東京メトロ東西線

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|} 東西線(とうざいせん)は、東京都中野区中野駅千葉県船橋市西船橋駅を結ぶ、東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線鉄道要覧における名称は5号線東西線である。

路線名の由来は東京を東西に横断する意味から。車体及び路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「スカイブルー」(水色)、路線記号はT東西線

概要

名称の通り、東京の東西に延びる路線である。路線はその西端の中野駅から東京都心部を横断し、さらに東方向へ進み、葛西 - 浦安間の旧江戸川以東は千葉県内となる。帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄株式会社)では初めての東京23区以外への路線となった。後に有楽町線副都心線埼玉県内に路線が伸びたが、有楽町線・副都心線唯一の23区外の駅である和光市駅東武鉄道の管理駅であるため、23区外に東京地下鉄管理駅を持つのは2013年現在においても東西線のみである。

西側で東日本旅客鉄道(JR東日本)の中央線(各駅停車)三鷹まで、東側ではJR東日本の総武線(各駅停車)津田沼まで、および東葉高速鉄道東葉高速線とも直通運転を行う。車両は各社とも20m級車両10両編成で統一されている。

地下鉄としての一日平均輸送人員は、約1,322,000人(2010年度)で最も多い[1]が、後述の通り、朝ラッシュ時の混雑は日本国内でワーストクラスとなっている。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ) : 30.8km
  • 軌間 : 1067mm
  • 駅数 : 23駅(起終点駅含む)
  • 複線区間 : 全線
  • 電化区間 : 全線(直流1500V 架空電車線方式
  • 地上区間 : 中野駅付近・南砂町 - 西船橋間 計13.8km
  • 地下区間 : 中野 - 南砂町間(中野駅はJRと共用で地上にある)
    • 中野駅のすぐ東と南砂町駅 - 西葛西駅間(荒川鉄橋のすぐ西)に地下への入口がある。
  • 閉塞方式 : 速度制御式(新CS-ATC
  • 列車無線方式 : 誘導無線 (IR) 方式
  • 最高速度 : 快速100km/h・普通85km/h
    • 最高速度 100km/hを出せるのは浦安 - 妙典間。なお、地下区間の最高速度は80km/hである[2]
  • 平均速度 : 快速49.4km/h・普通43.7km/h
  • 表定速度 : 快速43.4km/h・普通37.0km/h[3]
  • 全線所要時分 : 快速42分35秒・普通49分55秒
  • 最急勾配 : 40‰(神楽坂駅付近)
  • 車両基地 : 深川検車区深川検車区行徳分室
  • 工場 : 深川工場

地上区間

南砂町 - 西船橋間の地上区間は、東西線の大きな特色をなしている。地上区間を持つ日本国内の地下鉄路線はほかにも多数存在するが、全線の半分弱を占める約14kmという長距離の地上区間を持つ地下鉄路線は東西線のみで、直通区間を合わせると地上区間の走行距離が地下区間よりも長くなる逆転状態となっている。

この区間は地盤が弱いこと、また住宅が少なかった建設当時は用地買収が容易で、高架は地下より10分の1程度まで建設費が抑えられたため、住宅のない田園や湿地帯、空き地に高架線を建設した。千葉県内に深く進入しているのにも関わらず営団線にできたのも、この理由が大きい。

東西線は元々JR総武線バイパスとしての役割を担って建設された。東西線開業によって総武線沿線から都心への所要時間は大幅に短縮され、東西線沿線のみならず起点の西船橋以遠のJR線からの中・長距離通勤客の流入で大変混雑するようになっている。さらに近年の線内利用者の増加に対応するため、以下の変化がもたらされた(各々の詳細については次章以降で詳述している)。

  • この地上区間を一部の駅にしか止まらない、快速運転の実施。地下鉄路線では日本で初めて実現した優等列車である。
  • 西葛西駅南行徳駅妙典駅の新設。途中駅が新設された路線は他の地下鉄にも存在するが、3駅も新設されたのは東西線だけである。
  • 東西線西船橋開通の3年後に東京駅に乗り入れたJR総武快速線と共に、千葉県北西部と東京都心を短絡する大動脈となり、競合する京成本線の最混雑区間が、新三河島 - 日暮里間から大神宮下 - 京成船橋間に後退した。

そのほか、平均乗車距離の長さ、朝と昼の混雑率の差、定期券利用客率の高さのいずれもが、東京メトロの路線ではトップクラスにある。都心部を走る地下鉄でありながら、郊外へ延びる通勤路線の一つとしての側面もある。

線形が良い地上区間は軌道改良も行われており、現在では60kgのレールが採用されている。これはJR線では新幹線や主要幹線クラスに採用されるレールであり(一般的には50kgが主流)、大量高密度輸送と高速運転を支える要となっている。

地上区間の沿線風景

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荒川を渡る直前の05N系。この長い地上区間が同線最大の特徴といえる

