日本橋川
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日本橋川(にほんばしがわ)は、東京都千代田区および中央区を流れる一級河川。下流には「日本国道路元標」がある日本橋が架かる。15世紀から17世紀にかけて数次の水利工事が行われた結果、現在の流路が形成された。
行政指定
指定内容は、以下のとおり[1]。
地理
東京都千代田区と文京区の境界にある小石川橋で神田川から分流し南東へ流れ、中央区の永代橋付近で隅田川に合流する。
ほぼ全流路に渡って首都高速道路の高架下を流れている。JR水道橋駅西口近くで神田川から真南に分岐し(写真1)、直後に首都高速5号池袋線の高架下に入る(写真2)。靖国通りと交差後、南東方向に流れを変える。雉子橋周辺では皇居の内堀(清水濠)に30 mまで接近する。直後に首都高速都心環状線の高架下となる。川面が開けるのは、日本橋(写真3)を通過後、亀島川が分岐してから河口に至る僅か500 m弱でしかない。
歴史
関東移封後、徳川家康は江戸城普請の一環として日比谷入江に直接流れ込んでいた平川を道三堀・外濠に繋ぎ替えた。この内、明治以後に道三堀の西半分と外濠(現在の外堀通り)が埋め立てられた結果、残った流路が現在の日本橋川となった。
なお、江戸幕府開幕に伴う天下普請による神田川開削で日本橋川は三崎橋から堀留橋までが埋め立てられ外堀から切り離されていた時期もあるが、1903年(明治36年)に再びこの区間が開削され現在に至っている。
日本橋川流域は水運の便がよかったことから、江戸から近代に至るまで経済・運輸・文化の中心として栄えた。周辺には河岸が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。現在でも周辺に小網町・小舟町・堀留町など当時を思わせる地名が残っている。
流域の自治体
分流
橋梁
- 三崎橋(写真1:緑色の橋梁)
- 小石川橋通架道橋(JR中央本線)
- 新三崎橋
- あいあい橋
- 新川橋
- 堀留橋
- 南堀留橋
- 俎橋(靖国通り)
- 宝田橋
- 雉子橋
- 一ツ橋(白山通り)
- 錦橋(明大通り)
- 神田橋(本郷通り・日比谷通り・首都高速神田橋ランプ)
- 鎌倉橋(外堀通り)
- 新常盤橋(江戸通り)
- 常磐橋
- 常盤橋
- 一石橋(外堀通り)
- 西河岸橋
- 日本橋:写真3参照(中央通り、都営浅草線・地下鉄銀座線・東西線日本橋駅の駅名になっている)
- 江戸橋(昭和通り)
- 鎧橋(平成通り)
- 茅場橋(新大橋通り)
- 湊橋(箱崎湊橋通り)
- 豊海橋
脚注
外部リンク
- 水面から見たまち 日本橋川編 - 国土交通省