徳島インディゴソックス

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テンプレート:野球チーム 徳島インディゴソックス(とくしまインディゴソックス 、Tokushima Indigo Socks)は、プロ野球独立リーグ四国アイランドリーグplusに所属する徳島県の野球チーム。2005年加盟。略称「徳島IS」。

概要

チーム名は徳島県の伝統的な染物である「藍染」(阿波藍)や観光名所として知られる鳴門海峡をイメージした藍色インディゴ)と、メジャーリーグの伝統あるチームに命名される「ソックス」を組み合わせたもの。チームカラーも藍色である。坂口裕昭球団代表の就任以後、地域への浸透を目指して、「つながる」をスローガンとしている。

球団事務所は発足当時の徳島市を皮切りに、板野郡藍住町(本社)・名西郡石井町(本社)と移り、2011年6月より徳島市に戻った。また、阿南市にも事務所がある。この阿南市の事務所は2007年12月10日に設置されたものである。

ホームスタジアムは発足当初は徳島県鳴門総合運動公園(オロナミンC球場)で、試合によっては徳島県営蔵本球場(JAバンク徳島スタジアム)を兼用していた。その後、2007年5月20日に徳島県南部健康運動公園(アグリあなんスタジアム)がオープンした。同球場は徳島県で初めて硬式野球の夜間公式戦に対応した球場で、交流戦を除く2007年の平均入場者数はこの3球場では最多となった。

2008年のシーズンはホームゲーム40試合のうち23試合をアグリあなんスタジアムで開催する一方、オロナミンC球場での開催は3試合にとどまり、実質的に本拠地を移動させた形になった。県営蔵本球場では引き続き15試合が開催された。また、2007年より三好市吉野川運動公園野球場でも公式戦を開催している。2009年もアグリあなんスタジアムでは主催試合の過半数となる21試合を開催したが、2010年については観客動員数の減少などを理由に主催試合38試合のうち吉野川運動公園野球場の2試合と佐世保野球場1試合(雨天代替)を除く35試合をアグリあなん14・蔵本12・オロナミンC9の割合で実施した。2011年は、主催するリーグ公式戦32試合をアグリあなん12・JAバンク徳島(蔵本)11・オロナミンC7・吉野川2の割合で実施した(このほか、福岡ソフトバンクホークス3軍との交流戦4試合中3試合をJAバンク徳島、1試合をアグリあなんで実施)。球団創設以来初の出場となった2011年のリーグチャンピオンシップやグランドチャンピオンシップはJAバンク徳島球場で開催された。2012年は公式戦36試合中23試合がJAバンク徳島となり(ソフトバンク3軍との交流戦4試合も開催)、事実上本拠地球場の位置づけとなった。それ以外はアグリあなんが6試合、オロナミンCが5試合、吉野川が2試合であった。2013年は36試合中19試合がJAバンク徳島で最多、オロナミンCが10、アグリあなん5、吉野川1のほか、8月4日に海陽町蛇王運動公園野球場で初めて1試合が開催された(ソフトバンク3軍との交流戦はJAバンク徳島2・アグリあなん1・吉野川1)[1][2]。2年ぶりの出場となった2013年のリーグチャンピオンシップはオロナミンC、グランドチャンピオンシップはJAバンク徳島で開催されている。

発足当時、鳴門、蔵本球場(ナイターあり)では、平日の一部の試合を薄暮(準デーゲーム。夕方の4時台か5時台から試合開始し、途中からナイター照明を入れる)で開催していた。その後も2013年シーズンまでは蔵本球場では試合開始を午後5時としていたが、2014年シーズンからは午後6時に変更されている。

2014年シーズンの日程表では、近畿地方にある神戸総合運動公園サブ球場皇子山球場での主催試合が1試合ずつ予定されている。四国を本拠とするリーグの球団が近畿地方の球場で主催試合を開催するのは初めてとなる[3]

