左藤章
テンプレート:日本の国会議員 左藤 章(さとう あきら、(旧姓:伊戸)1951年(昭和26年)7月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。自由民主党大阪府支部連合会副会長、元防衛大臣政務官。法務大臣、郵政大臣などを歴任した左藤恵の娘婿である。
来歴
- 衆議院議員になるまで
福井県坂井郡(現在のあわら市)、3人兄妹の末っ子として生まれる。福井県立高志高等学校に入学し、合唱部に所属、卒業後、福井大学工学部に進学する。卒業後、セーレン株式会社へ入社、技術者と営業に従事する。会社員当時に叔父の紹介で衆議院議員の左藤恵の子女と結婚し、女婿になる。その後1979年(昭和54年)にセーレンを退職し、左藤恵の第一秘書になる。左藤恵の国務大臣就任(郵政大臣、法務大臣、国土庁長官)の度に秘書官を経験、左藤恵が自由民主党を離党し新生党→新進党へと籍を移すと自らもそれに従った。
初の総選挙出馬は、1996年(平成8年)10月の第41回衆議院議員総選挙で比例代表区・近畿ブロックから新進党公認(名簿14位)での出馬だった。この時は落選に終わったが、その後義父と共に自民党に復党。義父の政界引退により選挙地盤(小選挙区大阪2区)を引き継ぎ、2000年(平成12年)6月の第42回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し、初当選した。自民党内では、宏池会(堀内派 - 丹羽・古賀派)に所属した。
- 郵政民営化法案の反対から2度落選
衆議院議員を1期務め、現職議員としては初めての2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙も当選[1]したが、2005年(平成17年)、郵政民営化関連6法案の採決では、大阪府選出の自民党議員で唯一、反対票を投じた。しかし、衆議院解散後、自民党本部に「参院の答弁、付帯決議で衆院の段階より大きく前進した」とする弁明書を提出の上、国会に郵政民営化関連6法案が再提出されれば賛成する姿勢を示し、自民党府連は、左藤章を自民党本部に公認申請したが[2]、結局、公認は得られなかった。そのため、第44回衆議院議員総選挙には無所属で出馬するが[2]、自民党公認を得た川条志嘉に敗北し、議席を失った。落選後は、朝夕、選挙区の駅前に立ち、演説を行い[3]、再起をかけた2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙も無所属で出馬するが、前回の郵政選挙による選挙区内の保守分裂状態は解消されず[4](この時の自民党公認は前回同様、川条志嘉)、民主党の萩原仁に敗北し[5]、国政復帰は出来なかった。
2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙で自民党公認で出馬し3選、国政に復帰した。
略歴
- 1951年(昭和26年)7月 - 12日、福井県坂井郡に生まれる
- 1970年(昭和45年)3月 - 福井県立高志高等学校を卒業、同年4月、福井大学工学部に入学
- 1974年(昭和49年)3月 - 福井大学工学部を卒業
- 1974年(昭和49年)4月 - セーレン株式会社に入社
- 1979年(昭和54年)10月 - 衆議院議員 左藤恵の第一秘書
- 1980年(昭和55年)4月 - 学校法人大谷学園の評議員に就任
- 1984年(昭和59年)11月 - 郵政大臣(左藤恵)の秘書官
- 1987年(昭和62年)1月 - 社団法人大阪青年会議所の常任理事に就任
- 1989年(平成元年)1月 - 社団法人日本青年会議所大阪ブロック協議会の副会長に就任
- 1990年(平成2年)1月 - 社団法人大阪青年会議所の副理事長に就任
- 1990年(平成2年)12月 - 法務大臣(左藤恵)の秘書官に就任
- 1991年(平成3年)1月 - 社団法人大阪青年会議所の法制顧問に就任
- 1994年(平成6年)4月 - 国土庁長官(左藤恵)の秘書官に就任
- 1996年(平成8年)10月 - 第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で出馬(比例近畿ブロック)、落選
- 2000年(平成12年)6月 - 第42回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬(大阪2区)し、初当選
- 2003年(平成15年)11月 - 第43回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し、当選(2期目)[1]
- 2005年(平成17年)9月 - 第44回衆議院議員総選挙に自民党公認を得られず無所属[2]で出馬し、落選
- 2009年(平成19年)8月 - 第45回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、落選[5]
