吉田神社
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テンプレート:Otheruseslist テンプレート:神社 吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
祭神は以下の4柱(春日神と総称)で、勧請元の春日大社と同じ。()内の漢字は春日大社での表記。
歴史
貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まる。後に、平安京における藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになった。『延喜式神名帳』への記載はない(式外社)が、永延元年(987年)より朝廷の公祭に預かるようになり、正暦2年(991年)には二十二社の前身である十九社奉幣に加列された。
鎌倉時代以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになった。室町時代末期の文明年間(1469年 - 1487年)には吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を創始し、その拠点として文明16年(1484年)、境内に末社・斎場所大元宮を建立した。近世初めには吉田兼見が、かつて律令制時代の神祇官に祀られていた八神殿(現在はない)を境内の斎場に移し、これを神祇官代とした。寛永5年(1665年)、江戸幕府が発布した諸社禰宜神主法度により、吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、明治になるまで神道界に大きな権威を持っていた。
摂末社
摂社
- 若宮社
- 祭神:天忍雲根命
- 春日大社にも天忍雲根命を祀った若宮神社がある。
- 地域の地主神で、『延喜式神名帳』に記載のある霹靂神だと言われている。例祭は9月23日で神幸祭が10月最終日曜に行なわれる。
末社
- 斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)
- 祭神:天神地祇八百万神
- 延喜式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀る。八角形の本殿に六角の後房を付けた、極めて特異な形状をしており、重要文化財に指定されている。
- 神龍社
- 祭神:吉田兼倶(神龍大神)
- 社殿内と境内に、四神を配した石がある。
- 菓子の神(菓祖)として製菓業者の信仰を集める。
- 藤原山蔭は吉田神社の創始者で、四条流庖丁道の創始者とされ、自身も料理の神として信仰を受けている。
- 三社社
- 竹中稲荷神社
- もとは独立した神社。吉田神社の末社となった。
ほか多数
主な祭事
- 節分大祭(2月2日-4日)
- 例祭(4月18日)
文化財
重要文化財(国指定)
- 斎場所大元宮
- 平面八角形、屋根を入母屋造茅葺とし、背後に平面六角形の後房を付す特異な形式の社殿。建立年代は1601年(慶長6年)と推定される。1902年(明治35年)7月31日、特別保護建造物(文化財保護法下の「重要文化財」に相当)に指定。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
- 駐車場:有り
- 周辺
- 吉田幼稚園 - 境内に所在
- 京都大学吉田キャンパス
関連図書
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、64頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、350頁
- 菅田正昭『日本の神社を知る「事典」』日本文芸社、1989年、128-131頁
- 上山春平他『日本「神社」総覧』新人物往来社、1992年、174-175頁
- 『神道の本』学研、1992年、207頁
関連項目
外部リンク
- 吉田神社(公式サイト)