アンデス山脈

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:山系 アンデス山脈(アンデスさんみゃく、テンプレート:Lang-es)は、主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmに亘る世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラコロンビアエクアドルペルーボリビアアルゼンチンチリの7カ国にまたがる。 最高峰はアコンカグア(6960m・一説には7021m)で、6000mを越える高峰が20座以上聳え立っている。新生代第三紀末(鮮新世)から現在までの太平洋プレートナスカプレートと南米大陸のぶつかり合いで隆起してできたと考えられている。

地形と地質

上記のように海洋プレートの沈み込み帯の上側に乗った大陸プレートが、海洋プレートからの圧力を受けて隆起してできたと考えられている。この構造は日本列島とよく似ており、沖合には沈み込み帯に由来する海溝が存在し、山脈上にはたくさんの火山が噴出し、海溝周辺では度々チリ地震などの大きな地震が起きている。

南緯42度以南は高度は2,000m程度であまり高くないが、寒冷な気候と西風による降水で氷河地帯を形成する。北へ行くにつれ高度を増し、35度付近で3,000mを越す。アンデス山脈はこの付近から大山脈となり、32度には最高峰アコンカグア山がそびえる。南緯28度以北では山脈の幅が広がり、南緯15度くらいまで最も幅の広い地区となるが、この中でも最も広くなるボリビアでも幅は600km程度にしかならない。しかし、この地区のアンデスはペルー南部からボリビアにかけて、高度3500mから4500mあたりに広大で平坦な高原であるアルティプラーノ(海抜約4,000m)が広がっている。そこにはチチカカ湖ポーポー湖などの湖が広がり、ボリビアの首都ラパスやインカ帝国の首都だったクスコなどの大都市があって、ボリビアの人口の大半はこの高原部に集中している。その北も高原や肥沃な谷が広がっており、多くの人々が居住する。山脈が分かれた間には平坦な土地も多い。

ペルーからエクアドルにかけての国境付近でアンデスはいったんやや高度が低くなる。これより北は北アンデスとも呼ばれる。北アンデスも高原や肥沃な谷間が点在し、人口密度は高い。主な集住地としては、エクアドルの首都キト近辺のキト盆地(海抜約2,800m)、コロンビアの首都ボゴタ近辺のクンディナマルカ高原(海抜約2,600m)などがある。エクアドルではアンデス地域はシエラ(山地)と呼ばれ、オリエンタル・オクシデンタルの両山脈に別れて北へ伸び、キトやクエンカなどの都市が位置する。キトで赤道を越えるが、この付近には4,000mを越える稜線の上にチンボラソ(6,267m)や、世界最高の活火山であるコトパクシ山(5,897m)などたくさんの火山が噴出している。赤道を越えると山脈は徐々に東向に方向を変え、コロンビア国内に入ると東部山脈、中央山脈、西部山脈の3つに分かれ、点在する高原や盆地にはボゴタやメデリンカリといった大都市が位置する。さらにこのうちの東部山脈は北進し、ベネズエラ国内に入ってメリダ山脈となり、西へと向きを変えてベネズエラ高地となる。首都カラカスのある中央高地もこの一部である。そしてその西で高度を下げ、カリブ海に没して終わる。

アンデス山脈は有用な鉱物が多く、古来からののほかにチリには近代的な銅の大鉱山が操業している。金・銀はスペインの中南米侵略以降の数百年の間に掘り尽くされた感があり、現在の産出量はそれほど多くはない。錫に関しては、第二次世界大戦の前後に需要が高まり、鉱山は好景気になったが、現在は掘っても採算が取れない状況にある。近年、リチウムなどの希少金属が発見され注目されている。

気候と風土

赤道直下を含む長く高い山脈で特に南緯23度以北では、海沿いの1000m以下の平地は熱帯気候だが、2300mまでは亜熱帯気候、3300mまでの高原盆地は人の住み易い冷涼な気候、4300mまでは寒冷地帯、それ以上はツンドラや氷雪の山地となる。

このように、標高により気温が変わるということは、アンデス地方に住む人の言葉にも現れている。旅行者などがしばしば「君が生まれたところは標高どれくらいか?」という質問を受けることがあるが、これは「暖かいところで生まれたのか、寒いところで生まれたのか」を尋ねているのである。

