鉄道連隊
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鉄道連隊(てつどうれんたい)は戦地における鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊に従事する連隊。本項目では、日本陸軍が保有した鉄道連隊について説明する。
目次
概要
日本陸軍鉄道連隊の前身、鉄道大隊(2個中隊・電信1中隊・材料廠)は日清戦争後に初めて編成された。以来、日露戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)まで活躍した。支那事変以前は近衛師団隷下の交通兵旅団に属していた。
1940年7月の平時編成表によると、鉄道連隊の編制は連隊長(大佐)の下に連隊本部(57人)、3個大隊(大隊本部5人、3個中隊=1個中隊107人)、材料廠(23人)の合わせて1091人。ただし、鉄道第二連隊には、このほかに練習部、幹部候補生隊、下士官候補生隊が付設されていた。
部隊沿革
鉄道第一連隊
- 1896年(明治29年)11月 - 鉄道大隊として東京・牛込の陸軍士官学校内に創設
- 1897年(明治30年)6月 - 中野に転営
- 1907年(明治40年)10月 - 連隊に昇格。千葉県千葉郡津田沼町(現・習志野市)に転営
- 1908年(明治41年)6月 - 第二大隊のみ千葉(千葉郡都賀村作草部、1932年に千葉市に編入。現・中央区椿森)に転営
- 1908年(明治41年)11月 - 連隊本部及び第1大隊が千葉に転営
- 1918年(大正7年)5月 - 鉄道連隊を2個連隊に増設。第一連隊を千葉(都賀村作草部)に置く
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災で鉄道復旧作業に出動
- 1932年(昭和7年)4月 - 満洲に出動
- 1934年(昭和9年)2月 - 満洲より復員
- 1937年(昭和12年)8月 - 中国華北・華中の鉄道占領、運営
- 1943年(昭和18年)11月 - 第三・四大隊をインドシナ方面に転用
- 終戦時所在 - 中国湖南省株州
- 最終連隊長 - 岩井恭三中佐
※ 作業場跡は現在千葉公園になっている。園内にはトンネルや橋脚が遺構が残っている。材料廠の建物は千葉経済学園内に現存する。
鉄道第二連隊
- 1908年(明治41年)10月 - 第三大隊が千葉県千葉郡津田沼町谷津2番地に新設
- 1918年(大正7年)10月 - 第三大隊が鉄道第2連隊に昇格
- 1923年(大正12年)9月 - 関東大震災で鉄道復旧作業に従事
- 1928年(昭和3年)5月 - 済南事件に出動
- 1937年(昭和12年)7月 - 中国華北で鉄道の運営、徐州作戦に出動
- 1939年(昭和14年)12月 - 中国華北より復員
- 1940年(昭和15年)6月 - 満洲・華北を転戦
- 1945年(昭和20年)4月 - 主力部隊九州に移転
- 終戦時所在 九州
- 最終連隊長 越川外次郎中佐
※ 鉄道連隊正門は、現在、千葉工業大学に残されており、国の登録有形文化財になっている。
鉄道第三~二十連隊
三~二十連隊については、ほとんど第一連隊か第二連隊を母体に、1934年(昭和9年) - 1945年(昭和20年)に編成された。以下、連隊名(編成完了年・編成地→終戦時)を記す。(吉田釧「鉄道連隊銘々伝」『鉄道兵回想記』所収などにより作成)
- 第三連隊(1934年(昭和9年)2月10日・ハルピン→山東省済南)
- 通称号: 栄三四一〇一、最終連隊長: 鴨沢常二郎大佐
- 第四連隊(1938年(昭和13年)3月1日・満洲牡丹江→遼寧省海城)
- 通称号: 路三四一〇二(満六六八)、最終連隊長: 前田昌夫中佐
- 第五連隊(1938年(昭和13年)4月20日・千葉→バンコク) 泰緬鉄道を建設
- 通称号: 森五八〇四、最終連隊長: 橋本光治大佐
- 第六連隊(1937年(昭和12年)10月6日・河北省石家莊→上海)
- 通称号: 甲一四三五、最終連隊長: 中原寅蔵中佐
- 第七連隊(1944年(昭和19年)3月3日・千葉→仏印)
- 通称号: 義二一四三、最終連隊長: 引地武雄中佐
- 第八連隊(1944年(昭和19年)3月3日・千葉→ルソン島)
- 通称号: 尚武二一四四、最終連隊長: 柳明雄中佐
- 第九連隊(1941年(昭和16年)9月23日・津田沼→ビルマ) 泰緬鉄道を建設
- 通称号: 森五八〇五、最終連隊長: 津島悟己郎中佐
- 第十連隊(1944年(昭和19年)3月27日・千葉→仏印)
- 通称号: 信二一四五、最終連隊長: 吉村周平大佐
- 第十一連隊(1944年(昭和19年)3月27日・津田沼→ビルマ)
- 通称号: 義二一四六、最終連隊長: 安東恒雄大佐
