鳥取県立八頭高等学校
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鳥取県立八頭高等学校(とっとりけんりつ やずこうとうがっこう, Tottori Prefectural Yazu High School)は、鳥取県八頭郡八頭町久能寺にある公立の高等学校。
概要
- 校訓(生徒信条)
- 「真摯明朗」(1963年(昭和38年)制定)
- 「克己藎[1]力」(1980年(昭和55年)制定)
- 教育方針
- 一. 知性を養い,真理の探究に努める。
- 二. 道義を重んじ,人格の形成に努める。
- 三. 心身を鍛え,気力の高揚に努める。
- 校章
- かつて校庭の松林の間に群生していた小菊にちなんで、高等女学校時代より菊が校章に使用されており、総合制高校の発足した1949年(昭和24年)に菊の若葉3枚を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置いた校章が制定された。
- 校歌
- 作詞・作曲ともに制定当時の1951年(昭和26年)当時に在職していた教員によるもの。歌詞は1番のみで、校名は歌詞に登場しない。
- 姉妹校
- テンプレート:Flagiconミッチェルトン高校(オーストラリア)
沿革
- 1926年(大正15年)3月15日 - 鳥取県女子師範学校に併設される形で「鳥取県立八頭高等女学校」の設立が認可される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(名称:鳥取県立八頭高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校に在籍し、4・5年生となる(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 高等女学校が廃止され、新制高等学校「鳥取県立八頭高等学校」が発足。男女共学を開始。定時制課程を併設。定時制の八上分校を開設。
- 高等女学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:鳥取県立八頭高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 1949年(昭和24年)
- 3月31日 - 併設中学校を廃止。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく鳥取県内公立高校の再編が行われる。
- 鳥取県立智頭農林高等学校を統合し、総合制の「鳥取県立八頭高等学校」が発足。旧・智頭農林高校を農業部とする。
- 全日制に関しては、郡家校舎(普通科/旧・八頭高等女学校校舎)と智頭校舎(農業部/旧・智頭農林高校校舎)の2校舎制をとる。
- 郡家校舎に定時制課程を併設。定時制校舎を3ヶ所(八上・若桜・用瀬)開設。
- 1950年(昭和25年)9月5日 - 定時制用瀬校舎を廃止し、在校生を郡家校舎に編入収容。
- 1951年(昭和26年)
- 1953年(昭和28年)
- 4月1日
- 智頭校舎(農業部)が分離し、鳥取県立智頭農林高等学校として独立(再)。
- 家庭別科の生徒募集を停止し、 全日制課程 家庭科を新設。
- 4月1日
- 1956年(昭和31年)
- 4月1日
- 本校(中心校)定時制課程と定時制八上校舎の生徒募集を停止。
- 八上校舎を廃止し、生徒を郡家校舎に編入収容。
- 定時制若桜校舎を普通科に切り替える。
- 4月1日
- 1957年(昭和32年)3月8日 - 校旗を制定。
- 1963年(昭和38年)4月1日 - 若桜校舎の定時制普通科の生徒募集を停止し、全日制普通科を新設。
- 1964年(昭和39年)1月14日 - 校碑(生徒信条「真摯明朗」)と「未来を築く若人」の像を建立。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 家庭科を家政科に改称。若桜校舎を「若桜分校」と改称。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 若桜分校の生徒募集を停止。
- 1979年(昭和54年)3月31日 - 若桜分校を廃止。
- 1980年(昭和55年)7月1日 - 生徒信条に「克己盡力」を加える。
- 1983年(昭和58年)3月5日 - 校誌「翠陵」を創刊。
