ところてん
ところてん(心太または心天、瓊脂)は、テングサやオゴノリなどの紅藻類をゆでて煮溶かし、発生した寒天質を冷まして固めた食品。それを「天突き」とよばれる専用の器具を用いて、押し出しながら細い糸状(麺状)に切った形態が一般的である。
概要
全体の98-99%が水分で、残りの成分のほとんどは多糖類(ガラクタン)である。ゲル状の物体であるが、ゼリーなどとは異なり表面はやや堅く感じられ、独特の食感がある。腸内で消化されないため栄養価はほとんどないが、食物繊維として整腸効果がある。
関東以北および中国地方以西では二杯酢あるいは三杯酢をかけた物に和辛子を添えて、関西では黒蜜をかけて単体又は果物などと共に、東海地方では箸一本で、主に三杯酢をかけた物にゴマを添えて食べるのが一般的とされる。また、醤油系のタレなどで食べる地方もある。
製法
- テングサを天日に干し、洗浄する。これをテングサの色が白くなるまで数回繰り返す。この後1年程度冷暗所で保管する。
- 大きめの鍋に上記のテングサを入れ、水をテングサがつかる程度まで入れ、沸騰させる。沸騰後は弱火にて1時間程度煮る。
- 布などで濾して、不純物を取り除き、バットなどの容器に移し替える。
- 容器に移し替えた後、3時間程度、自然に放熱させ、固める(冷蔵庫では失敗しやすい)。
- 天突きで突いて(無ければ包丁などで細長く切って)完成。
副製品
ところてんを戸外で凍結乾燥させたものが寒天である。
歴史
その起源は定かではないが、中国から伝わったとされる。海草を煮たスープを放置したところ偶然にできた産物と考えられ、かなりの歴史があると思われる。一説には、こころぶとと呼ばれ、心太の漢字があてられた。それがこころていと呼ばれるようになり、さらに転じてところてんとなったとされるが、古くは正倉院の書物中に心天と記されていることから奈良時代にはすでにこころてんまたはところてんと呼ばれていたようである。
儀式としてのところてん
奈良時代、正倉院の木簡に記されている記録では御食国と呼ばれる地域からテングサを宮中に送った記録がある。節料として収められ、当時宮中における節気行事などに使用されていたことがうかがえる。
江戸時代のところてん
江戸時代にはところてんは庶民の間食として好まれた。ところてんは砂糖もしくは醤油をかけて食べた。ところてんは、基本的にところてん売りによって売られた。ところてん売りの天秤棒は透かし格子にすることで涼感を演出した。値段は寛永通宝一文(現在の価格で25~40円)であった。
俳句
ところてんに関連する派生語・作品等
- 派生語
- ところてん式(昇進など)
- ところてんを天突きによりソバ状に加工する際、次の塊により前の塊を押し出すことから、席の数などが決まっている場合に、後から入ってきたものに押し出されて、既に在ったものが自然と前へ進む様子を「ところてん式」と表現する。技術用語では「サイズが固定のFIFOの振る舞い」が相当する。
- 用例としては、かつて大相撲で、「大関の数は最大でも五人」(但し2012年5月場所、大相撲史上初めて六人の大関が在籍した例が有り)という慣例があったことから、大関が五人いる状態で新大関が誕生したら「大関の誰かを横綱へ同時に昇進させないと六大関になってしまうから、(成績は満点とはいえないが)押し出されて新横綱になった」という揶揄の意味で、「ところてん式に横綱・大関同時昇進」といったように使われる。この例の場合は揶揄だが、この語に必ずしもそういった価値判断が含まれるわけではない。
- ところてんをモチーフとしたキャラクター
- ところ天の助(ボボボーボ・ボーボボ)
- えらぶくん(ことばのパズル もじぴったん)