A線(西船橋方面行き)を基準とすると、南砂町を出た列車は35の勾配を上って地上に出て、左にカーブしながら一気に高架へ駆け上がる。直後に荒川中川橋梁という長いトラス橋を渡る。橋の右隣(下流側)には清砂大橋という歩道を備えた橋がかかる。また橋を渡る最中、西船橋方面行きの列車の右手には葛西臨海公園大観覧車を、中野方面行きの列車は東京スカイツリー、晴天時には富士山を見ることができる。首都高速中央環状線をアンダークロスしたあと橋を渡り終え、直線で進み西葛西となる。南砂町から西葛西までは東京地下鉄で最も駅間距離が長い区間(2.7km)である。西葛西を出ると、途中左カーブを挟みつつマンション群の中を直線で進み、変電所の脇を通ると地下鉄博物館最寄の葛西となる。葛西駅は中央に通過線を持ち、快速の通過待ちが行われている。葛西を出ると、徐々に一軒家が目立ち始める中を直線で進み、左カーブのあと旧江戸川を鉄橋で越え、東京都から千葉県に入る。左手(上流側)には浦安橋と妙見島を見ることができる。そのあと再び左にカーブし浦安に入る。浦安を出ると再び左カーブがあり、そのあと妙典手前まで長い直線となる。この直線区間には途中南行徳行徳がある。列車は一軒家とマンションが混在する中を直線で進み妙典に至る。妙典は2面4線のホームと深川検車区行徳分室への連絡線を持ち、葛西と同じく快速の通過待ちが行われている。妙典を出ると深川検車区行徳分室への連絡線をオーバークロスし、B線との間隔が元に戻ると同時に江戸川を橋で渡り、東京外環道路も越える。そのあと勾配を下った後左にカーブして原木中山となる。原木中山は葛西と同じ配線を持つ。原木中山を出ると京葉道路をオーバークロスして右カーブとなり、林立するマンションや住宅地の中を抜け、迫ってくる総武本線の線路を左手に見ながら徐々に地平に降りて西船橋となる。

都心部での接続性

東西線の特徴の一つは、副都心線以外のすべての東京の地下鉄路線との接続駅を持つことである。また、山手線中央線とも接続しており、都心部での接続性に優れている。

朝ラッシュ時間帯の混雑

東西線は小田急小田原線東急田園都市線と並び、朝ラッシュ時間帯の混雑の激しさで有名である。国土交通省の調査による2011年度の最混雑区間の混雑率は199%(B線、木場門前仲町)である[4]。これは、日本の大手私鉄では全国ワースト1、首都圏におけるJRを含めた鉄道の混雑率でも第3位にランクインしている。地下鉄としての利用者数も日本国内で上位級である[5]

民間会社による「首都圏地下鉄12路線ユーザー評価調査」(2006年7月20日 - 7月21日HOME'Sリサーチ)では、東京メトロ・都営合計12路線中最低の評価であった。

千葉 - 東京都心の区間では他に都営新宿線JR京葉線が並行して建設されたが、都内での乗り換えの接続性などの差があることや(特に京葉線は東京駅での他路線との乗り換えに難がある)、東京都心へは、特に西船橋方面から東西線経由だとJR以上に運賃が安くなる駅(新宿、渋谷、明治神宮前<原宿>、池袋など)も多数あることなど、利便性や運賃面で有利なことも混雑の一因となっている。

葛西、西葛西、南砂町では、高層マンションが立ち並び人口が多い。葛西から都心へ所要時間は、ラッシュ時でも20 - 25分程と短い上、原木中山 - 木場間に接続路線および並行する路線もないため、東西線に乗客が集中する要因になっている。

東西線は幅の狭い相対式ホームで、階段がホームの両端にある構造の駅が多かったため、一部の車両に混雑が集中することがあった。東京メトロでは営団時代から、ホームの拡幅や階段の増設、車両の工夫(ワイドドア車の導入)などの対策を施してきたものの、解決には至っていないのが現状である。また、列車の運行本数(B線のピーク時は1時間に27本、平均2分15秒間隔)も限界に近いが、後述する信号保安システムの更新で数本の増発が可能になり、さらに若干の混雑緩和を図っている。

ダイヤ変更による混雑の均等化

こうした状況を受けて、2007年3月18日のダイヤ改正より朝ラッシュのピーク時間帯(西船橋発6:56 - 8:15)の「快速」が全列車「通勤快速」に変更された。これにより該当時間の全列車が浦安以西各駅停車となり、この時間帯の浦安→東陽町間の所要時間は、快速が8分、通勤快速と快速待避のない各停が11分、快速待避のある各停が13分であったが、全列車11分に統一された。この結果、各停への乗客の集中が緩和され、混雑の均等化が図られた。なお、対象の時間帯は元々ほとんどが通勤快速で、快速は東葉快速1本のみであった。

なお、同じくラッシュ時の混雑で遅延が常態化していた東急田園都市線でも「急行」を「準急」に変更するダイヤ改正が2007年4月に行われたが、こちらは速達列車の混雑が激しいためであり、東西線とは逆の理由である。東西線・田園都市線ともダイヤ改正が功を奏して混雑率が減少したため、両者とも翌年の2008年3月に再びダイヤ改正を行い、東西線の通勤快速・田園都市線の準急の運行時間帯が拡大された。さらに東西線では2009年3月のダイヤ改正で通勤快速の運転時間帯がさらに拡大し、朝の時間帯の中野方面行きの優等列車はすべて通勤快速に統一された。

混雑緩和キャンペーン

東西線では、混雑緩和・時差通勤を促進するため、以下のようなキャンペーンが実施されてきた。実施期間が冬期に限られているのは、旅客が厚着することにより、ドア挟みの発生や乗降に時間がかかりやすく、夏期に比べ遅延することが多いからである。

2007年12月10日から2008年2月29日までの平日には「東西線 早起き通勤キャンペーン」が実施された。対象区間は東陽町 - 浦安間で、期間中の朝の指定時間帯内に同区間を含むPASMOまたはSuica通勤定期券(通学定期券は対象外)で対象区間内の駅に置かれた専用端末にタッチすると、1日1回の「早起き通勤回数」がカウントされ、20回以上の利用者に先着で三菱UFJニコスギフトカード1000円分、40回以上で2000円分が贈られるというものである[6]

