芦屋町
テンプレート:Infobox 芦屋町(あしやまち)は、福岡県遠賀郡・遠賀川河口に位置する町で、北九州都市圏を構成する自治体である。周辺市町と比べ公共交通の便が良いとはいえず、2002年に過疎地域に指定されたが、近年は遠賀川東岸で北九州市のベッドタウン化が進む。
目次
地理
遠賀川の河口両岸に町域があり西岸に町役場など町の中心街があるが、それ以外の西岸地域は大半が航空自衛隊芦屋基地の敷地とそれに隣接する芦屋競艇場の敷地で占められている。また遠賀川の水域面積も広く、実質的な可住区域は7.37km²と狭い。そのため、中高層住宅地区もあり市街地の集積度は人口比に対しては高い方である。町の北側は玄海国定公園に指定されている響灘に面しており、夏には海水浴客で賑わう芦屋海水浴場などがある。冬は強い北西の季節風が吹き、福岡県内でも風の強い地域である。寒波の時でも強風によりほとんど積雪しない地域であるが、その代わりに暴風や波浪に注意が必要な日もある。
隣接する自治体・行政区
町勢
隣接する北九州市との密接な繋がりがあり、同市のベッドタウンとなっている。遠賀川を挟み西岸地区には古くからの市街地が形成されており、開発できる土地が限られ、また著しく公共交通の利便性が悪いため周辺市町への人口流出が止まらず、人口は減少している。近隣の遠賀郡遠賀町や北九州市若松区高須地区などへの転出も多い。一方、遠賀川の東岸では2000年代に入り、約480戸の分譲団地が開発された。町全体としては人口は減少傾向である。
人口
- 20代の男性が多いのは、航空自衛隊の隊員が基地内に定住しているためである。
地名
- 芦屋
- 山鹿
以下は住居表示の実施により発足した町である。
- 祇園町(1966年、芦屋より発足)
- 幸町(1966年、芦屋より発足)
- 白浜町(1966年、芦屋より発足)
- 正門町(1966年、芦屋より発足)
- 船頭町(1966年、芦屋より発足)
- 高浜町(1966年、芦屋より発足)
- 中ノ浜(1966年、芦屋より発足)
- 西浜町(1966年、芦屋より発足)
- 浜口町(1966年、芦屋より発足)
- 緑ヶ丘(1966年、芦屋より発足)
- 山鹿(1967年、山鹿より発足)
- 江川台(1982年、山鹿より発足)
- 花美坂(1999年、山鹿より発足)
歴史
弥生時代後期には「岡の津」と呼ばれ、豊津・宇佐と共に三大軍港の一つとして有名であった。当時は奥の深い広大な湾を成していたが、長年の遠賀川からの土砂の堆積と干拓により、かつての面影は無い。平安時代中期から芦屋津(港)として記録に残る。
1185年、葦屋浦の戦い(治承・寿永の乱)の合戦場となった。同年平家が滅び、鎌倉幕府の誕生と共に、幕府の命により、宇都宮氏が地頭として赴任してきた。およそ1200年頃、土御門天皇の代に、宇都宮氏により「芦屋釜」が興された。
江戸時代から明治初期にかけては遠賀郡、筑豊の海陸、河川交通の要衛として栄え、現在の北九州市西部を含む郡域を統括する郡役所が設けられたほか、行政機関・学校等も置かれ地域の中心都市として繁栄した。
しかし、後に開通した筑豊興業鉄道、九州鉄道の路線が町域を通らなかったこと、1901年官営製鉄所が当時の八幡村に進出したことなどにより洞海湾沿岸部の村々が急激に都市化、また鉄道により折尾や若松が大いに発展したため地域の中心都市という優位性はなくなり、また交通の要衛から陸の孤島へと立場は変わり、行政機関は折尾村へ移転、1900年頃には1万人を超えていた人口は、1940年頃には6000人ほどにまでに減少し、衰退した。
