クリスティアーノ・ルカレッリ

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テンプレート:サッカー選手 クリスティアーノ・ルカレッリCristiano Lucarelli1975年10月4日 - )は、イタリアリヴォルノ出身の元同国代表、元サッカー選手。ポジションはFW。現パルマDFアレッサンドロ・ルカレッリは実弟。

経歴

1992年、クオイオペッリでデビューを果たし、翌年にはペルージャへ移籍。その後もイタリア国内のクラブを転々とし、1998-1999シーズンにはバレンシアへ自身初の国外移籍を果たすが、12試合、1ゴールとふるわず1シーズンで帰国。レッチェトリノに在籍した。

2003-2004シーズンからは地元のリヴォルノに移籍、チームのセリエA昇格に貢献し、チームのシンボルとなる。2004-2005シーズンには24得点を挙げ、セリエA得点王に輝いた。この活躍が認められてイタリア代表にも招集され、2005年6月8日セルビア・モンテネグロ戦で初出場・初得点をマークした。

リヴォルノには4年間在籍し、チーム史上2番目となる92ゴールを記録した。また06-07シーズンにおいてセリエA通算100ゴールを達成している。2007年移籍金800万ユーロ(約13億5千万円)でシャフタール・ドネツクに移籍。ウクライナでプレーする初のイタリア人となった。

2008年移籍金570万ユーロで(約9億円)でパルマに移籍した。

2009年7月15日、古巣であるリヴォルノへのレンタルでの復帰が発表された。

代表歴

代表としては1996年五輪メンバーに選出され、同年秋にはUー21代表の試合の中で2試合連続のハットトリックを達成するなど通算14試合10得点と高い決定力を見せた。しかし、当時フル代表攻撃陣の層は厚く、若く安定感に欠けたルカレッリはフル代表に招集される事のないまま調子を落とし、タイミングを逃したまま代表とは無縁の日々を過ごしたが、04-05シーズンリーグ得点王の活躍が認められ2005年上旬北米遠征代表メンバーに選出、前述の通りセルビアモンテネグロ代表戦にて代表初キャップを刻むとこの試合で初得点もマークし存在感を示している。リッピ時代は結果を出しながらも代表とはあまり縁がなかったが、代表監督がかつてリヴォルノで指揮を執ったドナドーニに変わってからは代表に定着している。

所属クラブ

指導者経歴

外部リンク


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