- 2012年(平成24年)12月 - 第46回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬し、当選(3期目)[6]。第2次安倍内閣において防衛大臣政務官に就任。
- 2013年(平成25年)10月 - 自由民主党国防部会長就任
家系
左藤了秀(大谷学園創立者、真宗大谷派僧侶) ┃ ┣━━━━━ 左藤義詮(元防衛庁長官、元大阪府知事、大谷学園2代理事長) ┃ ┃ 妻 ┣━━━━━━━━━━━━━━━ 左藤恵(元法務大臣、元郵政大臣、大谷学園4代理事長) ┃ ┃ ┃ 行子(大谷学園3代理事長) ┃ ┣━━━━━━━━━━ 長女 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 妻 ┃ ┃ ┃ ┃ 左藤章(旧姓:伊戸) ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┗━ 左藤一義(大谷学園5代理事長) ┃ ┃ ┣━ 河野弘(河野薬品代表取締役社長(婿養子入り)) ┃ ┗━ 左藤孜(光華女子学園常任理事) (出典:日外アソシエーツ(編集)『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』、2003年10月。978-4816918056)
過去の選挙得票数
総選挙 | 年月日 | テンプレート:Nowrap | テンプレート:Nowrap | テンプレート:Nowrap | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年6月25日 | 90,470 | 当選 | ||
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月9日 | 96,470 | 当選 | ||
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年9月11日 | 71,423 | 31.7% | 落選 | 当選:川条志嘉 / 自民党(新) 得票数73,953 / 得票率32.8% |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年8月30日 | 72,888 | 31.8% | 落選 | 当選:萩原仁 / 民主党(新) 得票数91,952 / 得票率40.1% |
第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 80,817 | 40.0% | 当選 |
- 大阪2区の地域別得票数[7]
総選挙 | 年月日 | 阿倍野区 | 東住吉区 | 平野区 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
第42回衆議院議員総選挙 | 2000年6月25日 | データなし | データなし | データなし | 90,470 |
第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月9日 | 23,050 | 29,759 | 43,661 | 96,470 |
第44回衆議院議員総選挙 | 2005年9月11日 | 14,722 | 21,685 | 35,016 | 71,423 |
第45回衆議院議員総選挙 | 2009年8月30日 | 17,037 | 21,370 | 34,481 | 72,888 |
主な役職
- 学校法人大谷学園 評議員
- 学校法人光華女子学園 評議員
- 学校法人大阪聖徳学園 理事
- 学校法人藤田学園 理事
- 社会福祉法人聖徳園 理事
- 社団法人大阪青年会議所 特別会員
- 大阪阿倍野ライオンズクラブ 視覚保護盲人福祉・聴力言語障害福祉 委員長
事務所
- 〒545-0052 大阪市阿倍野区阿倍野筋3-5-11
政治団体・後援会
- 左藤章後援会
- 2009年9月30日に大阪府選挙管理委員会が公表した大阪府内の政治団体・政治資金収支報告書(2008年度分)では、政治資金パーティーの収入で、2703団体中5位(収入:3,478万円/費用:1,003万円)の収入を得ている。[8]
- 翠章会
- 阿倍野区左藤会
- 東住吉区左藤会
- 平野区左藤会
- 住高左藤会
所属団体・議員連盟
- 自民党国際人材議員連盟
- 創生「日本」
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 日本会議国会議員懇談会
- パチンコ・チェーンストア協会
- 社団法人大阪外食産業協会
- 大阪広告美術協同組合
- 大阪府ソフトテニス連盟
- 全国質屋組合連合会
- 真宗大谷派関係国会議員同朋の会
脚注
関連項目
外部リンク
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