成績

シーズン

年度 監督 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 打率 防御率 本塁打
2005 小野和幸 2 90 38 36 16 .513 6.5 .228 2.74 8
2006 小野和幸 4 45 12 30 3 .285 16.0 .230 3.83 9
小野和幸 4 45 12 29 4 .292 17.5
2007 白石静生 4 45 12 29 4 .293 17.0 .221 4.32 11 
白石静生 4 45 7 33 5 .175 20.5
2008 白石静生 5 40 11 22 7 .333 13.5 .223 3.82 11 
白石静生・森山一人 6 40 9 29 2 .237 14.5
2009 堀江賢治 6 40 13 23 4 .361 10.0 .247 3.99 22 
堀江賢治 6 40 12 23 5 .343 10.5
2010 堀江賢治 3 38 20 15 3 .571 4.5 ---- ---- -- 
堀江賢治 3 38 17 17 4 .500 7.0
2011 斉藤浩行 1 32 22 8 2 .733 3.0(注) - - -
斉藤浩行 2 32 18 11 3 .621 1.5
2012 島田直也 3 40 15 23 2 .395 11.5 .236 3.30 27 
島田直也 3 40 21 15 4 .583 1.5
2013 島田直也 2 40 20 17 3 .541 2.5 .254 2.85 24 
島田直也 1 40 24 9 7 .727 2.5(注)

※金地は優勝

  • 注:2位とのゲーム差

リーグチャンピオンシップ

  • 2011年 - 総合優勝(3勝1敗:対戦は香川)
  • 2013年 - 総合優勝(3勝0敗:対戦は香川)

グランドチャンピオンシップ

定期交流戦・ソフトバンク杯

  • 2011年 - 3位(1勝6敗1分)
  • 2012年 - 3位(3勝3敗2分)
  • 2013年 - 優勝(7勝1敗)
福岡ソフトバンクホークス三軍との定期交流戦であり、ソフトバンク三軍戦のみで最も高い勝率をあげたチームが優勝となる。2013年は6試合目まで6連勝した時点で優勝が決まった[4]。最終戦で敗れるまで7連勝を記録し、交流戦のリーグ最高勝率を更新した。

歴史

2005年(1年目)

  • 序盤こそ勝ち星に恵まれなかったが、7月に11連勝を記録してから一気に波に乗り、9月にはついに首位に立った。その後は高知ファイティングドッグスと首位争いを演じる。終盤に力尽き優勝こそ譲ったが、シーズン2位と健闘した。チームの特色として、グレアム義季サイモンや山口寛史など俊足巧打の選手が多く、足を絡めた戦術を多用することが挙げられる。中でもチーム盗塁数はリーグ1位で、グレアムは初代盗塁王に輝いた。

2006年(2年目)

  • 前年の好成績とは対照的に迷走を続けた1年となった。2005年シーズンオフに捕手全員を含む、選手の大量解雇を行い、大幅なメンバー入れ替えを行った。コーチングスタッフも代わり、新チームでのスタートとなったが、エースの角野雅俊のケガによる出遅れや、前年活躍した番場由樹の不調により投手陣は手薄になり、チーム編成に大きな誤算が生じた。また捕手陣は全員入れ替わった為、経験不足が響き、投手陣を支えることができなかった。打撃陣は入団2年目の選手が伸び悩み、自慢の機動力を活かすことができなかった。先発投手の佐藤広樹、渡邊隆洋やストッパーの小林憲幸が好投を見せるなど明るい材料もあったが、チーム全体としては力を発揮することなく前期、後期とも最下位に終わった。個人タイトルは小林が11セーブをあげ、最多セーブポイントを獲得した。9月25日、小野和幸監督と来季の契約を結ばないことを発表した。後任には元広島東洋カープ白石静生が就任した。
  • 9月22日から10月12日まで、元メジャーリーガーの多田野数人(現北海道日本ハムファイターズ)がスポット参戦(短期在籍)。
  • 2006年10月11・12日にアメリカの独立リーグチームであるセントポール・セインツと交流戦を開催した(結果はセインツの2勝)。

2007年(3年目)

  • オフシーズンの練習強化により選手の質を高める方針であったが、十分な成果を生むことができなかった。特に先発の柱となる投手の不足が深刻で、防御率はリーグ最悪の4点台となった。打撃陣も主軸の西村悟の序盤での故障なども響き、チーム打率は2割2分台に留まった。従来の特徴だった機動力も、中心選手だったグレアム義季サイモンが愛媛に移籍したこともあり、初年度(146)の半分近い78盗塁であった。このため、5月下旬に最下位に転落するとその後は低迷し、後期にはリーグ記録となる19連敗を喫するなど、前年よりも悪化する結果となった。個人タイトルも獲得者なしに終わった。一方、観客動員はアグリあなんスタジアムのオープンなどもあって増加し、発足以来初めて1試合平均の入場者数が1000人を上回った。
  • 2007年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議において、小林憲幸が千葉ロッテマリーンズから育成選手枠で指名された。NPBから指名を受けるのはチーム発足以来初めて。

