板野郡

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板野郡いたのぐん)は、阿波国徳島県北東部のテンプレート:郡データ換算

郡人口は四国で一位なほか、中国地方を含めると、広島県安芸郡に次ぐ二位、近畿まで広げても五本の指に入るほどである。中心の町である藍住、北島両町は、過疎地徳島県の中でも年々人口が増えており、また、郡内の町に周辺合併の話も出ていないため、このままいくと、再び人口10万人超の郡になる。

以下の5町を含む。

領域

明治維新時点での領域は現在以下のようになっている。太字の自治体は全域が、通常体は一部が郡域にあたる。

歴史

古代

7世紀に制の板野評として建てられた[1]。これが701年に郡制に移行した。

平安時代後期から江戸時代初期(寛文4年)(1664年)までは板東郡・板西郡の2郡に分割されていたことが、当時の文書・絵図で確認される。 (板野町の三番札所金泉寺山門を境に南北に結ぶラインが板東・板西の境界であったと伝えられている。)

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:阿波国板野郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和39年 昭和40年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
撫養町 撫養町 撫養町 昭和22年3月15日
鳴南市

昭和22年5月15日
改称 鳴門市
鳴門市 鳴門市 鳴門市 鳴門市
瀬戸村 瀬戸村 昭和3年11月1日
町制
鳴門村 鳴門村 昭和15年4月1日
町制
里浦村 里浦村 里浦村
大津村 大津村 大津村 大津村 昭和30年2月11日
鳴門市に編入
北灘村 北灘村 北灘村 北灘村 昭和31年9月30日
鳴門市に編入
板東村 大正4年11月10日
町制
板東町 板東町 昭和34年4月1日
大麻町
昭和42年1月1日
鳴門市に編入
堀江村 堀江村 堀江村 昭和28年4月1日
町制
板西村 明治41年7月29日
町制
板西町 板西町 昭和30年2月11日
板野町
板野町 板野町 板野町
栄村 栄村 栄村 栄村
松坂村 松坂村 松坂村 松坂村
北島村 北島村 昭和15年2月11日
町制
北島町 北島町 北島町 北島町 北島町
松島村 松島村 松島村 昭和22年11月3日
町制
昭和30年3月31日
上板町
上板町 上板町 上板町
大山村 大山村 大山村 大山村
名西郡
高志村
名西郡
高志村
名西郡
高志村
名西郡
高志村
藍園村 藍園村 藍園村 藍園村 昭和30年4月29日
藍住町
藍住町 藍住町 藍住町
住吉村 住吉村 住吉村 住吉村
松茂村 松茂村 松茂村 松茂村 昭和36年8月1日
町制
松茂町 松茂町 松茂町
川内村 川内村 川内村 川内村 昭和30年3月31日
徳島市に編入
徳島市 徳島市 徳島市
応神村 応神村 応神村 応神村 応神村 昭和41年10月1日
徳島市に編入
一条村 大正12年2月9日
町制
一条町 昭和29年3月20日
一部を麻植郡牛島村に編入
昭和32年3月31日
吉野町
吉野町 平成17年4月1日
阿波市の一部
阿波市
阿波郡
柿島村
阿波郡
柿島村
阿波郡
柿島村
阿波郡
柿島村
御所村 御所村 御所村 御所村 昭和30年3月31日
土成町
土成町
阿波郡
土成村
阿波郡
土成村
阿波郡
土成村
阿波郡
土成村

  1. 藤原京藤原宮の北の外濠から出土した木簡に、「板野評津屋里猪脯」とある。奈良国立文化財研究所『藤原京木簡』一、153、1978年、解説77頁。

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