滝実
テンプレート:政治家 滝 実(たき まこと、1938年9月15日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。本名は旧字体の「瀧實」であるが、報道や政治活動においては常用漢字体で滝実と表記されたり平仮名混じりで滝まことと表記されることもある。
自治省税務局局長、消防庁長官(第22代)、衆議院議員(5期)、衆議院法務委員長、法務大臣(第90・92代)などを歴任。
目次
来歴
生い立ち
東京府東京市(現東京都品川区)生まれ。東京都立日比谷高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後の1962年4月、自治省に入省。
官界にて
1981年4月から奈良県に出向し、副知事を務める。1993年1月、自治省税務局長に就任。1995年1月17日、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生したその日に消防庁長官に就任。
自由民主党
1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で奈良2区から出馬し、初当選した(当選同期に河野太郎・菅義偉・平沢勝栄・渡辺喜美・河本三郎・桜田義孝・下地幹郎・下村博文・新藤義孝・棚橋泰文・谷畑孝・田村憲久・戸井田徹など)。当選後は当時の総裁派閥である平成研究会(橋本派)に所属する。2000年の第42回衆議院議員総選挙で再選。
2001年、中央省庁再編により誕生した総務省で、新設された総務大臣政務官を務める。なお、総務省はかつて滝が奉職していた自治省の流れを汲んでいる。同年4月、第1次小泉内閣発足に伴い退任するが、2002年に再度総務大臣政務官に就任。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、奈良2区で民主党公認の中村哲治に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し3選。2004年9月、第2次小泉改造内閣で法務副大臣に就任。
新党日本
2005年7月、郵政国会で郵政民営化法案に反対するため、法務副大臣の辞表を提出した上で、5日の同法案の採決で反対票を投じた。そのため法務副大臣を罷免され、第44回衆議院議員総選挙では自民党の公認を得られなかった。総選挙に先立ち、田中康夫長野県知事を党首に結成された新党日本に入党し、副代表に就任する。第44回衆議院議員総選挙では、奈良1区から国替えしてきた自民党公認の高市早苗に敗れるが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し4選。新党日本からは他に小林興起(東京10区)、青山丘(比例東海ブロック)が出馬したものの、当選者は滝1人に留まった。その後、自民党党紀委員会で除名処分が下る。同年10月、新党日本総務会長に就任。
総選挙後は国民新党、新党日本に無所属の元防衛庁長官・野呂田芳成を加えた統一会派「国民新党・日本・無所属の会」に参加していたが、2006年9月の首班指名選挙において、新党日本幹事長の荒井広幸が国民新党代表の綿貫民輔ではなく自由民主党総裁の安倍晋三に投票したため、国民新党側がこれを問題視。新党日本代表の田中康夫に荒井の処分を求めたものの田中が断ったため、統一会派を解消した。なお、滝は首班指名選挙で綿貫に投票している。
2007年の第21回参議院議員通常選挙の直前、田中の党運営や、田中による参院選における新党日本の公約の一方的な決定に反発し、荒井広幸と連名で新党日本の解党を田中に要求。しかし田中がこれを拒否したため、滝、荒井が共に新党日本を離党した。そのため参院選で田中が参議院比例区から出馬して当選するまで、一時的に新党日本所属の国会議員の人数はゼロになった。一方、滝は参院選において、奈良県選挙区から出馬した民主党の中村哲治を支援し、中村は自民党候補に大差をつけて当選した。これにより第45回衆議院議員総選挙において、奈良2区での民主党の公認が内定した。
民主党
2009年7月21日、衆議院解散後に民主党に入党。奈良2区から同党公認で出馬し、前回敗れた自民党の高市早苗を僅差ながら破り、5選。所謂郵政造反組の中で、民主党に鞍替えしたのは川上義博に続き2人目。なお滝の後にも小林興起・津島恭一・松宮勲の3人が民主党に入党し、いずれも第45回衆議院議員総選挙で当選した。総選挙後、衆議院法務委員長に就任。
2010年4月、小沢一郎の検察審査会での起訴相当の議決を受けて設立された議員連盟「司法のあり方を検証・提言する議員連盟」の会長に就任したものの、党内処分的には小沢一郎の離党勧告に同意した。
2011年9月5日、野田内閣で法務副大臣に就任。小泉内閣でも同職を務めており、6年ぶりの再登板となる。2012年4月14日、第46回衆議院議員総選挙に出馬せず政界を引退する意向を表明した(併せて法務副大臣の職務は引き続き務める考えを表明)[1]。
2012年6月4日、野田第2次改造内閣において副大臣から昇格する形で法務大臣に任命され、初入閣した[2]。その後、国会の会期中となる8月3日に、死刑囚2名の刑を執行した[3]。なお、前任の法務大臣である小川敏夫も国会会期中(平成24年3月29日)での死刑執行を承認している。同年9月27日、法相就任以来2度目の死刑執行命令を発令し、死刑囚2名の刑を執行。なお、滝は9月25日の閣議後記者会見において内閣改造で再任を求めない考えを示していたが、内閣改造での退任を前提にした「駆け込み執行ではないか」という質問に対しては「(死刑執行命令の発令の)最終判断をしたのは25日以前だった」として否定した[4]。
野田第3次改造内閣発足に先立ち、高齢を理由に再任を固辞する意向を表明。2012年10月1日の内閣改造により法務大臣を退任したが、後任の法務・拉致問題担当大臣である田中慶秋が自身の不祥事並びに健康上の理由で辞任したため、10月24日付で再度、法相に就任した(拉致問題担当相は内閣官房長官の藤村修が兼務)[5]。
2012年11月16日、衆議院解散により衆議院議員を失職、12月26日、野田第3次改造内閣の総辞職により法務大臣を辞し政界を引退した。2013年4月、「多年にわたり国会議員として議案審議の重責を果たすとともに、法務大臣として国政の枢機に参画した」[6]功労により、旭日大綬章を受章した。
政策・主張
