郷原宿
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テンプレート:出典の明記 郷原宿(ごうばらじゅく)は北国西街道(善光寺街道、善光寺西街道)の宿場で、信濃国筑摩郡郷原町村と堅石町村にまたがっていた。(現長野県塩尻市)。
幕末の安政5年の大火の後に再建された町並みは、かつて柳宗悦が「宿場全体が誠に見事な一個の作品だといてよい」と絶賛した。古い建物は、緩い勾配の切妻屋根で、妻側を正面とする本棟造。「雀おどり」と呼ばれる棟飾りが威風堂々とした外観を与えている。また、家屋の前面には庭木が植えられていて、他の宿場町と異なる独特の景観を作っている。現代の建物にも、妻入りの構造は引き継がれている。
堅石町村には東山道の覚志(かがし)駅があり、後に転訛し堅石(かたいし)になったという。