石敢當
石敢當(いしがんどう、いしがんとう、せっかんとう)は、石敢當などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當、石敢東、石散當、石散堂、石厳當と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県で見かける。
分布
元は中国伝来の風習で、福建省が発祥とされている。泰山の頂上にも石敢當が存在している[1]。似たような魔よけは中国のみならず、台湾・シンガポール等の一部の地域にも見ることができる。
日本では、沖縄本島を中心に、周辺諸島に数多く点在している。また、薩南諸島・奄美群島を含め、鹿児島県にもかなり存在する。沖縄県、鹿児島県以外の日本全国にも分布するがその数は少ない[2][3][4]。小玉正任はその著書で、鹿児島県、1153基、沖縄県は、きわめて多数としており、色々の統計を総合して、1万基であろうか、としている。
沖縄県、鹿児島県以外の石敢當は近年になり、主に沖縄出身者により建てられたものが多いが、大分県臼杵市畳屋町には、『豊後国志』によると天正3年(1575年)に建立されたとされる日本最古の石敢當がある(ただし、現存するものは後に復元したものとの説もある)。凝灰岩でできた高さ約1.6mの石碑状のもので、1967年に市の文化財に指定されている。臼杵は安土桃山時代に大友氏の貿易港として栄えた町で、この石敢當は明からもたらされたものであると伝えられている[5]。建立年が銘刻されているものでは、宮崎県えびの市飯野にある元禄2年(1689年)のものが最も古い[6]。
また、東北地方、特に秋田県には幕末から明治初期に建てられたと考えられる古い石敢當が多数確認されている[7]。関東地方においては江戸期の石敢當が埼玉県で2基確認されているほか、栃木県足利市においても1基の所在が確認されている[8]。なお、平成の建造物内ではあるが、東京都墨田区においても1基確認されている。
名称の由来
沖縄県では「いしがんどう」、「いしがんとう」と呼ばれ、鹿児島県では「せっかんとう」と呼ばれることが多い。
「石敢當」の名前そのものの由来は後漢代の武将の名前とも名力士の名前ともされるほか、石の持つ呪力と関わる石神信仰に由来するとの説もあり定かではない。薮田嘉一郎、小玉正任によると、五代晋の勇士説は、勇士死亡より100年以上前から石敢当があることを理由に成立しないとしている。
効果
沖縄県では未だに根強く続いており、当地では丁字路や三叉路が多いことから、現在でも沖縄県の各地で新しく作られた大小様々の石敢當を見ることができる。これらの地域では、市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする[9]。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。
形状
石敢當には様々な形があるが、石敢當の字が刻まれた石碑を建てたり、石版を壁面に貼り付けたものが多い。また、コンクリートの壁面に直接ペンキ等で「石敢當」の文字を書き込んだ例も見られる。沖縄県宮古島市池間島には、オオジャコガイを載せた石敢當が発見されている。堅くて白いシャコガイは、同地では、それ自体が神聖で魔除けの効果を有するとされる。また、近年はシーサー同様に土産物品としても作られている[10]。
脚注
関連資料
- 『民俗信仰日本の石敢當』小玉正任著(考古民俗叢書、慶友社、2004年)
- 「沖縄と奄美 : 石敢当を通してみた」窪徳忠著(『奄美のカマド神信仰』所収、第一書房、2000年)
- 『史料が語る琉球と沖縄』小玉正任著(毎日新聞社、1993年)
- 『石敢当』沖縄エッセイストクラブ著(沖縄エッセイストクラブ、1988年)
- 『秋田の石敢当 : 旧秋田市内を中心として』山崎鹿蔵著(伝承拾遺の会、1986年)
- 『石敢当の現況』松田誠著(松田誠、1983年)
- 『石敢当 : 雑録』渡辺正著(「九州人」文化の会、1972年)