このキャンペーンは好評だったようで、通勤定期券だけでなく通学定期券も対象とした「東西線早起きキャンペーン」として2008年12月1日から2009年2月27日までの平日にも実施された。この年から対象が原木中山 - 門前仲町間のいずれかの駅からの乗車で南砂町 - 茅場町間のいずれかを含むPASMOまたはSuica定期券となり、時間帯によってカウントされる早起き通勤回数が変わる(前半30分は3カウント、後半30分は1カウント)ように、賞品が贈られるカウント数が50以上に変更され、賞品も通勤者向きにTokyo Metro To Me CARDのメトロポイント、通学者向きにオリジナルグッズが追加された[7]

2009年12月1日から2010年2月26日までの平日にも同様のキャンペーンが実施された。このキャンペーンでは、通勤者向けの賞品がTokyo Metro To Me CARDのメトロポイントと三菱UFJニコスギフトカード、通学者向けの賞品が文具セットとなった。また、50カウント未満でも20カウント以上を記録した利用者すべてに粗品がプレゼントされるようになった[8]

2010年12月1日から2011年2月28日までの平日にも同様のキャンペーンが実施されるが、実施区間が西船橋 - 門前仲町間に拡大され、JR総武線やJR武蔵野線から東西線へ乗り換える乗客も参加しやすくなった[9]

ワイドドア車両の再投入

東京メトロは2009年度の事業計画の中で、東西線の混雑緩和策としてオールワイドドア車10両編成の15000系を導入し、ラッシュ時間帯の車両に割り当てる方針を明らかにした。15000系は2010年から投入が開始され、同年5月7日から営業運転を開始した。そして、2011年度までに13編成130両が投入された。なお、同様に混雑が常態化していた東急田園都市線ではこれに先んじて対策を打ち、2009年4月から朝ラッシュ時の急行・準急に使用される5000系の6ドア車を2両から3両に増加させている。

さらなる混雑緩和策へ

東京メトロは2011年度事業計画の中で、上述のワイドドア車両再投入を含め、本格的に混雑緩和を行うため、ホームの拡幅や延伸、新たな線路やホームを増設することを明らかにした。具体的な計画は以下のものがあげられている[10]

  • 2012年度に門前仲町駅のホーム拡幅、2016年度に茅場町駅のホーム延伸およびエスカレーターや階段の増設を行う。
  • 列車増発を可能にし、混雑率を緩和するため、南砂町駅のホーム・線路を増設し、2面3線の構造に改良する。これにより、後続車両がトンネル内で待たずに交互発着できるようになる。

その後、2013年12月2日に終電の運転区間を延長し、最終東陽町行が妙典行に変更となった。

沿革

開業までの沿革

現在の東西線の原型となる計画は、1917年(大正6年)に内務省に設置された「東京市内外交通調査委員会」の答申で示されたうちの一つで、「池袋 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 洲崎」としていた。1920年(大正9年)には東京鉄道[11]に特許が下付されたが、1923年(大正12年)の関東大震災の後に他の路線とともに工事未着手を理由に特許が抹消され、1925年(大正14年)に東京市が特許を取得したもののこちらも建設には至らぬまま、1941年(昭和16年)に発足した帝都高速度交通営団へと引き継がれた。

一方、東陽町 - 西船橋に相当する区間には、戦前に東京成田芝山電気鉄道による免許申請がなされ、1927年(昭和2年)に交付されていた(起点の東陽町は「東平井」として記載、船橋市内は中山を経由)が、1940年(昭和15年)に失効となった。

1946年(昭和21年)1月より戦災復興院での復興計画案の一つとして地下鉄建設を計画。12月に「東京復興都市計画鉄道」として5路線を告示した。このうちの5号線が「中野 - 高田馬場 - 水道橋 - 大手町 - 東陽町」とされた。その後、1957年(昭和32年)の「都市交通審議会」において現在の路線と同じ「中野 - 高田馬場 - 飯田橋 - 大手町 - 茅場町 - 東陽町」となった。

1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、東京5号線は「中野方面より高田馬場、飯田橋、大手町、茅場町及び東陽町の各方面を経て船橋方面へ向かう路線」として示された[12]1964年(昭和39年)には、経由地を浦安・行徳とし、西船橋で総武線と接続するよう答申が改訂された。その後1968年(昭和43年)の答申第10号では、西船橋以東について東武鉄道野田線方面に至る路線とされたが、1972年(昭和47年)の答申第15号にて、終点が勝田台に改められた。このうち、中野 - 西船橋間は東西線として順次開業した。西船橋 - 東葉勝田台間は東葉高速鉄道として開業している。

