相馬郡 (下総国)
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相馬郡(そうまぐん)は、茨城県・千葉県(下総国)にあった郡。
郡域
明治11年(1878年)の郡区町村編制法施行当時の郡域は、現在の行政区画に当てはめると概ね以下の通りである。ただし、古代・中世の相馬郡および相馬御厨の範囲とは必ずしも一致しない。
- 茨城県
- 千葉県
- 柏市(以下の2地域)
- 布施、布施下、弁天下、布施新町一 - 三丁目
- 大津川以東
歴史
平安時代末期に相馬郡の荘園の大部分が伊勢神宮に寄進されたため相馬御厨として文献に登場する。相馬御厨の税収管理権は千葉氏にあったようであるが、これを巡って上総氏などと争っている。千葉常胤の代に千葉氏による下総国の支配権が確定した後は二男相馬師常に相馬御厨が相続され、以降師常の子孫が相馬氏を名乗った。
なお、現在福島県に存在する相馬郡は、中世下総国相馬郡より起こった千葉氏の一族相馬氏に由来するものである。相馬氏第2代の相馬義胤が軍功によって陸奥国行方郡(現在の福島県南相馬市および飯舘村)に地頭職を得、第11代の相馬重胤が行方郡に土着したとされる。従って現在の茨城県北相馬郡、千葉県東葛飾郡と福島県相馬郡の歴史的な関係は深く、現在に至るまで交流が続いている。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)においては、茨城県取手市が南相馬市との災害時協定に基づいて避難者の受け入れや支援などを行ったほか、千葉県我孫子市も相馬市に対して支援物資の提供等を行っている。
近代以降の沿革
- 所属町村の変遷は北相馬郡#郡発足までの沿革、南相馬郡#郡発足までの沿革をそれぞれ参照
- 『旧高旧領取調帳』に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。幕府領は関東在方掛の岩鼻陣屋が管轄。他にも寺社領が各村に散在。(1町141村)
- 慶応4年
- 明治2年1月13日(1869年2月23日) - 下総知県事の管轄地域に葛飾県を設置。
- 明治4年
- 1873年(明治6年)6月15日 - 印旛県が木更津県に統合して千葉県が発足。
- 1875年(明治8年)5月7日 - 新治県廃止に伴う茨城県・千葉県の再編に合わせて、千葉県管下の下総国のうち利根川以北の区域が茨城県に移管。相馬郡も分割され、利根川以北の区域が茨城県の所属となる。
- 1878年(明治11年)
参考文献
- 角川日本地名大辞典 8 茨城県
- 角川日本地名大辞典 12 千葉県
外部リンク
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