2008年(4年目)

  • リーグ拡張に合わせて他の四国3チームとともにユニホームのデザインを変更した。
  • 梅原伸亮伊奈龍哉といった元NPB選手や、脚力のある金丸勝太郎や金城直仁らの新戦力に期待が寄せられた。金丸と金城が盗塁を増やしたことで、チームの盗塁数は3年ぶりに100個台(128個、リーグ4位)を記録した。しかし、伊奈はケガが回復せずに練習生に降格後に退団した。前年に続いて故障者が出たこともあり、チーム打率・本塁打数はリーグワースト、防御率は5位であった。前期は6月には7連敗を喫し、最後の長崎セインツとの4連戦の結果によっては最下位転落もあり得る状況となったが、3勝1分けで5位を確保した。後期は序盤より出遅れ、2008年7月30日に白石静生監督が成績不振の責任を取り7月31日付で辞任すると発表。後任はコーチの森山一人が8月1日より監督代行を務めることになった(白石は引き続き球団代表として球団にとどまる)。しかし、その後もチームは一度も勝率5割以上に浮上することなく、後期は前年と同じく勝利数が10勝に届かずにシーズンを終えることになった。前年に続いて個人タイトルの獲得者はなかった。
  • 2008年11月、2009年のシーズンより堀江賢治が監督に就任することが発表された。森山監督代行は専任コーチに復帰。梅原兼任コーチは選手専任に復帰予定であったが、ケガのため練習生への降格後に退団した。衣川幸夫コーチは退任し、香川オリーブガイナーズコーチの加藤博人がコーチに就任した。

2009年(5年目)

  • シーズン前には渡邊隆洋が福岡に移籍するなど、発足当時から続けて徳島に在籍している選手が不在となり(四国4チームでは最初。ただし、福岡から移籍した山本健士は初年度のリーグ在籍選手である)、約半分の選手が入れ替えとなる状態でスタート。前期は開幕から6連敗を喫し、その後も5月中旬までに6連敗を1度、3連敗を2度記録して早々に優勝争いから脱落、2期連続の最下位となった。しかし、5月後半から光安祐輝の好投や荒張裕司神谷厚毅らの打撃で上位チームに勝つ機会が増え、後期に期待を抱かせた。後期は優勝候補の香川に勝ち越すなど前期より一時は成績が上向き、愛媛と5位を争う状況になったが、最終的に3期連続の最下位となった。ただし、年間25勝は前後期制になってからここまでで最も多い数字であった。また、カープアカデミーから派遣されたゲレロが最優秀防御率のタイトルを獲得し、チームからは3年ぶりの個人タイトルとなった。
  • 10月29日のドラフト会議で、荒張裕司が北海道日本ハムファイターズから6位で指名を受けた。チームからの指名は2年ぶりで、支配下登録枠では初めてである。

2010年(6年目)

  • 2006年以来経営・運営に当たってきたユーセイホールディングスが撤退し、リーグの直営となった(詳細は後述)。
  • 日曜日限定として白を主体としたデザインのユニホームを新たに使用するようになった。リーグで2種類のユニホームを併用するのは初めて。
  • 前期は福岡から復帰した角野や2年目の大川学史らを中心とした投手力で守り勝つ試合が増えた。序盤に3連敗を1度記録した以外は大きな連敗がなく、初年度以来となる勝率5割以上で3位となった。後期は香川・愛媛に大きく負け越して首位争いからは遠ざかったが、5割以上をキープ。香川の連覇が濃厚となったため、後期の成績次第では年間勝率2位でリーグチャンピオンシップ出場もうかがえたが、最後に高知に競り負け、初の出場はならなかった。しかし、後期も5割ちょうどでシーズンを終えたため、初年度以来5年ぶりに年間の勝率が5割を上回った。個人タイトルの獲得者はなかった。
  • 10月28日のドラフト会議で弦本悠希広島東洋カープから7位で指名され、2年連続で支配下枠の指名者を輩出した。
  • シーズン終了後、10月31日の契約期間満了に伴い堀江監督が退任することが決まり、加藤博人コーチも東京ヤクルトスワローズの2軍コーチ就任のため退任となった。また、白石静生ゼネラルマネージャー(リーグ直営への変更に伴い、2010年4月より球団代表から異動)も11月限りで退任した。
  • 12月10日、2011年のシーズンより斉藤浩行が監督、島田直也がコーチに就任することが発表された。