年表

  • 1964年(昭和39年)
  • 1966年(昭和41年)
  • 1967年(昭和42年)9月14日 大手町 - 東陽町間 (5.1km) 開業。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月29日 東陽町 - 西船橋間 (15.0km) 開業(全線開業)、快速運転開始。
    • 4月8日 中央本線への乗り入れ区間を三鷹駅まで延長、国鉄総武本線津田沼駅まで乗り入れ開始。なお、1972年7月の総武快速線開業までは夏期臨時ダイヤ(いわゆる「房総夏ダイヤ」)期間中は乗り入れを中止していた。
  • 1971年(昭和46年)4月20日 国鉄103系1200番台営業運転開始。
  • 1972年(昭和47年)4月8日 国鉄総武線津田沼駅まで相互直通運転(ラッシュ時限定)開始。
  • 1978年(昭和53年)2月28日 葛西 - 南砂町間(当時西葛西駅は建設中)にある荒川に架かる荒川中川橋梁上で突風(後に竜巻によるものと判明)を受け、通過中の中野行列車(5000系10両編成)3両が脱線(うち2両は転覆)。20数名が負傷した(営団地下鉄東西線列車横転事故)。
  • 1979年(昭和54年)10月1日 西葛西駅開業。
  • 1981年(昭和56年)3月27日 南行徳駅開業。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)
  • 1989年(平成元年) 千代田線直通用国鉄103系1000番台が転属。
  • 1991年(平成3年)
    • 10月16日 05系第14編成を使用したワイドドア車両を運用開始。
    • 12月1日 JR東日本に合わせたダイヤ改正で、最後まで一部で7両編成を組んでいたJR東日本からの乗り入れ車をすべて10両編成に組み替え。これにより全列車の10両編成化が完了する。
  • 1995年(平成7年)3月20日 地下鉄サリン事件のため午前の営業運転を休止、午後から再開。
  • 1996年(平成8年)
  • 2000年(平成12年)
    • 1月22日 下妙典信号所を昇格して妙典駅開業。
    • 2月3日 05系8次車(新05系)車両営業運転開始。
  • 2003年(平成15年)
    • 5月1日 JR東日本E231系800番台営業運転開始。同月中に103系1000・1200番台の運用が終了。
    • 6月10日 JR東日本301系の運用が終了し、翌日からJR東日本からの直通運用を担当する車両がすべてE231系になる。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 帝都高速度交通営団の民営化による東京地下鉄(東京メトロ)発足で、営団地下鉄東西線から東京メトロ東西線になる。
    • 11月25日 マイナーチェンジした05系13次車の営業運転開始。
    • 12月7日 東葉高速2000系が営業運転開始。
  • 2006年(平成18年)
    • 11月8日 有楽町線から転属した07系が営業運転開始。
    • 11月20日 平日朝ラッシュ時、中野方面行の全電車10号車(先頭車両)に女性専用車を導入。JR総武線・東葉高速線からの直通列車も始発駅(津田沼駅・東葉勝田台駅)から対象。中央線内となる中野以西(中野 - 三鷹間)では設定はない[13]
    • 11月29日 女性専用車の運行区間を西船橋(妙典始発を含む) - 大手町間に縮小[13]
    • 12月4日 東葉高速1000形が同2000系に完全に置き換えられ、79S運用(午前)を最後に営業運転終了(最終運用は廃車回送を兼ねている)。
  • 2007年(平成19年)
    • 1月27日 深川車両基地にて「さよなら東西線5000系 車両撮影会&工場見学会」が行われた。車両撮影会に展示されていた5車両のうち、5000系ステンレス車の中野側(本線上での向き)には13時30分頃から「さようなら東西線5000系」という特製のヘッドマークが先頭車の貫通扉部分に取り付けられた。
    • 3月17日 5000系の営業運転を終了。これにより、東京地下鉄が所有する営業用車両のすべてがアルミニウム合金製となった。
    • 3月21日 保安装置システムを新CS-ATCに更新。
  • 2009年(平成21年)9月9日 午前4時10分頃、東陽町駅に留置されていた営業用電車(05系第1編成)に保線用の車両が正面衝突し、走行不能になる。そのため、高田馬場 - 葛西間で始発から区間運休となり、全線で運転を再開するまで約5時間を要した。この事故は朝の通勤・通学ラッシュを直撃し、約29万人の足に影響が出た。この事故の影響を重く見た国土交通省関東運輸局は東京地下鉄に対して早期の原因究明と再発防止を求める警告文書を発出した。
  • 2010年(平成22年)
    • 5月7日 東西線・東葉高速線内限定で15000系営業運転開始。
    • 9月27日 15000系がJR線への直通運用開始。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月14日 同月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による発電所の停止に伴う電力供給逼迫のため、東京電力輪番停電(計画停電)を実施。これに伴い、この日からJR中央線・JR総武線・東葉高速線との相互直通運転および快速・通勤快速・東葉快速の運転が休止される。
      • この日は震災後初めての平日であり、通常より運行本数も少なかったため、ラッシュ時は過去最高の混雑率を記録した。
    • 3月18日 JR中央線・JR総武線・東葉高速線との相互直通運転および快速・通勤快速の運転が平日の朝・夕ラッシュ時のみ再開される。
    • 6月11日 土休日のダイヤが平常に戻り、快速運転が全面的に再開される。
    • 9月12日 平日のダイヤが平常に戻り、快速運転が全面的に再開される。ただし、駅構内および車内の一部消灯は継続される。

運行形態

直通運転

以下の路線と相互直通運転を行っている。

列車番号の末尾アルファベットは東京地下鉄保有車両が「S」、JR東日本保有車両が「K」、東葉高速鉄道保有車両は「T」となっている。ただし、搭載している保安装置の関係上、JR東日本保有車両は東葉高速線、東葉高速鉄道保有車両はJR線への乗り入れを行うことができない。また、2008年(平成20年)3月15日改正ダイヤでは、東京地下鉄保有車両の6本が東葉高速線内で、東葉高速鉄道保有車両の2本が東京地下鉄線内でそれぞれ運用終了・夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。

ラッシュ時は総武線 - 東西線 - 中央線(津田沼駅 - 東西線経由 - 三鷹駅間)という運行も行われる。東西線経由の方が距離が短く、中央・総武緩行線経由よりも所要時間が短い。なお、両端の駅から同一会社の、それも同一の運転系統との直通という例はきわめてまれである。この経路による通過連絡運輸の設定もある。

