クスコ

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クスコ (Cusco;Qusqu) は、ペルーの南東クスコ県の県名および県都の地名。アンデス山脈中の標高3600mにある。現在の人口はおよそ30万人。

クスコとは、ケチュア語 (Quechua) で、「へそ」を意味し、タワンティン・スウユ(Tawantinsuyu、インカ帝国の正式名称)の首都であり、文化の中心だった。現在でもペルーで有数の都市のひとつである。

歴史

キルケ文化

ファイル:Sacsaywaman.JPG
サクサイワマン遺跡(1989年10月撮影)

1200年代にインカ人が移住して来る前、900年から1200年にかけてキルケ人がこの地域を支配していた。クスコ郊外のサクサイワマン要塞の遺跡を炭素14法(放射性炭素年代測定)で分析したところ、1100年頃のキルケ文化による要塞であることが判明した。その後、1200年代以降にインカ人勢力がここを占拠した。2008年3月13日、考古学者により古代の寺院、道路、導水設備の遺跡がサクサイウアマンで発見された。2007年の発掘調査の結果、寺院が要塞の脇で発見され、要塞には軍事的な機能だけでなく、宗教的な機能があったことが示された。

インカ時代

1200年代から1532年までの間、クスコはインカ帝国の首都であった。クスコの町並みは、聖なる動物であるピューマをかたどったものとの説があるが、証明はされていない。インカ人の統治下で、町はUrinHananの2街区に分かれ、それぞれが更に2つに分けられていた。4つの街区は、北西のChinchasuyu、北東のAntisuyu、南西のQontisuyu、南東のCollasuyuであった。道路はそれぞれの街区から、対応する帝国の州邦(suyu、スウユ)に伸びていた。それぞれの州邦の指導者は対応する街区に家を建て、毎年、一定期間クスコに住まなければならなかった。

パチャクテクの治世以降、皇帝が亡くなると、帝位は息子のひとりが引き継ぐ一方で、その財産は残る一族の者に分け与えられた(分割相続)。したがって帝位継承者は自ら一家を興し、自分が死んだ後の子孫を扶養するために、新しい領地を帝国に加える必要があった。

インカの伝説によると、クスコはサパ・インカパチャクテクによって建設された。彼はクスコ王国を、活気のない町から巨大なタワンティン・スウユ帝国へと変えた。しかし、考古学的な証拠によると、パチャクテクの統治以前から町は徐々に有機的に発展していた。町は決められた計画によって建設され、2つの川は町を取り囲むように注ぎ変えられた。クスコの都市計画は、帝国の他の町に模倣された。

1527年のワイナ・カパックの死後、クスコはアタワルパの支配領域となった。1532年4月、町はアタワルパ軍に占領された。 (w:Battle of Quipaipan) その19ヵ月後、町はスペイン人征服者に侵略された(クスコの戦い (w:Battle of Cuzco) )

スペイン人による征服

1533年11月15日、最初のスペイン人がクスコに到着した。征服者のフランシスコ・ピサロが公式に到着したのは、1534年3月23日であった。

植民地化の結果は都市の建築を通してみえる。侵略の後、スペイン人植民者は数多くのインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した。彼らは破壊で残った壁を、新都市建設の土台として使用した。そして数多くの教会、女子修道院、大聖堂、大学、司教区を建設した。インカ帝国古来の建築方法に、スペインの影響が融合した建造物であった。スペイン人は土着の寺院をカトリック教会に、宮殿を彼ら侵略者の住居に変え、キルケ構造のターワンティンスーユ (w:Tawantinsuyu) を伴うなど、クスコの建造物は重厚な文化が融合していた。インカ人がキルケ構造の上に建造物を建てたように、スペイン人はインカ人によって建てられた巨大な石の上に建造物を建てた。スペインの建物は、インカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。これらインカ時代の石積みは、石と石の間に「カミソリの刃一枚通さない」と言われる巧緻さである。また、周囲にはサクサイワマン遺跡やケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。

クスコはアンデス地域において、スペイン植民地とキリスト教布教の中心であった。農業、牧畜、鉱山やスペインとの貿易のおかげで、クスコはおおいに繁栄した。

現在

現在は、マチュ・ピチュ遺跡との間、およびチチカカ湖のほとりのプーノとの間にペルー南部鉄道が走っているほか、首都リマからは空路で接続されている。バスも各地との間に運行されているが、道が悪く、特に雨期は空路・鉄道と比べて確実ではない。

気候

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世界遺産

テンプレート:Infobox クスコの市街は、1983年世界遺産文化遺産)に登録された。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core

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姉妹都市

都市 姉妹都市になった年
ラパス テンプレート:Flagicon ボリビア 1984年1月3日
バギオ テンプレート:Flagicon フィリピン 1984年8月23日
サマルカンド テンプレート:Flagicon ウズベキスタン 1986年8月4日
メキシコシティ テンプレート:Flagicon メキシコ 1987年6月17日
京都市 テンプレート:Flagicon 日本 1987年9月19日
クラクフ テンプレート:Flagicon ポーランド 1988年11月8日
ニュージャージー州 テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 1988年11月8日
シャルトル テンプレート:Flagicon フランス 1989年10月21日
ケソン テンプレート:Flagicon 北朝鮮 1990年10月22日
アテネ テンプレート:GRE 1991年9月18日
モスクワ テンプレート:Flagicon ロシア 1993年6月23日
サンタバーバラ テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 1992年8月29日
ハバナ テンプレート:Flagicon キューバ 1993年11月22日
ベツレヘム テンプレート:PAL 1993年10月22日
エルサレム テンプレート:Flagicon イスラエル 1996年3月23日
コパン テンプレート:Flagicon ホンジュラス 1996年4月11日
西安 テンプレート:Flagicon 中国 1998年6月21日
ポトシ テンプレート:Flagicon ボリビア 1998年6月22日
クエンカ テンプレート:Flagicon エクアドル 2000年3月14日
リオデジャネイロ テンプレート:Flagicon ブラジル 2003年10月10日

脚注

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関連項目

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