- 1992年(平成4年)3月10日 - 翠陵賞を新設。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 家政科を生活デザイン科へ改編。
- 2000年(平成12年)4月1日 - 生活デザイン科の募集を停止。理数科・国際英語科・普通科(総合コース・体育コース)を設置。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 生活デザイン科を廃止し、鳥取県立智頭農林高等学校に移管。
- 2006年(平成18年)
- 2月9日 - テンプレート:Flagiconミッチェルトン高校(オーストラリア)と姉妹校提携。
- 4月1日 - 文部科学省によりスーパーイングリッシュランゲージハイスクールに指定。
- 11月29日 - TEAS II種認定(県下高校で3番目の認定)。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 理数科・国際英語科の生徒募集を停止し、普通科に探究文科コースと探究理科コースの2コースを加える。
- 2013年(平成25年)3月31日 - 理数科と国際英語科を廃止。
部活動
文化部
- 新聞部
- 物理部
- 茶道部
- 華道部
- 生活デザイン部
- 写真部
- 吹奏楽部
- 箏曲部
- ESS部 (English Speaking Society)
- 放送部
- 演劇部
- 書道部
- 美術部
- 部落解放研究部
- 囲碁部
- 漫画研究部
- 生徒会執行部
- 応援団・チアリーディング
運動部
- 陸上部
- バレーボール部
- ソフトテニス部
- 柔道部
- 新体操部
- 硬式野球部
- 軟式野球部
- 卓球部
- 水泳部
- ソフトボール部
- バドミントン部
- 弓道部
- テニス部
- 剣道部
- サッカー部
- ホッケー部
- バスケットボール部
- スキー部
高校野球戦績
- 硬式野球部は1980年代に入ってから監督の徳永昌平の指導のもとに力をつけ、1987年に夏の全国高等学校野球選手権大会に念願の初出場を果たした。その後も着実に出場を重ね、現在のところ甲子園出場は春1回夏6回出場で、通算成績は3勝7敗である。
- 2007年、秋季中国地区高校野球大会において山陽勢を連破し、鳥取県勢として12年振りに決勝進出を果たした。決勝では下関商にサヨナラ負けしたが、鳥取県勢としては12年ぶりの選抜出場、本戦では宇都宮南に完封勝利、県勢12年ぶりの勝利をもたらした。
夏通算成績 3勝7敗
年度 | 回数 | 全国大会成績 | 対戦校 |
---|---|---|---|
1987年(第69回大会) | 初出場 | 1回戦敗退 | 1回戦 2-3 金沢(石川) |
1994年(第76回大会) | 7年ぶり2回目 | 3回戦敗退 | 2回戦 5-4 鶴岡工(山形) 3回戦 1-3 水戸商(茨城) |
1996年(第78回大会) | 2年ぶり3回目 | 2回戦敗退 | 2回戦 0-11 福井商(福井) |
1997年(第79回大会) | 2年連続4回目 | 1回戦敗退 | 1回戦 0-9 甲府工(山梨) |
2001年(第83回大会) | 4年ぶり5回目 | 2回戦敗退 | 2回戦 7-8 塚原青雲(長野) |
2003年(第85回大会) | 2年ぶり6回目 | 2回戦敗退 | 1回戦 3-2 小山(栃木) 2回戦 2-3 静岡(静岡) |
2010年(第92回大会) | 7年ぶり7回目 | 2回戦敗退 | 2回戦 2-15 土岐商(岐阜) |
2014年(第96回大会) | 4年ぶり8回目 | 3回戦敗退 | 2回戦 6-1 角館(秋田) 3回戦 0-10 大阪桐蔭(大阪) |
春通算成績 1勝1敗
年度 | 回数 | 全国大会成績 | 対戦校 |
---|---|---|---|
2008年(第80回大会) | 初出場 | 3回戦敗退 | 2回戦 1-0 宇都宮南(栃木) 3回戦 0-1 東洋大姫路(兵庫) |
著名な出身者
- 田中由郎 - プロ野球投手(1975年ロッテドラフト1位→大洋)
- 森下広一 - 陸上選手(バルセロナ五輪男子マラソン銀メダル)
- 佐藤雅子 - ホッケー選手:ソニーHC BRAVIA Ladies所属(ロンドン五輪ホッケー女子「さくらジャパン」日本代表)
- 大家涼子 - ホッケー選手:グラクソ・スミスクラインOrange United所属、ロンドン五輪では負傷者交代要員として選手団に同行。