2011年(7年目)

  • 1月、前オーナー企業が撤退後、不在だった球団代表に東京大学出身で弁護士の坂口裕昭が就任。[5]
  • シーズン途中の4月にゼネラルマネージャーに元ワークスライダーの竹下正造が就任。
  • 前期は5月上旬に首位に出るとその後は一度も譲ることなく、6月29日の高知戦に勝ってチーム創設7年目で初の前期優勝を達成した。これにより、創設当初からリーグに所属する四国4チームはすべて半期優勝を経験した。後期は先行した香川を9月に追い上げ、一度は首位を奪ったがその後は一進一退となる。「連勝すれば逆転優勝」となる香川との最後の直接対決(ダブルヘッダー)が1勝1敗に終わり、マジック1となった香川が最終戦で自力優勝を達成したため、リーグ史上2球団目となる前後期制覇をあと一歩で逃した。個人タイトルは岩根成海がリーグ史上初の0点台で最優秀防御率を獲得したほか、大川学史が最多勝、富永一が最多セーブを獲得した。
  • 後期優勝の香川との対戦となったリーグチャンピオンシップは初戦を落としたものの、そのあと3連勝して創設以来初めて年間総合優勝を達成した。
  • 石川ミリオンスターズとの対戦となったグランドチャンピオンシップは0勝3敗で敗退。アイランドリーグでは最初の敗退チームとなった。
  • 10月27日のNPBドラフト会議で、富永一が広島東洋カープから育成枠1位で指名を受けた。
  • 11月21日、斉藤浩行監督の退団を発表[6]。選手の地域貢献に対する考え方の球団側との相違が原因と報じられている[7]。後任監督に島田投手コーチが就任することが12月22日に発表された[8]。また、欠員となるコーチ1名については、元横浜ベイスターズ喜田剛が打撃コーチに就任することが12月27日に決定した[9]

2012年(8年目)

  • 前期は高知以外の2球団には負け越し、3位にとどまった。前期終了後、打撃コーチの喜田剛が退団した。8月1日に後任として長内孝の就任が決まった。後期は8月に4連勝して首位をうかがう勢いを見せたが、首位の愛媛に負け越したことが響いて3位に終わり、2年連続のチャンピオンシップ進出はならなかった。個人タイトルの獲得者はなかった。

2013年(9年目)

  • 前期は5月中旬までは連敗を記録せず、福岡ソフトバンクホークス3軍との交流戦に4戦全勝する(2011年に交流戦が始まってから、半期で全勝したチームは初めて)など好調だった[10]。しかし、5月下旬から6連敗を喫して後退し、2位に終わった。
  • 後期は7月下旬から8月にかけて10連勝を記録し、首位に立つ。この間、8月7日には無敗のまま交流戦優勝が決定した。愛媛の追い上げを受け、9月上旬にはいったん点灯したマジックナンバーが消滅したこともあったが、再び突き放して9月14日に5期ぶりとなる半期優勝(後期は初)を達成した。カープアカデミーから派遣されたシレットが最多セーブを獲得し、チームとして2年ぶりの個人タイトルとなった。
  • 2年ぶりの出場となったリーグチャンピオンシップは、前期優勝の香川を3勝0敗で破り、2年ぶり2度目の年間総合優勝を達成した。
  • 10月24日のドラフト会議で、東弘明オリックス・バファローズから育成1位で指名を受けた。NPB指名者は2年ぶりである。
  • 2年ぶりの出場となったグランドチャンピオンシップは前回と同じ石川と対戦。初戦に勝利してグランドチャンピオンシップ初勝利を記録した(IL勢として3年ぶりの勝利)。しかしそのあと2連敗し、王手をかけられた第4戦は9回表2死まで1-0でリードしていたものの同点に追いつかれて延長戦に突入、13回に3点を奪われ、1点を返したが及ばず、前回に続く敗退となった。
  • シーズン終了後、長内コーチがオリックス・バファローズのコーチに、森山コーチが愛媛のコーチに[11][12]、それぞれ転出する形で退任した。守備走塁コーチについては12月30日に元大阪近鉄バファローズの武藤孝司[13]、野手総合打撃コーチには2014年1月12日に中島輝士[14]の就任がそれぞれ発表された。

2014年(10年目)

