴスの伝統に従い、若き王アギス4世は、国土と富の不平等な分配で貧乏人に重い借金を負わせる現行の制度の改正を試み、借金の帳消しとスパルタ国土の市民への分配を提案した。市民権は、多くのペリオイコイや外国人にまで拡張された。