クロンボー城

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クロンボー城(Kronborg Castle)とは、デンマークシェラン島北東部のヘルシンゲル(Helsingør、英名:Elsinore)にある古城である。2000年に、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。

デンマーク語で「ボー」(borg)は「城」を意味し、デンマークでは単にクロンボーと呼ばれる。

概要

ファイル:KronborgCastle HCS.jpg
上空から望むクロンボー城

デンマークの首都コペンハーゲンから北に約30kmの、バルト海に面した海岸線にあり、わずか幅7kmのエーレスンド海峡カテガット海峡の最奥)を挟んでスウェーデンヘルシンボリと対峙する。ヘルシンゲルの地名に関する記録の初出は13世紀にさかのぼるが、この地にカルマル同盟の盟主となったデンマーク王エーリク7世がクロンボー城の前身にあたる砦(Krogen)を築いたのは1420年代である。北欧統一の間に疲弊した経済を立て直すための策の1つとして課したエーレスンド海峡通行税の徴収拠点とするためであった。

1574年から1585年にかけて、フレゼリク2世の命により大規模な大改造が実施された。その目的は時代遅れとなった要塞機能の再強化と、加えて王宮としての機能追加であった。1585年に増改築が終了した砦は三階建てで四方を翼廊に囲まれ、外縁部に塔を備えた大規模なルネサンス様式の建造物へ変身していた。このころからクロンボーと呼ばれるようになる。

1629年9月、失火によりクロンボー城の大半が焼失した。礼拝堂はアーチが頑丈であったために失われずにすんだ。クリスチャン4世は修復費用を出し渋る王国評議会を口説き、海峡通行税を増税してまで1631年に修復工事を実施した。6年にわたる工事では塔を高くするなど防御力強化が図られると同時に、城内も改修され、初期バロック様式が導入された。このときにユトレヒトから招かれたヘラルト・ファン・ホントホルストテンプレート:仮リンクが新たに描いた天井画は今に残されている。

1658年、クロンボーはスウェーデンテンプレート:仮リンクに攻められて落城する。スウェーデン勢が城を放棄した後の17世紀末期には、さらに城の外郭を強化する工事が行われた。1760年から1763年にはフレデリク5世が使用するために北側の翼廊が改修されたが、以後クロンボー城に王が住まうことはなかった。1772年には、クーデターの発生で囚われの身となったデンマーク王クリスチャン7世の妃カロリーネ・マティルデが一時期クロンボーに幽閉された。

1785年以降、1924年まで城はデンマーク軍の基地司令部として利用されていた。そのため、城内は創建当時の面影を残していない。

2012年9月、姫路城ノイシュバンシュタイン城などと共にテンプレート:仮リンクの「世界の名城25選」に選ばれた[1]

ハムレット

シェイクスピア戯曲ハムレット』の舞台として有名な城であるが、シェイクスピア自身がこの城を訪れたことはない。城内には、シェイクスピアを記念した石版が掲げられており、毎年夏には城の中庭を使ってHAMLET SOMMER演劇が上演されている。

登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/core

脚注

  1. 日本の姫路城も!死ぬまでに行きたい“世界の名城”って

参考文献

外部リンク

テンプレート:デンマークの世界遺産