NHK杯テレビ囲碁トーナメント

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NHK杯テレビ囲碁トーナメント(NHKはいテレビいごトーナメント)とは日本放送協会が主催する囲碁棋戦である。トーナメント方式の優勝棋戦で、優勝者には「NHK杯選手権者」(略して「NHK杯」)の称号が贈られ、次期の優勝者にその称号が贈られるまで主にNHKの囲碁番組内などで呼称される。対局はNHKのテレビスタジオで行われ、その模様はNHK教育テレビ囲碁の時間』枠内の日曜12:30 - 14:00[1](以下JST)に毎週1局ずつ放送される。年度始めの4月に本選の放送がスタートし、年度末の翌年3月に決勝戦が行われる。

なお、多くの囲碁棋戦では「第○○期」として番号が冠されるが、NHK杯テレビ囲碁トーナメントではトーナメントの回数ごとに「第○○回」として番号を冠している。

棋戦の仕組み

  • 日本囲碁界を代表する囲碁棋士たちによるトーナメントである。出場人数は以下のように変遷があった。
第1 - 13回:8人
第14 - 24回:16人
第25 - 28回:26人
第29回 - :50人

テレビ放送

  • 1953年のNHKテレビ開局に合わせて創設された。当初はラジオ放送であった。第10回(1962年度)からテレビ放送となる。
  • 棋譜はNHK出版のテキスト「囲碁講座」に掲載される。
  • 手数が長くなった場合、考慮時間や秒読みの時間が大幅にカットされ、放送時間に収まるようにする。それでも収まらない場合は、時々2~3手ずつとばされる事もある。
  • 対局が放送時間に収まらないことが多いことへの対策からか、第57回(2009年度)の途中からはオープニングでの司会者の挨拶が廃止され、オープニング映像が終わると即座に先手と後手を決めるニギリが行われて対局が開始されるようになった(カメラ位置の関係から、ニギリの結果によっては、先後が席を入れ替わることもある)。対局開始後に司会者による対局者紹介があり、司会者の挨拶はその後の解説者紹介の際に行われるようになった。また、第59回(2011年度)からはオープニングでの司会者の挨拶が復活する一方、ニギリの場面は省略されるようになった。2010年度より、両対局者の対局前のインタビューも放送される。(2012年度から、インタビューが廃止。)
  • 放送時間より早く対局が終わった場合は時間になるまで局後の検討を行うことが多い。時間の余りが多い場合には、過去の対局のVTRを解説付きで放映することがある。
  • かつては畳敷きの和室のスタジオセットの上に座って対局が行なわれたが、現在は椅子に座って対局する。なお、対局に使われるテーブルは、通常の六寸盤をはめ込むための穴が開けてある特殊な物である。
  • カメラは、記録係のほうに向けられる。そのため、黒番の対局者が左側、白番の対局者が右側に来る様になっている。
  • 1990年代までは喫煙しながらの対局も見られたが、現在はない。
  • 長らく、その週の対局の勝者が次に誰と対戦するかには触れられなかった。後に「○回戦で□□△段(もしくは□□△段対■■▲段戦の勝者)と対戦します」と紹介されるようになったが、現在は対局終了後に「○回戦に進出です」と紹介された後トーナメント表の勝ち上がりの状況が示されて、次の対戦相手を紹介するようになっている[2]
  • 次週の対局についてかつては口頭では触れられていたが、現在は番組のエンディングで次週の対局者について画面情報のみで紹介がなされるようになった。
  • 第61回(2013年度)から、「私の一手」というコーナーが有る。対局の放送終了後、勝ったほうの対局者が解説用の碁盤に石を並べ、勝利につながった手や、自分がいい手だったと思った自分の手を紹介する。数十秒~数分ほどのコーナーである。

決勝戦

決勝戦の放送では司会をNHKアナウンサーが務め、番組冒頭、トーナメント表で勝ち上がりの結果を大まかに伝える。その後、アナウンサーが解説者と聞き手の紹介を行う。アナウンサーが聞き手に番組の進行を引き渡した以降は決勝戦以外の対局と実質的には同じである。番組最後の部分では準優勝者に賞状、優勝者にNHK杯(優勝カップ)と賞状が贈呈される様子を放送し(「NHK杯選手権者」の称号を贈ることは賞状に記されている)、それぞれの対局者が感想を語る。最後に司会者が次期の放送予定を伝えて番組は終わる。

歴代の司会者

対局ルール

互先で先番に6目半のコミが課される。持ち時間は無く、一手30秒の秒読み[3]。ただし途中1分単位で任意の10分間の考慮時間が設けられている。

優勝記録

第61回(2013年度)までの最多優勝は坂田栄男の11回であり、次いで大竹英雄依田紀基結城聡が5回優勝している。

連覇したのは坂田栄男、依田紀基、結城聡の三人のみである。またこの三人は三連覇も達成している。(坂田は第4~6回、依田は第45~47回、結城は第59~61回で三連覇を達成)。

