井上義久
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テンプレート:政治家 井上 義久(いのうえ よしひさ、1947年7月24日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(7期)、公明党幹事長。
公明党選挙対策委員長、公明党政務調査会長、公明党副代表、公明党総合選挙対策本部長などを歴任した。
経歴
- 富山県立富山中部高等学校、東北大学工学部金属加工学科卒業。
- 1970年 - 公明新聞に入社。記者として政治部、中部支局、政策部などで勤務する。
- 1990年2月18日 - 第39回衆議院議員総選挙に公明党公認候補として出馬し、初当選(旧東京3区)。
- 1993年7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙で落選。
- 1996年10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙に新進党公認候補として出馬し、返り咲く(比例東北ブロック)。
- 1998年
- 1999年9月 - 役員改選により、代表神崎武法の下で党選挙対策委員長(後に本部長)に就任。以後、国政・地方選挙で自由民主党の窓口になる。
- 2000年6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙に出馬し、3回目の当選(比例東北ブロック単独候補、以下同)。
- 2001年 - 6月の東京都議会選挙と7月の第19回参議院議員通常選挙で公明党を善戦させ、党勢を拡大させる。
- 2003年4月 - 地方選で公明党を躍進させる。
- 2003年11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙で4回目の当選。公明党を躍進させる。
- 2004年9月 - 内閣改造で党政務調査会長北側一雄が国土交通大臣に就任したため、後任の党政務調査会長に就任。
- 2005年9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙で5回目の当選。
- 2006年9月 - 党政務調査会長職を斉藤鉄夫に譲り、党副代表に就任。
- 2007年 - 党副代表に留任するとともに、党総合選挙対策本部長に就任。
- 2009年9月 - 第45回衆議院議員総選挙で6回目の当選。落選した北側一雄の後任として、党幹事長に就任する。
- 2012年12月 - 第46回衆議院議員総選挙で7回目の当選。
政策
- 選択的夫婦別姓制度に賛同し、「合意に基づく多様な夫婦の形態を認めるべき」と述べている[1]。
- 2007年1月25日、「永住外国人に対する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権の付与に関する法律案」を衆議院に提出した[2]。
人物
- 石破茂が自由民主党幹事長に就任した2012年9月以降、石破とはプライベートでも親交があり、2013年9月には劇団四季のミュージカル『コーラスライン』を揃って観劇した。観劇には石破の妻も同行し、観劇後には和食料理店で深夜まで痛飲したという[3]。
現在の役職
公明党
- 幹事長
- 財務委員長
- 税制調査会顧問
- 復興・防災部会顧問
- 農林水産部会顧問
衆議院
その他
- 東北大学未来科学技術共同研究センター協議会委員
過去の役職
公明党
- 財務委員長
- 東北方面議長
- 税制調査会長
- 東北各県本部顧問
- 農林漁業活性化対策本部長
- マンション問題議員懇話会会長
主な所属議員連盟
- 高速道路建設推進議員連盟
- 農林水産委員会 - 委員
- 倫理公選法特別委員会 - 理事
- 与党整備新幹線建設促進プロジェクトチーム - 副座長
- 北京オリンピックを支援する議員の会