ペルー・ボリビアやチリに広がる高地、アルティプラーノは、寒冷で乾燥した気候である。より寒冷な南部は作物の栽培にも牧畜にも適さないが、アルティプラノ北部はより赤道に近いためやや気温が高く、トウモロコシやジャガイモなどを中心に盛んに農耕がおこなわれ、また灌漑をおこなうことによりより大規模な生産をおこなうことができる[1]ため、ティワナク文化やインカ帝国など古代文明を生み出す母体となった。また、標高が高く空気が希薄であるため紫外線が強く、肌には大変良くない気候である。

アンデス山脈はジャガイモトマトなどの重要な食用植物の原産地としても知られる。特にジャガイモは、形・色・味などのバラエティが豊富である。アルティプラーノでは寒冷で乾燥した気候を生かし、ジャガイモを屋外で軽く踏んだ後に凍結乾燥させたチューニョと呼ばれる食材が有名である。

アンデス山脈は、細いが非常に高度が高い上に長く伸びているので、近隣の気候にも重大な影響を及ぼしている。アンデスの北部においては、西麓は偏西風がアンデスにぶつかるために熱帯雨林が広がっており(en:Tropical Andes)、また東麓はサバナ気候となってリャノが広がる。中部のエクアドルやペルー、チリ北部では、西麓は太平洋を寒流であるフンボルト海流が流れるために降雨がほとんどなく、砂漠気候の地域が延々と広がっている(en:Dry Andes)。アンデス山脈内には降雨があるため、そこから流れ下る川の流域のみがオアシスとなっている(en:Puna grasslanden:Central Andean wet punaen:Central Andean punaen:Central Andean dry puna)。一方、東麓には大西洋からの偏東風がぶつかるため1年中多雨であり、世界最大の熱帯雨林であるアマゾン熱帯雨林が広がっている。チリ中部やアルゼンチン中部となる南緯30度くらいより南のホーン岬(南緯56度)までになると、西麓には偏西風が山脈にぶつかる冬に降雨があるため地中海性気候となり(en:Wet Andes)、一方東麓(パタゴニア)では乾燥気候が広がるようになる。

文化

上記冷涼地域に紀元前1000年頃からチャビン文化が成立し、紀元前後からはナスカティワナクモチェなどのアンデス文明が生まれた。紀元700年頃にはペルー中央高地にワリ文化が成立し、アルティプラノにて継続していたティワナク文化との並立期を迎えた。9世紀後半頃にはモチェ文化の遺民によってチムー王国がペルーの北部海岸に成立し、シカン文化などを併合して海岸部を支配する帝国となった。1100年頃にティワナクが衰退するとチチカカ湖周辺は諸民族の抗争の舞台となったが、そのうちインカ帝国が勢力を拡大し、1476年ごろには最後の敵対する大勢力であったチムー王国を併合し、1500年頃にはインカがアンデスを制覇した。しかし、1532年のスペイン人の侵入によって、アンデスの先住民独自の文明と政治組織は滅びた。「アンデス」という名称は、このインカを興した民族であるケチュア族の言葉で東を指す「アンティ」によるものとされる。

なお、スペイン侵略以前の文明についてはアンデス文明に詳しい説明があるので、そちらも参照されたい。

山名のリスト

ファイル:ILLIMANI.jpg
イリマニ (ボリビア)
ファイル:Alpamayo.jpg
アルパマーヨ (ペルー)
ファイル:Ecuador Chimborazo fromnorthwest.JPG
チンボラソ (エクアドル)

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南から北へ順番に、主要な山のみ(標高は資料によって異なる)

Wet Andes

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パタゴニア・アンデス

Dry Andes

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チリ/アルゼンチン・アンデス

Tropical Andes

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ボリビア・アンデス レアル山群
ボリビア・アンデス その他
ペルー・アンデス ブランカ山群
ペルー・アンデス ワイワッシュ山群
ペルー・アンデス その他
エクアドル・アンデス
コロンビア/ベネズエラ・アンデス

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

地名

関連国

歴史・文化

言語

音楽

食文化

動物

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  1. 「ラテンアメリカを知る事典」p55 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