  • 前期は、前年の先発投手の多くが抜けた穴を新外国人のアヤラら新戦力で補い、走塁による機動力を生かした攻撃スタイルを加えた[15]。香川を追う展開となり、優勝マジックをつけられる中、香川との最後の直接対決に敗れた後の4試合は負けることなく日程を終了。最終戦引き分け以上が優勝条件となった香川がその試合に敗れ、勝率で並ぶ形になったが、「直接対戦成績が優位なチームが優勝」というリーグ規定により、香川との対戦成績に勝る(6勝5敗1分)徳島が、2期連続となる前期優勝を達成した[15]

経営

2007年の観客動員は前年の167%増の1試合平均1017人(出典:2007年11月1日徳島新聞)と、順位関係なく応援に駆け付ける観戦者が増加していたが、2008年は前期こそチケット・グッズ売上が前年比30%増と好調だったのに対し後期は低迷し、観客動員は前年より約3%減の1試合平均991人にとどまった[16]。(出典:2008年9月25日徳島新聞)

2009年の入場者数は前年比1万0140人減の2万9518人(1試合平均738人)と20%以上の減少となった。2009年10月30日のリーグ首脳の記者会見によると、売上高5100万円に対して収支は4100万円の赤字となる見込みとされた[17]

2010年3月10日、球団首脳とリーグの鍵山誠CEOが徳島市で開いた記者会見で、3月31日をもって出資者であるユーセイホールディングスが球団の運営・経営から撤退すること、4月以降は当面リーグが直接経営・運営をおこないながら新たなスポンサー獲得に努めることが発表された。会見の中でユーセイホールディングスの手束直胤社長は、4年間での累積赤字が1億5千万円にのぼることを明らかにし、不況の中で安定したスポンサー収入が見込めなかったことや、県民に幅広く浸透することができず苦しんだと語った[18]。鍵山CEOはこの1年間にスポンサーが見つからない場合は球団の活動休止もあるかもしれないが、そうならないように最大限努力すると述べた。

2010年9月29日のリーグ理事会において、2011年度もリーグの直営で参加することが事実上決まったと報じられた[19]。鍵山CEOはスポンサー探しは引き続き実施すると述べている。スポンサー不在となった2010年シーズンの入場者数は1万8157人(1試合平均478人)と1試合平均で前年から35%もの大幅な下落となった。

鍵山CEOは新聞の取材に対し、徳島は四国内のリーグ他球団と比較して地域密着の点で差があること、収入面でも香川・愛媛の1/3であることを挙げ、前者の点については改善の必要性を指摘し、オーナーについては10 - 20人による「共同オーナー制」も検討していることを明らかにしている[20]。また同記事によると3月のオーナー撤退表明から9月末までにチームの存続を求める署名が1万5千人あまり集まったという。

2011年1月、新球団代表に弁護士の坂口裕昭が就任。新スローガン「つながる。」を掲げて地域密着を強化し、3年後の黒字化を目標とした[5]

2011年2月24日のリーグ首脳の記者会見では、2009年度の収支は以前の予測通り4100万円の赤字で、2010年度は3000万円の赤字となる見込であることが公表された[21]。2010年度の赤字見込は四国4球団では最も多く、売上は2300万円で最も少ない。同記者会見では、2011年度の収支目標が2000万円の赤字であることもあわせて明らかにされた。

2011年のシーズンは、会場設営やイベント企画、グッズ販売などの試合運営業務を高知ファイティングドッグスに委託した[22]。これは球団スタッフが限られる点を補うとともに、地域密着を進める高知の手法を学ぶことに加え、2012年度よりナイターを開催する高知にとっても運営方法を学べるメリットがあることから実施された。

2012年2月10日、リーグのスポンサーでもあるセイアのほか、明和クリーン、エヌティコーポレーションの3社、三好亘(保険代理店主)、柏木岳(町会議委員)の個人2名で新たな運営会社「パブリック・ベースボールクラブ徳島」を設立して2012年度より運営に当たることが発表された[23]。3社と2個人は300万円ずつを3年間出資し、3年目での黒字転換をめざすとしている[23]。新会社の初年度となった2012年度の収支は1030万円の赤字で、前年度(2890万円の赤字)から大幅な改善となった[24]

なお、2006年から2009年までの運営会社である徳島インディゴソックス球団株式会社は、2012年3月28日に徳島地方裁判所より破産手続き開始の決定を受けた[25]

NPBからの育成選手派遣

2007年10月に、千葉ロッテマリーンズ瀬戸山隆三球団社長が、プロ野球運営実行委員会で育成選手数名を当球団に派遣する構想を表明した。しかし、この構想についてはその後具体的な進展はみられなかった。