しかし1941年、北九州工業地帯の防衛のために新設された陸軍芦屋飛行場が完成し、敗戦後は米軍が接収する。1950年に朝鮮戦争が勃発すると芦屋基地は爆撃機の前線基地となったことで繁栄、隊員相手の歓楽街が形成され一気に人口は倍増した。それまで野原や芋畑ばかりであった現在の正門町地区にビアホールやダンスホール、遊興施設などが続々と完成しまさに眠らない町となった。
しかし、朝鮮戦争が休戦すると次第に米軍の規模は縮小。潮を引いたかのように好景気は去っていった。基地はその後1960年には返還される事となった。 この間人口は15,000人前後で、一進一退の状態であった。緑ヶ丘に存在した三井工作所の跡地に日本鋳鍛鋼の社宅を誘致、撤退した米軍基地の後継として航空自衛隊を誘致したため人口は急増、1970年代には2万人目前に迫ったものの、これをピークに人口は減少することとなった。
沿革
江戸時代には廻船問屋なども立ち並び活況を呈した。また、明治時代初頭にかけ、筑豊炭田の積出港として繁栄した。
- 1873年(明治6年) - 芦屋村市場町(現・西浜町)に遠賀郡役所設置。
- 1898年(明治31年) - 遠賀郡役所が折尾に移転。
- 1915年(大正4年) - 芦屋鉄道(遠賀川 - 西芦屋間)開業。
- 1931年(昭和6年) - 芦屋鉄道営業休止(事実上の廃止)。
- 1939年(昭和14年) - 旧日本陸軍が芦屋町内に飛行場を建設。
- 1945年(昭和20年) - 飛行場が米軍により接収され、朝鮮戦争時には爆撃機や輸送機の基地として使用された。
- 1947年(昭和22年) - 芦屋線開業(米軍基地関係者のみ利用可能、1950年(昭和25年)に一般乗客に開放)。
- 1952年(昭和27年) - 遠賀川水面にて芦屋競艇場初開催。
- 1961年(昭和36年) - 米軍が芦屋基地から撤退したのち航空自衛隊芦屋基地開設。芦屋線廃止。
- 1969年(昭和44年) - 芦屋競艇場が現在地に移転。
- 1979年(昭和54年) - 「遠賀・中間地域広域行政事務組合」設立(構成市町:中間市、遠賀郡4町、宗像郡玄海町)。
- 1998年(平成10年) - 栃木県佐野市と親善都市提携。
- 2007年(平成19年) - 上水道事業を北九州市に統合。
行政区の変遷
市町村合併
- 合併をめぐる経緯
かつては競艇場の収入と自衛隊の交付金等で、京都郡苅田町と並んで裕福な町であった。その甲斐あり町庁舎や大規模な町営住宅群が建設され、下水道も全国トップ水準に整備された(全世帯の99%以上)。また、敬老補助や教育補助も手厚かった。そのため住民、行政とも合併には消極的であった。しかしその後、競艇事業が低迷し財政の悪化とともに合併推進派が現れ、次第に町を二分する大論争となり、2003年3月に住民投票が実施された。結果、合併賛成票が逆転で上回り遠賀郡4町での法定協議会に参加した。新市名・遠賀市となる方向で準備は進んでいたが、2004年9月に隣の遠賀郡岡垣町で行われた住民投票で反対意見が上回ったため同町が離脱し、法定協議会は解散した。
行政
町長
- 波多野茂丸(2期目)
- 任期:2015年4月30日
町議会
- 条例定数:13人(法定上限議員定数:22人)
- 任期:2015年4月30日
親善・姉妹都市
警察
- 折尾警察署管轄
- 芦屋交番
元々は、1875年(明治8年)に芦屋町内に警察掛巡視所(2年後の1877年(明治10年)に芦屋警察署と改称)が設置され、その後1891年(明治24年)に折尾に芦屋警察署管轄の派出所が設置された。その後芦屋町内の警察署は折尾に移転する形で廃止、戦後には自治体警察の芦屋町警察署が設置されていた。警察法の改正により廃止され町内全域および町内の派出所は現在折尾署の管轄となっている。米軍基地もあった関係で1967年まで芦屋警部派出所、1971年まで芦屋警部補派出所、以降は芦屋派出所→交番となっている。
