石井一家

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石井一家(いしいいっか)は、大分市泉町に本部を置く暴力団で、指定暴力団山口組の二次団体。 旧『石井組』(いしいぐみ)。

歴史

前身は『石井組』。

初代石井組

1953年12月、石井一郎大分県別府市石井組を結成。

二代目石井組

  • 1973年8月、秋山潔が二代目石井組組長を襲名した。
  • 1975年、稲葉実は、別府市で、稲葉組を結成した。同年、高橋辰馬は、大分市天瀬町で、高橋組を結成した。同年、宮脇與一は、別府市で 宮脇組を結成した。石井組は4派に分裂した。同年7月20日昼、別府海門寺公園で、石井組幹部と稲葉組幹部が、競輪ノミ行為の利権をめぐって、喧嘩となった。同年9月7日、石井組若頭・橋本勲が稲葉組幹部らによって射殺された。
  • 1978年11月、秋山潔は、稲葉実を石井組絶縁処分とした。
  • 1979年6月、稲葉実は、山口組直若となって、石井組から独立し、稲葉一家を結成した。
  • 1980年、川近組・川近幸男組長と宮脇組・宮脇與一組長が山口組直若となって石井組から独立した。
  • 1987年6月22日昼、別府市緑ヶ丘町路上で、二代目石井組系江口組組員が、宮脇組系首竜会会長を拳銃で射殺した。

三代目石井一家

1992年4月、五代目山口組渡辺芳則組長は、三代目石井一家・江口亨総長に盃を与え、山口組直参とした[1]

四代目石井一家

2009年9月、三代目江口亨の引退により生野靖道が跡目を継承。山口組直参として、本家より跡目継承を承認される。

歴代総長

  • 初代(19**年~1973年) - 石井一郎(本名:山川一郎。三代目山口組若中)
  • 2代目(1973年~1992年) - 秋山潔(五代目山口組舎弟)
  • 3代目(1992年~2009年) - 江口亨(六代目山口組若中、江口組初代組長、元相宅組若頭)
  • 4代目(2009年~) - 生野靖道(六代目山口組若中、三代目川近組組長)

最高幹部

  • 総長 - 生野靖道(本名:生野 靖一)

主な出身者

  • 二代目 副組長・稲葉実(稲葉組組長) - 後に稲葉一家総長、五代目山口組若中。
  • 二代目 副組長・宮脇與一(宮脇組組長) - 後に三代目山口組若中、一和会専務理事。
  • 二代目 副組長・川近幸男(川近組組長) - 後に川近組会長、三代目山口組若中
  • 初代 舎弟・夜桜銀次

参考文献 

出典

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外部リンク

テンプレート:六代目山口組
  1. 『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.8