2012年3月にNPBとリーグの間で、育成選手を人数・期間を限って派遣することを可能とする取り決めがなされ、これに従って3月27日に、広島東洋カープの育成選手である永川光浩中村亘佑が2012年シーズンチームに参加することが発表された[26]

マスコット

マスコットキャラクターは蜘蛛をモチーフとしており、名前は「ミスターインディー」。諸般の事情から2年目のシーズンまで着ぐるみがなかったが、2007年のシーズンから登場した。

応援スタイル

  • ファンの応援スタイルは、ヒッティングマーチを歌いながらメガホンを叩くという典型的なもの。また、好機や押せ押せムードのときには阿波踊りの伴奏で使われる(かね)を使った応援も行われるのがいかにも徳島らしいといえる。
  • 鳴り物を用いて応援をリードするのは、公認私設応援団インディゴスパイダー」。また、同じく公認私設応援団に「IBS(インディゴブルーサポーターズ)」があるが、こちらは球団ボランティアの補助やイベントの企画などを行うサポーター集団である。いずれも2005年に発足。また、2008年より本拠地となった阿南市では商工会議所青年部を主体とする私設応援団「インディゴ侍」が同年より活動しており、2009年からは公募によるマスコットガール「インディゴ姫」も加えた応援をおこなっている[27]
  • バラエティ番組の企画で応援歌をはなわに作ってもらったが、公式ソングとなっているかどうかは定かではない。

スタッフ・選手

選手・スタッフについては徳島インディゴソックスの選手一覧を参照。

スタッフ

その他

  • 2005年6月から、ゴールデンレトリバーの「りきまる」がベースボールドッグを務めている。名前の由来は2007年まで徳島新聞で連載されていた「ほのぼの君」の主人公から。ちなみに、作者の佃公彦も徳島にゆかりの深い人物である。

脚注

  1. 試合結果 - 四国アイランドリーグplusウェブサイト
  2. 蛇王では2006年9月に対高知戦が開催される予定だったが、雨天のため中止となった。(参考:徳島IS、3月1日から海陽・蛇王球場で春季キャンプ 徳島新聞2013年2月14日)
  3. 四国外のゲームとしては、過去に高知や香川が岡山県の球場で開催した例はある。
  4. ソフトバンク杯 徳島ISの優勝決定! - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年8月7日)
  5. 5.0 5.1 「つながる」チームに 徳島IS坂口新代表が就任会見徳島新聞2011年1月29日 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "sakaguchi"が異なる内容で複数回定義されています
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. 徳島IS 新監督決定のお知らせ 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年12月22日)
  9. 新コーチ決定のお知らせ四国アイランドリーグplusニュースリリース(2011年12月27日)
  10. インディゴソックス 前期を振り返って - 徳島新聞2013年7月3日
  11. 徳島IS 来期のコーチ契約について - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年11月25日)
  12. 愛媛MP 新コーチ就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年11月25日)
  13. 徳島IS来季の監督・コーチ人事のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2013年12月30日)
  14. []http://www.iblj.co.jp/topics_detail/id=4069 徳島ISコーチ人事のお知らせ]- 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2014年1月12日)
  15. 15.0 15.1 徳島IS 四国IL前期V ファンら祝福 - 読売新聞徳島版2014年6月29日
  16. ただし、半期優勝の香川・愛媛も前年比では1試合平均の観客動員は減少しており、徳島1球団に限った傾向とは言い切れないものの、無料入場者の数が減っているため、収入自体は増加している。
  17. 四国新聞2009年10月31日
  18. 徳島新聞2010年3月11日
  19. 徳島新聞2010年9月30日
  20. 読売新聞(徳島版)2010年10月25日
  21. 四国ILplus 2011年シーズン開幕前記者会見のご報告リーグオフィシャルウェブサイト
  22. インディゴソックス、試合運営を高知に委託徳島新聞2011年3月1日
  23. 23.0 23.1 徳島IS、新会社設立 2年ぶり独立経営徳島新聞2012年2月11日
  24. 香川は1960万円赤字/四国ILplus四国新聞2013年2月26日
  25. NETIB NEWS(倒産情報)
  26. 徳島IS 広島東洋カープより育成選手派遣のお知らせ四国アイランドリーグplusニュースリリース 2012年3月27日
  27. インディゴに勇気を 阿南の私設応援団、マスコットガール募集徳島新聞2009年5月22日

関連項目

外部リンク

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