ジャック・ラフィット
- フランスのF1ドライバー。本稿で記載。
- 19世紀フランスの銀行家・政治家。彼についてはジャック・ラフィット (政治家)を参照。
テンプレート:Infobox ジャック=アンリ・マリー・セイビン・ラフィット(Jacques-Henri Marie Sabin Laffite, 1943年11月21日 - )は、フランス生まれの元F1ドライバー。フランス語読みで「ジャック・ラフィー」と呼ばれることもある。
プロフィール
モータースポーツのドライバーとしてはスタートが極めて遅く、1973年に30歳でフランスF3チャンピオンを獲得。翌年F1にデビューしたが、30歳以上でデビューしたドライバーの中でもっとも出走回数が多いドライバーで、1986年イギリスグランプリで当時の最高出走数記録を保持していたグラハム・ヒルに並んだ際には既に42歳になっていた。しかしこのレースのスタート直後に発生した事故により両足を複雑骨折し、このレースを最後にF1から引退した。
とてもゴルフ好きで知られ、ナイジェル・マンセルとも親交がある。1981年のスペインGPに至っては予選中にもかかわらずタイムアタックを切り上げてゴルフに出かけてしまうなど、そのエピソードは尽きない。ちなみにその1981年のスペインGPでは予選を途中で切り上げたにもかかわらずポールポジションを獲得、決勝ではわずか0.211秒差の2位となっている(ちなみにこのレースで優勝したのはフェラーリのジル・ヴィルヌーヴであるが、1位から5位までがわずか1.231秒の差でフィニッシュする接戦であった)。
1983年はウィリアムズのドライバーを務め、最終戦南アフリカGPにホンダがターボエンジンをウィリアムズに供給したときのドライバーだった。
ラフィットといえば、トレードマークが黒地に無地のヘルメットに、勝利したグランプリのウィナーズステッカーだけが貼られたシンプルなものだった。 同時期にルノーなどで活躍したF1ドライバージャン=ピエール・ジャブイーユとは、義理の兄弟(互いの妻が姉妹)である。
1984年アメリカグランプリの際にはサーキットにパジャマ姿で現れるというエピソードを残した。このレースは猛暑とアメリカ国内でのテレビ中継、ヨーロッパとの時差を考慮し通常より3時間早い午前11時スタートと設定され、その関係でウォームアップランが午前7時開始となったため、それに対する皮肉を込めたラフィットのジョークであった。その姿を見たチーム関係者たちは皆爆笑したという。元F1メカニックの津川哲夫は著書「F1グランプリボーイズ」の中でラフィットを「サーキットのコメディアン」と称している。
F1での主な記事
- 1974年 ウイリアムズからF1初参戦。
- 1975年 シーズンランキング12位。
- 1976年 リジェに移籍、シーズンランキング8位。初ポールポジション。
- 1977年 シーズンランキング10位。初優勝。
- 1978年 シーズンランキング8位。
- 1979年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1980年 シーズンランキング4位。1勝。
- 1981年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1982年 シーズンランキング18位。
- 1983年 ウイリアムズに移籍、シーズンランキング11位。
- 1984年 シーズンランキング14位。
- 1985年 リジェに移籍、シーズンランキング9位。
- 1986年 レース中の事故により負傷、シーズン中に引退。シーズンランキング8位。
年度別詳細成績
カーナンバー(F1)
- 21(1974年第11戦~1975年第3戦.5.6.8~14戦)
- 26(1976年~1982年第3戦.5~16戦.1985年~1986年第9戦)
- 2 (1983年)
- 5 (1984年)