オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
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オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ(Ob-La-Di, Ob-La-Da)は、1968年に発表されたビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ』(通称ホワイト・アルバム)に収録されたレゲエ風のポップな楽曲である。
タイトルの意味
ポールが当時よく通っていたクラブThe Bag O'Nailsに出演していたナイジェリア人のコンガ奏者ジミー・スコットがよく口にしていたフレーズが『Ob-La-Di, Ob-La-Da』だった。彼のバンド仲間は「ジミーはあのフレーズを連発していたよ。ナイジェリアのヨルバ族に聞いてみな『Ob-La-Di, Ob-La-Da』は『life goes on(人生は続く)』という意味だって教えてくれるはずだ」と、当時の事を語っている(それで歌詞の中に『life goes on』というフレーズが出てくる)。
そのスコットが口にしていたフレーズを聞いたポールが、それをヒントに作ったのがこの曲である。当時のポールは『Life goes on』という意味で曲を作ったと思われるが、ナイジェリアのヨルバ族に聞いても『Ob-La-Di, Ob-La-Da』なんて言葉はないという答が帰ってくる。スコットの造語である可能性が大きい。
スコットは「俺のフレーズを使ったのだから分け前をよこせ」と要求するがポールはそれを拒否。その後、ある出来事で逮捕されたスコットは、ポールが莫大な法廷費用を負担するのと引き換えに「分け前をよこせ」との要求を引っ込めたというエピソードが残っている。
内容
この曲は発表された当初はカリプソ・ソングに曲調が似ていることから「ビートルズ初のカリプソ・ソング」と宣伝されていたが、後にレゲエ・ソングに似ていることから「ビートルズ唯一のレゲエ・ソング」とも言われるようになった。
歌詞の方は市場に勤めるデズモンド・ジョーンズと、バンドで歌手をしているモリーが恋をして結婚する物語を歌ったものである。ただし4番ではなぜかデズモンドとモリーが逆になり、モリーが子供たちと一緒に市場で働き、デズモンドが化粧をしてバンドで歌うという歌詞になっている。これは収録の際ポールが間違って逆に歌ってしまい、録り直そうとしたところジョン・レノンが「この方が面白い」と発言してそのままにしたと言われている。[1]
イントロのピアノはジョン・レノンが演奏しているが、収録の際にポールから度重なる録り直しを要求されて嫌気がさしたジョンがトランス状態でやってきて、力任せに弾きなぐったテイクがそのまま採用されたという[2]。完成版以前に外部ミュージシャンによるホーンを利用した録音もあるが使用されていない。(アンソロジー3収録)また、アコースティックギターを弾くときに意図的に録音機器の入力限界を超えた音を出し、締まった音を出している[2]。この時期メンバーの仲は非常に悪く、この曲のボーカルをレコーディングしているときにポールがプロデューサーのジョージ・マーティンに横柄な態度を示し、それが原因でエンジニアのジェフ・エメリックが翌日のクライ・ベイビー・クライのレコーディング途中で帰ってしまったというエピソードが残っている。
そういう事情もあってかジョンはこの曲を相当に嫌っている。ジョージも「覚えていることといったら何回もやり直しさせられたことばかり」と発言している。
シングル
この曲は発表当初からさまざまな歌手・グループがカヴァーするほど有名でありながら、(いち早くカバーしたマーマレード・ヴァージョンは、全英最高位第1位、ベッドロックス・ヴァージョンは、全英最高位20位をそれぞれ記録している。アメリカでは、アーサー・コンリー・ヴァージョンが、ビルボード誌で最高位51位を記録した。)英国・米国共にシングル化されず日本でのみシングルとして発売された。(B面は「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」)このシングルは日本における初のアップル・レコードのシングルである。(英米では「ヘイ・ジュード/レボリューション」が初だが日本ではオデオン・レコードからの移行が完了しておらず初回版のみオデオンからの発売となっていた。)尚、アメリカでは、1976年、「ジュリア」とのカップリングでリリースされたが、ビルボード誌、最高位49位と低調だった。また、キャッシュボックス誌でも、最高位47位だった。
日本のオリコンチャートでは、1969年3月24日付の総合シングルチャートの100位以内に競作曲が4曲ランクインしている(20位:ベッドロックス、33位:ビートルズ、59位:トニックス、80位:マーマレード)。
エピソード
ユッスー・ンドゥールによるカバーが本田技研工業のステップワゴンのCMで用いられるなど今でも日本では非常に人気の高い曲ではあるが、インターネット上で行なわれた『Worst Song Ever(これまでで最悪な曲)』投票で堂々の1位に選出されている(もちろん知名度が無ければ取れない栄誉ではある)。この曲が発売された当初は、アメリカでもワーストソングになっていた。
日本ではいくつか日本語詞でのカバーが存在する。
- 1969年にはザ・カーナビーツがカバーした(訳詞:漣健児)。カーナビーツ版では主人公の「デズモンド」と「モリー」の名前が「太郎」と「花子」に置換されている。
- 1974年にはNHKの「みんなのうた」で取り上げられ、この時はフォーリーブスが歌った(訳詞:黒木宏)。但し、フォーリーブスの歌唱版は未発売。フォーリーブス版のカバーで発売されているものには、日本コロムビア版のMoJo & ひまわりキッズが歌ったもの、高橋秀幸 & 宮本佳那子が歌ったもの、ポニーキャニオン版のよしむらくにお & 杉並児童合唱団が歌ったもの、日本クラウン版のクラウン少女合唱団が歌ったもの、ビクターエンタテインメント版の田中星児が歌ったもの、ボニージャックスが歌ったものなどがある。なお再放送は1975年10月 - 11月のみだったが、「みんなのうた発掘プロジェクト」で映像が提供され、2012年の『みんなのうた発掘スペシャル』で37年ぶりに再放送、そして2013年4月6日と5月4日放送の『みんなのうたリクエスト』でも再放送。
- フォーリーブス版の歌詞では、2人が買った指輪が「20カラットのダイヤモンド」と、市場に勤めているデズモンドには買えそうもないものになっている(20カラットのダイヤは今の日本円で2億円前後)が、英語の歌詞では"20 carat golden ring"「20金の指輪」と、現実的な内容になっている。
- 1975年の「第26回NHK紅白歌合戦」では独自の歌詞がつけられ、佐良直美が歌った(訳詞:さがゆうこ)。
スコットランドのマーマレードというグループがカバーした「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」はイギリスにおいて1位を獲得した。
キア・ソウルのCMソングに採用されたことがある。
ミキシング
モノラル・ミックスではイントロのハンド・クラップがカットされている。
その他
- MBSラジオで放送されている番組、ノムラでノムラだ♪ EXトラ!の主題曲。
- アール・エフ・ラジオ日本で放送されている番組、「青葉ひかるのガンバレ日本!」の主題曲。イントロが一小節短く加工されている。
- 日本の高校野球の甲子園常連校である、天理高等学校(奈良県)の応援歌として、「ラヴ・ミー・テンダー」「セントポールマーチ」と共に攻撃時の定番曲となっている。またかつて、日本のプロ野球の横浜大洋ホエールズで、屋鋪要外野手の応援歌にも採譜されていた。
- 東武鉄道小泉線西小泉駅、琴電瓦町駅の発車メロディに使用されている。