大宇陀町

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ファイル:Oouda oldtown.jpg
大宇陀町中心部の町並

大宇陀町(おおうだちょう)は奈良県宇陀郡にあった。2006年1月1日に菟田野町榛原町室生村と合併し宇陀市となり、2011年3月までは地域自治区として大宇陀区が存在した。

地理

県東北部大和高原の南端部に位置し、宇陀川流域の小盆地に小規模ながら中心市街(旧松山町域)が広がる。町域の東及び南は音羽三山など標高800〜900mの竜門山地桜井市吉野町との境界をなす。町域の北部と西部は標高350〜400mの丘陵地からなり、榛原町菟田野町と接する。町域の中心部、旧松山町域の西には標高471mの城山がそびえる。

町域の大部分は淀川水系の宇陀川及びその支流の流域だが、南部の旧上竜門村域の西半分は紀の川水系の津風呂川流域になる。

面積の大部分を山林が占め、丘陵間の谷地は田畑として利用されている。市街地は宇陀川と城山の間の細長い平地にのびる。

国道370号が町域の中心を宇陀川・津風呂川沿いに南北に貫く。桜井市より延びる国道166号は北西女寄峠より町域に入り、旧松山町域で国道370号と交差して東の菟田野町へ抜ける。最寄りの鉄道駅は北方の近鉄大阪線榛原駅で、町域に鉄道はない。

歴史

古代には阿騎野と呼ばれ、宮廷の狩場となった。柿本人麻呂が阿騎野で詠んだ歌

「東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」

で有名である。延喜式内の阿紀神社(迫間)が鎮座する。

中世には地侍出身の秋山氏が支配したが、その後支配者が入れ替わり、17世紀には織田松山藩3万石の城下町となった。織田氏転封後は幕府直轄領となり、明治維新を迎える。

沿革

姉妹都市

県の施設

教育

合併後、小中学校は宇陀市立となった。

交通

道路

名所・旧跡・観光スポット

関連項目

外部リンク