総武線 - 東西線 - 総武線の順で再び総武線に戻る運用もある(東京メトロ車両の65S運用は東陽町出庫で朝ラッシュ時の総武線津田沼駅折り返しの後、中野駅(三鷹駅) - 西船橋駅間往復を繰り返し夕方ラッシュ時に再び津田沼駅に乗り入れる)。

平日の朝夕の直通のみ津田沼発三鷹行きと三鷹発津田沼行きには中央・総武線御茶ノ水経由と東西線経由の列車がある。

西船橋駅には2007年3月18日からJRとの中間改札が設置されたが、中野駅とJR線相互乗り入れ区間の船橋駅 - 津田沼駅間および高円寺駅 - 三鷹駅間の各駅間で、Suica・PASMOを使用した場合に中央・総武緩行線経由か地下鉄東西線経由か区別できないという事態が生じている。この場合、全線JR線を経由したものとして運賃の引き落としが行われることとなっており、距離の関係上割高な運賃を請求されることになるため、大きな問題となっている。この問題は一部新聞などでも報じられた。この問題に対処するためには、従来通り自動券売機でJR⇔東京地下鉄⇔JRの連絡乗車券を購入する必要がある。JR東日本は駅の掲示物や配布物などでこのことに対する呼び掛けを行っている。

また、同じくJRと東京地下鉄が相互直通運転を行っている常磐線亀有駅以遠(金町方面)と中央線高円寺駅以遠(阿佐ヶ谷方面)の相互発着の場合、東西線・千代田線大手町駅)経由か東中野駅三河島駅(JR線)経由か区別できないという現象が生じる。この場合、入場駅・出場駅がいずれも共用駅(改札内を共有する綾瀬駅北千住駅・中野駅)でないJR線の駅の場合は後者、いずれか一方でも共用駅の場合は前者とみなされるが、それ以外では全線JR線利用と見なされると運賃が高くなるケースが多いため、問題となっている。また、この乗り継ぎでは1枚の定期券を発行できない上に、磁気券の2枚投入にも対応していない。

ダイヤの乱れ

前述のように、朝ラッシュ時の混雑のほか、地上区間では強風が吹くと速度規制(60km/h規制)が行われるためダイヤが乱れやすい。この場合、快速運転と中央・総武緩行線への直通運転を中止したり、東陽町 - 西船橋間で区間運休することが多い。また乗り入れ先のJR中央・総武緩行線でダイヤが乱れた場合にも、東西線は同線への直通運転を中止し線内折り返し運転を行う(場合によっては、中央快速線でダイヤが乱れた場合でも直通運転を中止することがある。ただしこれは中央快速線でのダイヤ乱れで緩行線に乗客が集中し、緩行線にまで遅延が拡散した場合)。また、最近ではJR新宿駅の工事でも中央線との直通運転を中止し、線内折り返し運転が行われている。また、ダイヤの乱れによっては快速運転・女性専用車両が中止される場合もある。

新たな直通計画

テンプレート:出典の明記 将来、高田馬場駅から西武新宿線への相互直通運転をする計画が持ち上がっている。以前、両線の直通運転は東西線建設前に検討されたこともあったが[14]、その時は実現を見なかった。

元来、西武新宿線の前身の旧:西武鉄道の計画では、高田馬場駅を経由せずに現在の新目白通り東京都道8号千代田練馬田無線支線)沿いに線路を敷き、東京市電早稲田停留場へ向けて工事を進め、市電を利用して都心部へ乗り継げるように計画されていた経緯がある。

その後西武新宿線内から東西線高田馬場駅に連絡線を新設、相互乗り入れすることについて、西武鉄道と東京地下鉄が協議を始めることで2005年に合意した。2007年以降に都市鉄道等利便増進法対象プロジェクト化、工期7年での建設を目指している[15]。ただし、この計画はまだ正式決定ではないため、公式発表も今のところ出されていない。

ただし、2014年5月時点では、西武鉄道、東京メトロ両事業者とも乗り入れ計画はない[16]

列車種別

東西線では以下の種別の列車が運転されている。停車駅は「#駅一覧」を参照。

快速

日本では架線集電の地下鉄として初の優等列車である。東西線はJR東日本(当時は旧国鉄)中央・総武線(各駅停車)の混雑緩和を目的に建設され、乗客の移行を促すために地上区間である東陽町駅 - 西船橋駅間の途中駅(通過駅のうち南砂町駅は地下駅)を通過する快速を登場させた。 東陽町 - 西船橋間で速達運転を行い、中野 - 東陽町間は各駅に停車する。また、直通運転する路線内では各駅に停車する。全列車が運行区間に東西線全区間を含んでおり、東西線の途中駅で折り返す快速列車は設定されていない。

なお、地上区間での認可最高速度は100km/hで、これは地下鉄としては日本初、かつ現在も日本最速である。ただし、直通先ではこれよりも高速度で運転する路線もある(都営浅草線の直通先である京急線・京成線は最高120km/h、東京メトロ半蔵門線の直通先である東急田園都市線は最高110km/hなど)。

日中は15分間隔で中野 - 東葉勝田台間で運転されている。このため、日中の運用は東京メトロ車と東葉高速車に限られる。日中の時間帯の東葉高速線はすべて快速となっているため、東葉高速線内の各駅から東西線の快速通過駅を利用する場合は、西船橋または浦安で各駅停車に乗り換える必要がある。また、朝や夕方以降については東西線内のみ運転の快速や中央・総武線(各駅停車)三鷹・津田沼まで直通する快速も運転され、この場合はJR車も運用されている。

