勝山公園 (仙台市)

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ファイル:Sendai map circa 1930.PNG
1927年頃の仙臺市および近郊地図。当園は「日曜公園」との名称で図示されている。

勝山公園(かつやまこうえん)は、仙台市都心部北部の上杉にある都市公園

概要

愛宕上杉通北四番丁通りとの交差点に面しており、「上杉通り」「北四番丁」の道標がある。西公園榴岡公園についで仙台で3番目に古い歴史を持つ。

元々当園は、隣接する「勝山館」などと共に、仙台城下町豪商「伊澤家」の敷地であり、伊澤家が市に寄贈して、仙台初の市民が供出した公園となった。

このような経緯により、当園は「杜の都仙台」の江戸時代屋敷林庭園の様子を今に伝えている。

沿革・縁

  • 1914年大正3年) - 勝山酒造(現:仙台伊澤家 勝山酒造株式会社)を営んでいた伊澤平左ェ門(いさわ へいざえもん)が私苑の一部を仙台市に譲渡し、市民に開放した。
  • 1918年(大正7年) - 米騒動に際に、勝山酒造を襲撃すべく暴徒が当園に集結した。しかし、ここが勝山酒造が開放している公園であったことに気づき、襲撃を止めた。
  • 1928年昭和3年) - 正式に市に寄贈。

市に寄贈される前は「日曜公園」と呼ばれていたようである。現在の当園の名は、勝山酒造(創業元禄時代)に由来する。 付近は勝山酒造を含む勝山グループの企業が集中するのに加え、 グループと関係ない店舗の中にも「勝山店」「勝山公園店」を名乗るものがある。 このように「勝山」は、本来の住所の「上杉二丁目」に代わるこの地域の別称として用いられている。

隣接する「勝山館」は、明治時代から皇族や政府の要人が仙台滞在の際の迎賓館・宿となっていた。また、仙台での園遊会や美術展覧会のサロンとしても供せられていた。しかし、仙台空襲の際、軍司令部が置かれていたため爆弾投下の目標とされ焼失した。勝山酒造の酒蔵は爆弾や火災から逃れ、現在も江戸時代仙台藩蔵造り建築の風情が残している。そのため、仙台市の第1回都市景観賞を受賞しており、これに合わせて園内の公衆トイレの外観も蔵造りとなった。

周辺施設

アクセス

2001年平成13年)頃までは北四番丁通り沿いに仙台市営バスの「勝山公園前」バス停が存在したが、現在は市営バスが北六番丁経由へ経路変更したため現存しない。

関連項目

外部リンク

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