紀年法

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紀年法(きねんぽう)とは、を数えたり、記録する方法をいう。

類型

紀年法には、大きく分けて以下の3種類に分けられる。

また、一部の紀年法を除き、紀元と元号の両方共に、始まりになる年を「0年」でなく「1年」として考える。即ち、紀元からの経過年数や遡及年数を表す基数年(周年)ではなく、序数年(数え年)として数える。

暦法との関係

紀年法は、元年と1年経過するごとに加算する原則があるのみで、元日は定義しない。これに対し暦法は、月や太陽の運行に従って1か月ごとの日数を定めてから1年の長さと元日を定義する。つまり年月日でを表すには紀年法と暦法の両方が必要となる。また、改元により新しい紀年法を採用した日が必ず元日になるとは限らず、あるいは暦の月日が不連続となることがある。

日本においては、暦法と同様に、紀年法も「○○暦」と呼称されたり、紀年法が暦法の一部と認識されてしまうことも多く、両者が混同されることがある。西暦は、かつて紀年法として「西洋紀元」「西紀」という語で区別されていたが、やがて混同され、どちらも西暦とよばれている。暦法としての西暦はグレゴリオ暦を指すが、紀年法としての西暦はキリスト紀元である。

各地域の紀年法

各地域の紀年法については、「紀元」「元号」の項目も参照のこと。

ヨーロッパ

古代ローマ帝国では、元号(○○皇帝在位N年)、ローマ建国紀元インディクティオの3種類がよく用いられていた。その後、4、5世紀頃には、ディオクレティアヌス紀元キリスト教徒の間で最も広く用いられる紀年法であった。

しかし、西ローマ帝国が消滅した後の西ヨーロッパで、イエス・キリストの生年を元年とするキリスト紀元(西暦)が徐々に用いられるようになり(君主の即位年を基準とする紀年法も平行して用いられた国もあった。)、15世紀以降に一般化して現在に至る(詳細は「西暦」の項目参照)。

東ヨーロッパ正教圏では、中世から近代まで10世紀以降の東ローマ帝国で使用された世界創造紀元が使用されていたが、現在は西暦が一般的である。

イスラム圏東南アジア

中東のイスラム諸国ではヒジュラ紀元が、東南アジア仏教国家では仏滅紀元が、それぞれ広く用いられている。

漢字文化圏

漢字文化圏では、長らく元号と干支が用いられて来た。しかし、中国では辛亥革命によって元号は廃止され、民国紀元が施行された。その後に成立した中華人民共和国では、民国紀元は廃止され、キリスト紀元と干支が用いられている。

又、第二次世界大戦での日本の降伏により、朝鮮半島ベトナムでは元号が廃止され、キリスト紀元と干支が多く用いられているが、崇禎紀元檀君紀元主体紀元越南民主共和私年号)など、私年号を含めて独自の紀元も用いられている(或いは用いられていた)。

現在の日本では、元号・干支・キリスト紀元・神武紀元の4種類が用いられている。尚、漢字文化圏では、民間においては干支のうち十二支を動物に見立てた十二生肖で年を数える紀年法が広く使われている。

関連項目

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