基本的に多くの列車が葛西で先を走る各駅停車を追い抜いているが、一部は原木中山・妙典でも行っている。

中野方面行き列車は通過駅がなくなる東陽町駅 - 中野駅・三鷹駅間で車両の快速表示を続ける列車もあるが、各駅停車として案内される。

1969年に東西線で快速列車が導入された際には、停車パターンによって以下の3種類の呼称で区別された。ただし、これは内部の呼称とされ、公式には用いられていなかった。

  • A快速:東陽町駅 - 西船橋駅間ノンストップの快速。1969年運用開始、1996年終了。
  • B快速:上記区間で浦安駅にのみ停車する快速。1975年運用開始。
  • C快速:上記区間で、東陽町駅 - 浦安駅間は各駅に停車し、浦安駅 - 西船橋駅間ノンストップの快速。1986年運用開始。

現在はA快速が廃止されており、B快速が「快速」・「東葉快速」、C快速が「通勤快速」という種別になっている。

種別色は基本的に赤色表記される。

運行の変遷
  • 1969年(昭和44年)3月29日の東陽町 - 西船橋間開業と同時に登場。当初は東陽町駅以東の途中駅はすべて通過だった(これは当時通過駅の周辺が農漁村地帯で人口が少なく、集客が見込めなかったためである)。
  • 1975年(昭和50年)6月より、平日の日中と休日について浦安駅にも停車させるようになった。
  • 1986年(昭和61年)11月1日のダイヤ改正で浦安駅以西の各駅に停車する快速列車を設定。これは「C快速」と称される。
    • 東陽町 - 西船橋間ノンストップの快速は「A快速」(平日ラッシュ時のみの運転)、その通過駅のうち浦安にのみ停車する快速は「B快速」と呼ばれていた。
  • 1996年(平成8年)3月16日、ダイヤ改正によりすべての快速が浦安駅に停車するようになり、東陽町 - 西船橋間ノンストップのA快速は消滅した。同時に浦安駅以西の各駅に停車するC快速に「通勤快速」の名称を与え、東陽町、浦安、西船橋の順に停車するB快速は「快速」となる。A快速消滅後も東陽町以西の駅で「……浦安停車の快速……」というアナウンスが流れていたのはその名残りである(2007年3月の更新でその放送は消滅した)。
  • 1996年(平成8年)4月27日東葉高速線の開通により 、昼間時間帯の運転区間が中野 - 東葉勝田台の運転に改められる。
  • 1999年(平成11年)12月4日、東葉高速線内まで快速運転する列車として「東葉快速」の運行を開始。
  • 2005年(平成17年)12月10日、ダイヤ改正により平日・土曜・休日ともに快速の運転時間が拡大し、平日については西船橋方面は東陽町駅24:00発が最終の快速になった(改正以前は東陽町駅21:42発が最終の快速であった)。また、平日の朝方に通勤快速を2本増発した。
  • 2007年(平成19年)3月18日、平日朝の最混雑時間帯(約30分間)で中野方面の快速が通勤快速に変更された。
  • 2009年(平成21年)3月16日、平日朝の西船橋発6時 - 9時10分発までの中野方面行きのすべての優等列車が通勤快速となった。
  • 2014年(平成26年)3月15日、東葉快速が廃止された。

通勤快速

テンプレート:Multiple image 平日朝西行(中野方面)のみの運転で、西船橋 - 浦安間で速達運転を行い、浦安 - 中野間は各駅に停車する。また、直通運転する路線内では各駅に停車する。快速と同様に全列車が運行区間に東西線全区間を含んでおり、東西線の途中駅で折り返す列車は設定されていない。

1986年(昭和61年)11月1日に快速の停車パターンの一つ(浦安から各駅に停車の快速)として登場したが、1996年(平成8年)3月16日より通勤快速という名称になる。C快速時代には専用の種別幕はなく、始発駅→南行徳通過時まで快速、南行徳 - 浦安間を走行中に各駅停車(種別無表示)に変更していた。かつての京葉線→武蔵野線直通快速と同じパターンである。前述の通り、2007年以降はダイヤ改正の度に運転時間帯が拡大しており、2007年3月19日から平日朝の最混雑時間帯に運行されていた快速がすべて通勤快速に変更され、2009年3月16日からは西船橋発朝6時33分発 - 9時4分発までのすべての優等列車が通勤快速となった。

中野方面行き快速と同様、通過駅がなくなる浦安駅 - 中野駅間では車両の通勤快速表示は続ける列車もあるが、各駅停車として案内される。

「通勤快速」を英語で表記する際、その表現方法は統一されておらず、"Commuter Rapid"、"Commutation Rapid"、"Rapid Commuter"、"Com.Rapid"、と車両や駅毎に異なる。使用色も統一されていない。

但し、JRが先に直通していた関係上、JR直通が優先されており、その時間帯は東葉直通は激減している。

各駅停車

一部の時間帯をのぞき、快速1本(朝のみ2本・通快含む)に対して2本であり、朝と夕方は3 - 5分間隔、日中は約5 - 8分間隔で運行されている。日中は1時間あたり8本のうち4本が三鷹 - 西船橋間での運転、残りの4本が中野 - 西船橋間での運転となる。ラッシュ時には東葉高速線や津田沼への直通列車も運行されるほか、九段下・東陽町・妙典発着の列車もある。昼間は1本ごとに快速に抜かれない列車もあるので、長距離の利用者も多い。ちなみに地上区間の最高速度は85km/h(開業当初は90km/h)となっている。