最年長優勝は第29回(1981年度)の坂田栄男(当時62歳)、最年少優勝は第49回(2001年度)の張栩(当時22歳)である。

名誉NHK杯

本棋戦を通算10回優勝すると、七大タイトル戦の名誉称号に相当するものとして、名誉NHK杯の称号が贈られる。2013年度終了時点で、名誉NHK杯の称号獲得者は坂田栄男(故人。優勝11回)のみである。

なお、将棋のNHK杯にも「名誉NHK杯」の称号が設定されており、2013年度終了時点の称号獲得者は羽生善治(10回優勝)のみである。将棋では囲碁の名誉称号に相当するものを「永世称号」と称することが通常であり、他に「名誉~」の名称を用いるのは「名誉王座」のみである(ともに、囲碁と将棋で同一の主催者による棋戦で、同一名称の称号が授与される事例である)。

なお、坂田がNHK杯で打つ際は現在の選手権者同様、坂田名誉本因坊(二十三世本因坊)ではなく、坂田名誉NHK杯と呼ばれていた。

歴代優勝者

回数 年度 優勝者 準優勝者
1 1953年 島村利博 高川格
2 1954年 岩本薫 藤沢朋斎
3 1955年 橋本宇太郎 坂田栄男
4 1956年 坂田栄男 藤沢朋斎
5 1957年 坂田栄男(2) 木谷実
6 1958年 坂田栄男(3) 高川格
7 1959年 木谷実 藤沢朋斎
8 1960年 坂田栄男(4) 木谷実
9 1961年 坂田栄男(5) 橋本宇太郎
10 1962年 橋本宇太郎(2) 藤沢秀行
11 1963年 坂田栄男(6) 藤沢秀行
12 1964年 坂田栄男(7) 宮下秀洋
13 1965年 高川秀格 藤沢秀行
14 1966年 橋本昌二 藤沢朋斎
15 1967年 大竹英雄 橋本昌二
16 1968年 藤沢秀行 藤沢朋斎
17 1969年 林海峰 坂田栄男
18 1970年 大竹英雄(2) 石田芳夫
19 1971年 坂田栄男(8) 大竹英雄
20 1972年 大竹英雄(3) 橋本昌二
21 1973年 林海峰(2) 加藤正夫
22 1974年 大竹英雄(4) 武宮正樹
23 1975年 坂田栄男(9) 呉清源
24 1976年 坂田栄男(10) 武宮正樹
25 1977年 林海峰(3) 大平修三
26 1978年 東野弘昭 高木祥一
27 1979年 橋本昌二(2) 趙治勲
28 1980年 藤沢秀行(2) 高木祥一
29 1981年 坂田栄男(11) 杉内雅男
30 1982年 趙治勲 大竹英雄
31 1983年 本田邦久 武宮正樹
32 1984年 橋本昌二(3) 石田芳夫
33 1985年 小林光一 武宮正樹
34 1986年 石田芳夫 林海峰
35 1987年 加藤正夫 王立誠
36 1988年 武宮正樹 小林覚
37 1989年 石田芳夫(2) 大竹英雄
38 1990年 依田紀基 王銘琬
39 1991年 趙治勲(2) 王立誠
40 1992年 依田紀基(2) 加藤正夫
41 1993年 大竹英雄(5) 加藤正夫
42 1994年 小林覚 清成哲也
43 1995年 趙治勲(3) 小林覚
44 1996年 王立誠 小林光一
45 1997年 依田紀基(3) 本田邦久
46 1998年 依田紀基(4) 東野弘昭
47 1999年 依田紀基(5) 今村俊也
48 2000年 石田芳夫(3) 趙治勲
49 2001年 張栩 羽根直樹
50 2002年 三村智保 王立誠
51 2003年 小林光一(2) 趙治勲
52 2004年 張栩(2) 依田紀基
53 2005年 羽根直樹 今村俊也
54 2006年 趙治勲(4) 結城聡
55 2007年 張栩(3) 趙治勲
56 2008年 結城聡 武宮正樹
57 2009年 結城聡(2) 井山裕太
58 2010年 山田規三生 依田紀基
59 2011年 結城聡(3) 羽根直樹
60 2012年 結城聡(4) 井山裕太
61 2013年 結城聡(5) 河野臨