- 「一人ひとりを大切にする」主義から、選択的夫婦別姓制度・人権擁護法案(人権侵害救済法案)・人権教育啓発推進法を推進している。また同様に理由で、これまで自然災害被災者生活支援法の実現や奨学金の大幅拡充の実現に尽力してきた[7]。
- 2012年6月19日の参議院法務委員会での答弁において、選択的夫婦別姓制度や婚外子相続権等に関連した民法改正について、既に法制審の議論は終了しており、法務省による法案化の姿勢については変更しない考えを示した。また、4月と6月に起きた小学生がはねられ死亡した事故に関する「無免許運転厳罰化」や「準危険運転致死傷罪」の創設に取り組んでいることがニュースなどで明らかになった。
氏名表記
本名は旧字体の「瀧實」であるが、報道などでは新字体で「滝実」と表記されることが多い。2013年の春の叙勲の際に内閣府が発表した受章者名簿では、「氏名」欄に「瀧實」[6]と記載されており、通称などを掲載する「芸名等」欄に「滝実」[6]と併記されていた。その際の『官報』においても「瀧實」[8]と表記されていた。政治活動等においては平仮名で「滝まこと」と表記されることもあり、自身の公式ウェブサイトにおいては「滝まこと」[9]の表記を用いている。自身の著書は「滝実」名義で出版している[10]。
略歴
- 1938年 - 誕生。
- 1962年 - 東京大学法学部卒業。
- 1962年 - 自治省入省。
- 1978年 - 奈良県庁総務部部長。
- 1981年 - 奈良県副知事。
- 1993年 - 自治省税務局局長。
- 1995年 - 消防庁長官。
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙当選。
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙当選。
- 2001年 - 総務大臣政務官(第2次森改造内閣(中央省庁再編後))。
- 2003年 - 第43回衆議院議員総選挙当選。
- 2004年 - 法務副大臣(第2次小泉改造内閣)。
- 2005年 - 第44回衆議院議員総選挙当選。
- 2009年 - 第45回衆議院議員総選挙当選。
- 2009年 - 衆議院法務委員長。
- 2011年 - 衆議院法務委員会筆頭理事。
- 2011年 - 法務副大臣(野田内閣)。
- 2012年 - 法務大臣(野田第2次改造内閣)。
- 2012年 - 法務大臣(野田第3次改造内閣)。
栄典
著書
単著
- 「阪神大震災の熱く長い一日」(日本法制学会、1995年) ISBN 4931147232
- 「一人ひとりを大切にする国家-危機管理の原点を求めて」(日本法制学会、2002年) ISBN 4931147275
共著
- (佐藤進・滝実)「地方消費税-その理論と仕組み-」(地方財務協会、1995年)
- (下地幹郎・新藤義孝・滝実・戸井田徹)「ひとり立ちしよう日本人-行動派新代議士日本を語る-」(日本法制学会、1999年)
編著
- 「ボランティア好きな人きらいな人」(日本法制学会、1998年) ISBN 4931147240
脚注
外部リンク
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|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小川敏夫
田中慶秋
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 法務大臣
第90代:2012年
第92代:2012年
|style="width:30%"|次代:
田中慶秋
谷垣禎一
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
実川幸夫
小川敏夫
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 法務副大臣
2004年 - 2005年
2011年 - 2012年
|style="width:30%"|次代:
富田茂之
谷博之
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
山名靖英・山内俊夫・新藤義孝
(役職設置)
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 総務大臣政務官
2002年
山内俊夫・河野太郎と共同
2001年
山名靖英・景山俊太郎と共同
|style="width:30%"|次代:
吉田六左ェ門・岸宏一・岩永峯一
山名靖英・景山俊太郎・新藤義孝
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
紀内隆宏
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 消防庁長官
第22代:1995年
|style="width:30%"|次代:
秋本敏文
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
山本幸三
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院法務委員長
2009年 - 2010年
|style="width:30%"|次代:
奥田建
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
結成
|style="width:40%; text-align:center"|新党日本総務会長
初代:2005年 - 2007年
|style="width:30%"|次代:
最終
- 転送 Template:End
- ↑ 2012年4月15日 読売新聞大阪版朝刊 2ページ
- ↑ 「人事異動」『官報』号外特20号、国立印刷局、2012年6月4日、1面。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 後任に滝氏 午後に認証式 拉致問題担当相は藤村官房長官が兼務 産経新聞 2012年10月24日閲覧
- ↑ 6.0 6.1 6.2 『平成25年春の叙勲』1頁。
- ↑ 滝実オフィシャルサイト
- ↑ 「叙位・叙勲」『官報』号外91号、国立印刷局、2013年4月30日、17面。
- ↑ 「滝まことの履歴書」『衆議院議 滝まことオフィシャルサイト』。
- ↑ 「滝まことの著書・関連本」『衆議院議 滝まことオフィシャルサイト』。