東葉快速(廃止)

テンプレート:Main 東西線だけでなく、東葉高速線でも速達運転を行う種別で、東陽町 - 東葉勝田台間で速達運転を行っていた。東西線内の停車駅は快速と同じ。廃止時点では平日の夕方に東葉勝田台行のみ運行されていた。英字表記は、"TOYO RAP."。

使用色、英語表示は車両や駅毎に異なる。

2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正で廃止され快速に変更された。

女性専用車

女性専用車
←西船橋・東葉勝田台・津田沼 中野・三鷹
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
女性専用車は津田沼・東葉勝田台→西船橋→大手町

東西線の女性専用車は、2006年11月20日に乗り入れ先のJR総武線各駅停車および東葉高速鉄道線と同時に導入された[13]

平日午前6時57分以降に西船橋駅を発車するする列車ならびに途中の妙典駅始発のB線(中野方面行)において、進行方向最前部車両である10号車が女性専用車両となる。実施区間は、東葉高速鉄道線東葉勝田台駅・JR総武線各駅停車津田沼駅→西船橋→大手町駅までであり、大手町駅到着をもって女性専用の取り扱いを終了する[17]

この女性専用車両には、いずれの場合も男女関係無く、小児と体の不自由な客及び介護者も乗車可能である。

東西線内は、午前9時になった時点で女性専用車両の取り扱いを一斉に終了する[13]。大手町駅から先は女性専用車両の運用を実施しておらず、中野駅以西の乗り入れ先であるJR中央線各駅停車内(中野駅 - 三鷹駅間)でも設定していない。また、非常時やダイヤが大幅に乱れた場合などには女性専用車両の実施を中止する。

設定区間について

設定当初は、終着の中野駅まで女性専用車両が設定されていたが、大手町駅での流動が影響したこともあり、導入してわずか1週間強にあたる2006年11月29日に設定区間を大手町駅までに短縮した[13]

女性専用車両が導入されている東京メトロの他路線においても、いわゆる菊名問題と同様のケースが生じているが、設定内容の変更などの対策は行われていない。

保安装置

ファイル:Signal-for-WS-ATC.jpg
右側がWS-ATC用の信号機
(2006年8月10日 / 西船橋駅)

開業当初東西線で使用していたATCは地上信号式(WS)で、原則として運転士が手動で制動を掛ける方式である。減速信号(YG)65km/h、注意信号(Y)40km/h、警戒信号(YY)25km/hの速度制限が掛かる(東西線建設史による)。通常の閉塞信号でも進行現示(G)することがない信号機が多数存在した。減速信号は地上区間を中心に採用されていた。列車通過後の信号現示変化で、YG現示などが連続して表示される信号機もあった。東京地下鉄では日比谷線もこの方式であったが、両線とも現在車内信号式(CS)に変更されている。

ATC更新工事により、05系のうち車内信号非対応で登場した車両には改造工事が行われた。また5000系東葉高速1000形は共に老朽化が進んでいることから新ATC対応化はせずに、東葉高速1000形は2006年12月4日に、5000系も翌2007年3月17日にそれぞれ全車両が引退した。さらに2006年11月より有楽町線から転属している07系4編成にも、東西線の保安装置への改造が行われている。2006年10月中旬から2007年2月中旬頃までの終電後の夜間に、信号システム更新のための試運転が行われた。これにより首都圏で現在車内信号式を採用していない地下鉄は、都営浅草線のみとなった。

ちなみに直通先の東葉高速線はCS-ATC化をすると費用が莫大にかかるので未だにWS-ATCを使用しており、そのため東葉2000系と東西線05系・07系にもWS-ATCが搭載されている。

さらに東陽町 - 西船橋間の各停車駅では停車予告音が採用されており、ブレーキを掛けても停車するまで連続して鳴る。東京地下鉄で停車予告音を使用しているのはこの区間のみである。

