東宮御所
東宮御所(とうぐうごしょ)は、皇太子の居所である。現在の東宮御所は東京・赤坂の赤坂御用地にあり、皇太子徳仁親王、皇太子妃雅子、愛子内親王が住んでいる[1]。
目次
概要
東宮とは皇宮から見て東方に位置する宮であり、東は五行説で春に相当するため春宮(とうぐう/はるのみや)とも記され、易では長子を意味する震卦にあたることから、皇太子の住居とされた。さらに皇太子の家政機関として律令で春宮坊(とうぐうぼう)が定められていた。『職原抄述解』によると東宮は御座所を、春宮は官舎を呼んだもので、唐に皇太子付きの左春坊、右春坊という役所があったためそれに倣って春宮坊と呼んだものが、のちに混用されて皇太子自身を東宮とも春宮ともいうようになった[2]。
東宮御所には古くは内裏内の昭陽舎(梨壺)を充てていたが、鎌倉時代以後は小御所で儀式を行うのが慣例であった。東京奠都後は天皇の御所とは別の場所に東宮御所が充てられるようになった。
東宮御所とは皇太子の御所を示す用語であり特定の場所を示すものではないが、現在は赤坂御用地内にある徳仁親王の御所を指すことが多い。
もともとは御料地などとともに皇室財産であった東宮御所であるが、敗戦と日本国憲法の発布後には日本国の所有に移され、国有財産たる皇室用財産として皇室の用に供せられている[3]。
現在の東宮御所
現在の東宮御所は、「赤坂東宮御所」とも呼ばれ、継宮明仁親王の御所として、貞明皇后の大宮御所の跡地に建設され、1960年(昭和35年)4月に竣工した。
谷口吉郎の設計による鉄筋コンクリート地上2階、地下1階建てで、御座所棟と事務棟に分かれる。御座所は更に表公室と奥私室に分かれる。
1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇が崩御し、今上天皇が践祚するが、その後も当地に住み続けたため、「御所」(赤坂御所)とされ、1993年(平成5年)12月に吹上御苑内の皇居半蔵門近くに新築された御所に天皇・皇后と紀宮清子内親王が転居した後は徳仁親王の東宮御所となった。
改修工事
現在の東宮御所は竣工より50年近く経過しており、建物の老朽化が著しくなった。この為、2008年(平成20年)8月より1年間、私室と事務棟の配管の交換や内装の張り替えなどの改修工事が行われた。併せて屋根に太陽光発電用のソーラーパネルを設置しトイレにLED照明を設置するなどのエコロジーを考慮した改修も行われた。総工費は約10億円。この工事期間中、皇太子一家は赤坂東邸を東宮仮御所とした。
歴史上の東宮御所
平安京内裏昭陽舎
平安京では内裏内の昭陽舎が東宮御所とされた。
朝仁親王 東宮御所
天和三年(1683年)に皇太子となった朝仁親王は、貞享三年(1686年)に天皇の御所とはべつに東宮御所を構えた。 それは現在の京都御苑内の仙洞御所の地にほぼ該当する。
京都御所御花御殿
以後、東宮の独立した御所は置かれず御花御殿などに住まった。また、東宮の儀式は小御所で行われ、昭陽舎代と呼ばれた。
元赤坂東宮御所
明治天皇の皇太子(東宮)である明宮嘉仁親王(後の大正天皇)の東宮御所として旧紀州徳川家中屋敷の敷地に建設される。現在の東宮御所と区別するため旧東宮御所とも呼ばれる。
建設は 1899年(明治32年)に始まり、10年後の1909年(明治42年)に完成する。建物はネオ・バロック様式で片山東熊が設計し日本最初の宮殿建築となった。このときの建物は現在も残り、迎賓館として用いられている。嘉仁親王の天皇即位後は離宮(赤坂離宮)となった。
高輪東宮御所
大正天皇の皇太子(東宮)である迪宮裕仁親王(後の昭和天皇)は港区の高輪御殿を東宮御所とし、結婚後は赤坂離宮(現在の迎賓館)に移った。
御所の表門は東京国立博物館敷地内に移築され現存する。
青山東宮御所
迪宮裕仁親王は結婚後に青山御所(赤坂御用地南西)に移り住み東宮御所とした。