エピソード

アタリに突っ込む大ポカ

  • 2006年度の第54回テレビ囲碁トーナメント1回戦、中野泰宏九段と石田芳夫九段(二十四世本因坊)が対局。中盤、石田に見損じがあり、ヨセに入っても盤面13目差で黒(中野)が優勢だった[4]。ところが271手目、中野が自らの石のダメを詰め、5子をわざわざ取られに行くという大失着を犯し(その結果、左辺の大石が死亡)、中野は投了した。その際解説の小林光一は「あれ…あっ、えっ!えええっ!…いやいやいやいやいや、いや~! い~や~… いや凄い見損じだなこれは…」と驚きの声を上げた。
  • その後この事件は関西棋院発行の囲碁かるたにも「アタリに突っ込むプロもいる」として詠まれた。のちに中野は「目算に集中していて、白一子を抜いたつもりだったが間違えた。」「石田先生には本当に申し訳ないことをした」と言っており、関西棋院による自分の棋士紹介ページにも「アタリ事件を忘れないでください」と書いていた時期があった。

名人が欠場

  • 依田紀基は第50回(2002年度)、名人位にあったにも関わらず出場していない。これは、依田がよく対局日に寝坊をし、時間に遅れて来るためと説明されたが、後にこのことで依田とNHK側で主張の食い違いがありトラブルになった。しかしその後和解し、第52回(2004年度)には準優勝を果たしている。

大ボヤキ

  • 2007年3月11日、第54回テレビ囲碁トーナメント準決勝、依田紀基九段と趙治勲十段が対局。序盤、趙の白石が不安定になり、依田が優位に進めていたが、中盤幾つかのミスを重ねた。自分のミスにより死んでいたはずの白石が生きたなどがあり、「ああわかんねえよ、バカ、」「酷いなぁ…呆れたなあ俺なあ…」「あっそっか! ああ痛い、バカ!」等と次々とぼやきを連発。さらに終盤、自分の大石が殺されてしまい、「あそっか、いっけね~」「…何やってんだ、負けました。ひっどいなあ…」と投了。しまいには検討で依田は「何か棋士になって一番ひどい逆転負けだろうな、これは。」とぼやいた。また相手の趙も序盤に「あーそっかそっか」「何でこんなとこ打つのかね」とぼやきを連発。一手打つたびにお互いぼやき合っていたため、解説の柳時熏は「なんですかこれ。漫才みたいですね」と苦笑した。
  • 依田紀基のNHK杯でのボヤキは多く、第61回の2回戦でも、自分の大石が殺されてしまい「何だこりゃ、錯覚か?バカやったな~」「危機感がないねえ」「信じられないね」などとぼやきを連発。

石の下

  • 2010年8月、第58回2回戦、今村俊也九段対村川大介七段の対局。黒の今村が中盤まで有利に進め、ヨセに入った時、村川が時間つなぎと思われるキリを打った。解説の横田茂昭九段も、「これは時間つなぎですね」と説明。ところがそこから、今村が白4子を取った後に村川がキリを入れ、黒の4子がまた取り返されるという「石の下」が完成。石の下は典型的な手筋としてよくある形ではあるが、実戦で発生することは大変稀で、横田は「実戦で見たのは初めてですね」と驚いた。ここから形勢が逆転し、白の3目半勝ちとなった。

記録係がミス

  • 2012年1月8日、第59回の3回戦第5局、趙治勲二十五世本因坊と坂井秀至八段の対局。趙が黒番123手目を考慮中、最後の考慮時間を使った。これからは一手30秒未満で打っていかなければならないため、記録係は「20秒、1,2,3,4…」と秒読みしなければならない。ところが記録の金沢真三段は、いきなり「30秒」と秒を読んだ。趙はまだ打っていなかったため、本来ならば時間切れで坂井の勝ちだが、趙はその数秒後「もう(時間)ないのね?」と確認し、時間切れ後に打った。そのまま何事もなかったかのように対局は進み、趙の中押し勝ちとなった。

初出場・最低段で優勝

  • 第一回優勝者の島村俊廣を除けば、初出場優勝を果たしたのは第49回の張栩(当時22歳)のみ。
  • 最低段優勝記録も、張栩の七段。

驚異の勝率

  • 坂田栄男は4,5,6,8,9,11,12回と、わずか9年間で7回の優勝を果たしている。
  • 結城聡も56,57,59,60,61回と、6年間で5回の優勝を果たしている。56~61回の6年間の成績は21勝1敗・勝率9割5分5厘となる。

備考

脚注

  1. 当該時間帯に地域番組が組まれた場合(主にスポーツ中継で総合テレビで予定していたものが編成の関係で急遽放送できなくなった場合)は次回の放送までに通常放送終了後の深夜における放送休止時間帯を利用して代替放送を行う。2010年度までは12:20 - 14:00であった。
  2. かつてはトーナメント表の紹介を放送の途中、対局者が長考に入った場合にその考慮時間を利用して行っていた。
  3. かつては持ち時間5分の時代もあったが、現在はない。
  4. 解説の小林光一による

外部リンク

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