車両

自社車両

乗り入れ車両

過去の車両

駅一覧

  • ●:停車、|↑:通過、↑:片方向のみ運転
  • 普通(各駅停車)はすべての駅に停車するため省略する。
駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 通勤快速 快速 接続路線・備考 地上/地下 所在地
T-01 中野駅 - 0.0 東日本旅客鉄道中央線(各駅停車)三鷹駅まで直通運転)中央線(快速) 地上 東京都 中野区
T-02 落合駅 2.0 2.0   地下区間 新宿区
T-03 高田馬場駅 1.9 3.9 東京地下鉄副都心線 副都心線 (F-11)(西早稲田駅:徒歩連絡)
東日本旅客鉄道:山手線
西武鉄道新宿線(SS02)
T-04 早稲田駅 1.7 5.6 東京都交通局都電荒川線早稲田停留場徒歩連絡[* 1]
T-05 神楽坂駅 1.2 6.8  
T-06 飯田橋駅 1.2 8.0 東京地下鉄有楽町線 有楽町線 (Y-13) (改札外連絡)・南北線 南北線 (N-10)(改札外連絡)
都営地下鉄大江戸線 大江戸線 (E-06)
東日本旅客鉄道:中央線(各駅停車)
千代田区
T-07 九段下駅 0.7 8.7 東京地下鉄:半蔵門線 半蔵門線 (Z-06)(改札外連絡)
都営地下鉄:新宿線 新宿線 (S-05)
T-08 竹橋駅
毎日新聞社前)
1.0 9.7  
T-09 大手町駅 1.0 10.7 東京地下鉄:丸ノ内線 丸ノ内線 (M-18)(改札外連絡) ・千代田線 千代田線 (C-11) (改札内連絡)・半蔵門線 半蔵門線 (Z-08)(改札外連絡)
都営地下鉄:三田線 三田線 (I-09)
東海旅客鉄道東海道新幹線東京駅[* 2]
東日本旅客鉄道:東北新幹線山形新幹線秋田新幹線上越新幹線北陸新幹線長野新幹線)・中央線・山手線・京浜東北線東海道線総武線(快速)横須賀線京葉線(東京駅[* 2]
T-10 日本橋駅
高島屋前)
0.8 11.5 東京地下鉄:銀座線 銀座線 (G-11)(改札内連絡)
都営地下鉄:浅草線 浅草線 (A-13)
中央区
T-11 茅場町駅 0.5 12.0 東京地下鉄:日比谷線 日比谷線 (H-12)
T-12 門前仲町駅 1.8 13.8 都営地下鉄:大江戸線 大江戸線 (E-15) 江東区
T-13 木場駅 1.1 14.9  
T-14 東陽町駅 0.9 15.8  
T-15 南砂町駅 1.2 17.0  
T-16 西葛西駅 2.7 19.7   地上区間 江戸川区
T-17 葛西駅
地下鉄博物館前)
1.2 20.9 待避可能駅
T-18 浦安駅 1.9 22.8   千葉県 浦安市
T-19 南行徳駅 1.2 24.0   市川市
T-20 行徳駅 1.5 25.5  
T-21 妙典駅 1.3 26.8 待避可能駅
T-22 原木中山駅 2.1 28.9 待避可能駅 船橋市
T-23 西船橋駅 1.9 30.8 東葉高速鉄道TR 東葉高速線 (TR01) (東葉勝田台駅まで直通運転)
東日本旅客鉄道:総武線(各駅停車)(平日の朝夕のみ津田沼駅まで直通運転)武蔵野線京葉線
京成電鉄KS 本線京成西船駅:KS20、徒歩連絡、連絡運輸なし)

テンプレート:Reflist

  • 改札内乗り継ぎが可能な駅は茅場町駅日比谷線)・日本橋駅銀座線)・大手町駅(丸ノ内線千代田線・半蔵門線、丸ノ内線・半蔵門線は改札外乗り換えが一般的)の3駅である。
  • 中野駅は他社接続の共同使用駅で、東日本旅客鉄道の管轄駅である。
  • 西船橋駅は他社接続の共同使用駅で、東京地下鉄の管轄駅である。

その他

  • 営団地下鉄時代に車内に掲出していた路線図(メトロネットワーク)では、東西線は中央部を貫くように一直線で描かれていた。東京地下鉄となってからの自社車両では使われていないが、東葉高速鉄道の車両ではほぼ営団当時のものと同様の路線図(末端の西船橋駅からさらに東葉勝田台駅まで直線で延長したもの)を掲出している。
  • 車体帯のブルーは東義胤運転部・車両部分掌理事(当時)の指示によりタバコの「ハイライト」の色から取られたという。そのため、当時の営団内ではラインカラーは「ハイライトブルー」と呼ばれていた[18]
  • 南砂町駅 - 西葛西駅間にある荒川中川橋梁は1,236mあり、日本の鉄道橋の長さでは上位に位置している。これは隣接している2つの川(荒川中川)を1つのトラス橋で渡るためである。両端は河川上ではないがトラスが続いている。
  • 2008年現在、国土交通省新鉄道技術省令の解釈基準で電車線の勾配を最大で35‰と規定しているが、早稲田 - 神楽坂間には40‰の勾配が存在する。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 「鉄道ファン」2004年9月号 特集:東京メトロ(交友社)
  • 「MY LINE 東京時刻表」各号(交通新聞社)

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:東京の地下鉄路線
  1. 地下鉄営業路線の概況(東京メトロ) - 日本地下鉄協会
  2. PHP研究所「東京メトロのひみつ」参照。
  3. 快速の表定速度の43.4km/hは東京地下鉄と同じ大手私鉄である相模鉄道本線いずみ野線横浜 - 二俣川 - 湘南台間で運転している快速や、南海電気鉄道高野線難波 - 極楽橋間で運転している一部の特急こうや」および快速急行の表定速度に匹敵する。
  4. テンプレート:Cite web
  5. 日本の地下鉄 - 日本地下鉄協会
  6. 東京メトロニュースリリース 2007年11月26日
  7. 東京メトロニュースリリース 2008年11月17日
  8. 東京メトロニュースリリース 2009年11月16日
  9. テンプレート:PDFlink - 東京地下鉄、2010年11月17日
  10. テンプレート:PDFlink - 東京地下鉄、2011年3月
  11. 都電の前身で1906年から1911年まで東京の路面電車を経営していた東京鉄道とは別。
  12. 当答申では、5号線の終点が東陽町から船橋に変更されて国鉄線と接続することが示されたほか、5号線の分岐線である大手町 - 下板橋間が6号線として切り離された)。
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 13.4 テンプレート:Cite web
  14. 鉄道ピクトリアル』西武鉄道特集のインタビュー記事より
  15. 2005年7月20日『交通新聞』より
  16. 所沢市議会会議録平成22年3月定例会
  17. テンプレート:Cite web
  18. 里田啓「私の鉄道人生75年史」その10 「鉄道ピクトリアル」2007年10月号


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