国防
産業・経済
漁業
商業
個人商店のみ。郊外型大規模小売店は町内には無い。コンビニ、弁当店以外の全国チェーンの小売店すら存在しない。それらもJR九州系列の1店舗を除いて個人業者がFC営業している。
- 昭和30-50年代までは芦屋橋から南へ伸びる本町通り商店街が栄えており、近隣市町からの買物客も多数いた。また映画館も存在していた。
- 航空自衛隊芦屋基地が進出すると、町の中心部は次第に正門通り地区へ移りアーケード付きの商店街が形成された。昭和50年代から近隣市町に続々と駐車場を持つ大型店が進出したことから、町外からの買物客が減少するとともに町内の買い物客も町外へ流出することとなった。それでも2000年代前半までは、夕刻や土曜日の午前には活気のある商店街であった。しかし2007年には商店街の核となっていたスーパーが撤退、客離れが深刻化している。日中には活気のない商店街も、夜間は現在も自衛隊向けの個人経営の居酒屋・スナック等が多数営業している。
- 2012年、買い物弱者対策のため全国でも例のない「公設民営」方式のスーパーが中心部に開店した。しかしその後、近接する民間ス-パーマーケットが撤退するなど、新たな問題も発生している。
教育
町内には町立の小中学校のみ存在する。公立高校普通科の学区は福岡県第4学区である。
- 小学校
- 芦屋町立芦屋小学校
- 芦屋町立芦屋東小学校
- 芦屋町立山鹿小学校
- 中学校
航空自衛隊芦屋基地があり、演習時にはかなりの騒音が発生する。一部防音施工されているが、各学校教室の冷房設備等は基本的にはない。 校舎建造当時の芦屋小学校、芦屋東小学校は児童数が600-800名超と多く校舎を2棟建築したが、山鹿小学校は300名台で、他校の半分程度であったため1棟となっている。
2000年代に入り、芦屋小学校、芦屋東小学校では校区の過疎化と高齢化により児童数は200名程度まで大幅減少。空き教室が大量に発生している反面、山鹿小学校では児童数が約500名にまで増加し教室が不足しており、プレハブ校舎を増設して対応している。
交通
空港・鉄道・高速道路
町内に空港・鉄道・高速道路はいずれも存在しない。
- 最寄の空港
- 最寄駅
- 最寄の高速道路・インターチェンジ
- 西日本高速道路:九州自動車道八幡インターチェンジ
- 福岡北九州高速道路公社:北九州高速4号線黒崎出入口(折尾)
- 国道3号までは南に約5kmの距離であり10分程度で到達できる。自家用車を利用する場合は周辺市町とほぼ遜色ないアクセスが可能である。
バス
主に町内各地から近隣の鉄道駅を結んでいる。自衛隊前バス停から折尾駅までは約7kmである。1990年代までは経路により異なるものの、15-25分程度で運行していた。利用者の減少、沿線郊外の宅地化により年々経路が遠回りになり、2013年現在では約35分-40分を要す。乗換時分がさらに上乗せされるため、折尾駅を介した乗換には1時間程度を要することも珍しく無い。交通至便な近隣地域と比べると交通の便は極めて悪い。 近年減便が続いている交通局路線の中では数少ない黒字系統でもあり、朝夕や利用者の多い土休日に積極的な増便を行う、快速系統や廃止されていた最速系統の一部復活等の積極策も実施されてはいる。
しかし、北九州市交通局の運行エリアではあるが市外区間であり、扱いは市内と同等とは言えず北九州市交通局発行の「ふれあい定期」は芦屋町域は利用不可で、障がい者の優待乗車制度も芦屋町民は利用できない。事実上現金またはバスカードの利用、または一般の定期券を購入しなければならない。西鉄バス北九州のような定額定期券は発売されていない。また、水巻町とは異なり芦屋町内のバス停は利用者が多い停留所においても行灯式や大型タイプのバスポールは設置しない。停留所の屋根に関しては芦屋町で整備している。
