パキスタン人民党
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テンプレート:政党 パキスタン人民党(パキスタンじんみんとう、(テンプレート:Lang-ur、テンプレート:Lang-en、略称PPP)は、パキスタンの中道左派・社会民主主義政党。
沿革
1967年、ズルフィカール・アリー・ブットー(後に大統領・首相)を中心として創設された。彼がクーデターで打倒された後にムハンマド・ジア=ウル=ハクの手で処刑されてからはイスラーム圏初の女性首相を経験したベーナズィール・ブットーを党首として、ハク大統領の飛行機事故死後にパキスタンの民主化を進めた。
2007年からパキスタンで民主化運動が活発化し、パルヴェーズ・ムシャラフ大統領に抵抗する一大運動に発展すると、テンプレート:仮リンクを経て、その夫であるアースィフ・アリー・ザルダーリー大統領と長男のビラーワル・ブットー・ザルダーリーを共同総裁としている。このように、ブットー家の党という一面もある[1]。主な地盤は南部のシンド州だが、他の地域にもそれなりの勢力を持つ。
テンプレート:仮リンクで第1党となり、党指導者のひとりユースフ・ラザー・ギーラーニーが率いる連立政権を統一民族運動(MQM)などと成立させた。しかしMQMは後に政権から離脱している。
テンプレート:仮リンクでは党の汚職体質や経済無策を批判され、さらにイスラーム過激派のパキスタン・ターリバーン運動からもテロ攻撃の対象とされるなか惨敗した[2]。
産業の国有化などの社会主義(イスラーム社会主義)政策、労働者や農民の生活向上、国民の国防参加、インドとの対抗上から親中・親米政策を掲げている。現在はこれに加えてイスラーム主義勢力への対抗から、民主政治、世俗主義を強調している。
脚注・出典
- ↑ 萬宮健策「パキスタンにおける政党の位置づけ―パキスタン人民党を事例として―」[1]5.パキスタン人民党の政治活動 (3)パキスタン人民党の活動概観
- ↑ パキスタン総選挙、野党第1党に 米との関係焦点(日本経済新聞 2013/5/12)