- 第十二連隊(1944年(昭和19年)3月9日・津田沼→湖南省長沙)
- 通称号: 統二一四七、最終連隊長: 坂元三男中佐
- 第十三連隊(1944年(昭和19年)2月10日・千葉→華中)
- 通称号: 栄二五三〇、最終連隊長: 竹本武雄中佐
- 第十四連隊(1944年(昭和19年)4月14日・千葉→安徽省蚌埠)
- 通称号: 統二一四八、最終連隊長: 水野征一中佐
- 第十五連隊(1944年(昭和19年)4月24日・津田沼→湖南省東陽)
- 通称号: 統二一四九、最終連隊長: 小田永吉中佐
- 第十六連隊(1945年(昭和20年)4月・千葉→内地)
- 通称号: 東部八六、最終連隊長: 江畑広雄大佐
- 第十七連隊(1945年(昭和20年)4月・津田沼→内地)
- 通称号: 東部八七、最終連隊長: 黒石茂喜大佐
- 第十八連隊(1945年(昭和20年)5月30日・河北省宛平県長辛店→河南省開封市)
- 通称号: 甲二一五二、最終連隊長: 君塚勘吉中佐
- 第十九連隊(1945年(昭和20年)5月3日・満洲牡丹江→一面坡)
- 通称号: 路四三五一、最終連隊長: 布施広治中佐
- 第二十連隊(1945年(昭和20年)5月3日・満洲ハルピン→北満洲)
- 通称号: 路四三五二、最終連隊長: 石原昇中佐
連隊長等
鉄道第一連隊
- 鉄道大隊長
- 鉄道連隊長
- 土屋喜之助 工兵中佐:1907年10月9日 - 1908年8月29日
- 武内徹 工兵大佐:1908年8月29日 - 1910年11月30日
- 渡辺兼二 工兵大佐:1910年11月30日 - 1913年3月4日
- 山田陸槌 工兵大佐:1913年3月4日 - 1915年2月15日
- 岡野友次郎 工兵大佐:1915年2月15日 -
車両
- A/B形蒸気機関車
- E形蒸気機関車
- K1形蒸気機関車
- K2形蒸気機関車
- 118号・119号蒸気機関車
- 九一式広軌牽引車
- 九五式装甲軌道車
- 九七式鉄道牽引車
- 一〇〇式鉄道牽引車
- 九五式鉄道工作車
- 九一式軽貨車
- 九七式軽貨車
鉄道連隊が敷設した路線
鉄道連隊は戦地のみならず国内各地でも鉄道建設を請け負い、訓練をかねていたので、建設費は材料費を負担するだけでよかった。そのため、鉄道事業者からは重宝された。
内地
- 庁南茂原間人車軌道
- 千葉県営鉄道野田線(現在の東武野田線)
- 千葉県営鉄道多古線(後の成田鉄道多古線)
- 千葉県営鉄道八街線(後の成田鉄道八街線)
- 千葉県営鉄道久留里線(現在の久留里線)
- 千葉県営大原大多喜人車軌道(後の夷隅軌道)
- 北総鉄道野田線(現在の東武野田線)
- 川越電気鉄道(後の西武大宮線)
- 西武鉄道(初代)村山線(現在の西武新宿線 高田馬場~東村山)
- 中島飛行機専用線 西東京市
- 富士身延鉄道(現在の身延線)
- 東京急行電鉄代田連絡線
- 小湊鉄道線
- 福島電気鉄道(のちの福島交通飯坂東線 在来路線の改軌・電化)
また、千葉県内には鉄道連隊の演習用の路線があった。戦後一部は新京成線に転用された。詳しくは鉄道連隊演習線を参照。
外地
参考文献
- 岡本憲之・山口雅人『実録 鉄道連隊 知られざるその使命を解き明かす』(イカロス出版、2009年) ISBN 978-4-86320-146-0
- 新人物往来社戦史室 編『日本陸軍兵科連隊』(新人物往来社、1994年) ISBN 4-404-02144-5
- 第三部 工兵連隊 鉄道連隊 p197~p202
- 佐山二郎『工兵入門 技術兵科徹底研究』(光人社NF文庫、2001年) ISBN 4-7698-2329-0
- 第三章 工兵の作戦 鉄道作戦 p68~p86、第五章 工兵器材解説 鉄道器材 p283~p317
- 高橋 昇『軍用自動車入門 軍隊の車輌徹底研究』(光人社NF文庫、2000年) ISBN 4-7698-2267-7
- 第六章 鉄道車輌 p337~p418
- 長谷川三郎(元鉄道五連隊第三大隊長、少佐)『鉄道兵の生い立ち』(三交社、1984年) ISBN 4-87919-801-3
- 坂田 要『津田沼鉄道第十七聯隊』(文芸社、2006年) ISBN 4-286-02078-9
- 松代守弘「戦線の輸送を支えた鉄路の工兵 陸軍鉄道部隊」
- 椎橋俊之「「SL甲組」の肖像 第32回 鉄道聯隊 鉄道兵かく戦えり」
- ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』2006年10月号 No.277 p69~p82
- 『絵はがき 写真に残された明治~大正~昭和』(船橋市郷土資料館、2005年3月23日)
鉄道連隊を描いた作品
関連項目
外部リンク
- 遥かなり千葉鉄聯。 上、下 (ホビダス オフィシャルブログ 編集長敬白より)
- 千葉県の戦争遺跡/鉄道連隊の戦争遺跡