芦屋タウンバスは通常の定期・回数券のみ(割引率は一般路線バスと同程度)、他の自治体のコミュニティバスでよく見られる高齢者の割引はない。
- 西鉄バス北九州・北九州市交通局共同運行
- 北九州市交通局
- 7 鶴松団地→花野路一丁目→青葉台→畠田→脇の浦→上原(若松高校前)→若松区役所→若松渡場
- 80 粟屋 - 梅ノ木 - 頃末(水巻町中心部) - 折尾駅 (現在は早朝の1往復のみの運行)
- 87 粟屋→鶴松団地→三ツ頭→折尾駅西口 (一時期廃止されていたが通勤ラッシュ時に片道1本運行)
- 90 粟屋・鶴松団地 - 花野路一丁目 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅(朝の折尾行き2本は快速)
- 91 鶴松団地 - 芦屋総合体育館 - 花野路中央 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅
廃止されたバス路線
- 西日本鉄道→西鉄バス宗像→西鉄バス北九州
- 北九州市交通局
- 粟屋 - 町役場 - はまゆう団地
- 粟屋 - 江川橋 - 高須公営住宅 - 折尾駅
- はまゆう団地 - 町役場 - 花野路一丁目 - 青葉台 - 高須 - 折尾駅
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- アクアシアン(町営レジャープール)
- 芦屋海水浴場 - 毎年8月下旬に『砂浜の美術展』があり、毎年メイン砂像など巨大な砂像が造られる(現在テンプレート:いつは財源不足のため休止中)。
- 芦屋釜の里 - 鎌倉時代から江戸時代初期にかけて作られた芦屋釜の研究、復元保存、展示を実施している。
- 神武天皇社
- 岡湊神社
- 狩尾神社
- 須賀神社
- 麻生神社
- 秋葉神社
- 千光院大蘇鉄(日本三大蘇鉄)
- 芦屋歴史の里(歴史民俗資料館)
- 筑前芦屋 朴鶏の郷
- 夏井ヶ浜(はまゆう群生地)
- 狩尾岬(千畳敷)
- 堂山・洞山
- 国民宿舎マリンテラスあしや
公営競技
祭事・催事
- 鉄供養(岡湊神社・千光院大蘇鉄) - 2月8日
- 人形感謝祭(岡湊神社) - 4月末日
- なんじゃもんじゃ開花(岡湊神社) - 4月末日〜5月上旬
- 芦屋祇園山笠(岡湊神社・狩尾神社) - 7月中旬
- あしや花火大会(芦屋町観光協会) - 7月下旬
- 精霊流し - 8月15日
- 八朔の節句 - 9月1日(国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択を受けている)
- 筑前芦屋だごびーなとわら馬まつり - 9月下旬(八朔の節句にちなむ)
- 潮風ウォーキングin芦屋 - 9月下旬
- 芦屋基地航空祭(航空自衛隊芦屋基地) - 10月
以下は2013年現在休止、または中止されている。
- 砂浜の美術展(芦屋海水浴場)- 8月下旬
- 芦屋サンバフェスティバル
- 芦屋ロードレース - 9月
芦屋町出身の有名人
- 小野蕪子(俳人)
- 中西千枝子(元バレーボール女子日本代表主将)
- 高木淳也
- 吉高寿男(作家)
- 間下隼人(プロレスラー)
- 吉田磯吉(衆議院議員)
- 吉田直(小説家)
- 森田悟(お笑い芸人、スパローズ)
- 川上剛(ボートレース選手)
映画
下記の映画作品の撮影が当町で行われた。
妖怪
- 海女 (妖怪)が当町の海に出没したという伝承が残っている。
脚注
外部リンク
- ↑ 食事ができる活魚センター「海の駅」、九州農政局。テンプレート:リンク切れ