水谷正村
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水谷 正村(みずのや まさむら、大永4年1月17日(1524年2月21日) - 慶長3年6月20日(1598年7月23日))は戦国時代の武士。結城氏の家臣である水谷氏の当主。
出自
常陸国下館城(現在の茨城県筑西市)城主。水谷治持の嫡男、もしくは水谷勝吉または水谷正吉の子で治持の養子。水谷氏は結城氏と同じく藤原秀郷流の名家で、結城氏の重臣である。法号である蟠龍斎(はんりゅうさい)の名でも知られている。なお、実名については主君・結城政勝の一字拝領を受けた「政村」が正しい表記であるとする説がある。
略歴
下館城主で、武勇に優れたことから主君・結城政勝の娘婿となり、「結城四天王」の一人となった。また、宇都宮氏との戦いでいくつもの戦功を挙げる。永禄9年3月10日(1566年)には禁裏御料所回復の功により山科言継の推挙で従五位下伊勢守に叙任された。永禄12年(1569年)に弟の勝俊に家督を譲った後は出家して蟠龍斎と名乗る。
その後、北条氏と対抗するために、結城氏と佐竹氏や徳川氏、那須氏との連携を図った。また、天正13年(1585年)の下野国田野城(現在の栃木県益子町)攻略では、落城間際に益子氏に派遣された城主羽石時政が最後の突撃を仕掛けた時にそこに居合わせた蟠龍斎と時政の間で一騎討ちとなり、蟠龍斎がこれを討ち取ったと伝えられている。豊臣秀吉の小田原征伐後は結城氏から独立した大名にまでなり、後の下館藩の基礎を築く。
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