近鉄信貴線
|} 信貴線(しぎせん)は、大阪府八尾市の河内山本駅から信貴山口駅までを結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)の鉄道路線。全線が八尾市内にある。
概要
信貴山朝護孫子寺への西側のルートの一部であり、信貴山口駅で西信貴鋼索線に接続している。沿線は変化に富み、河内山本駅付近の住宅地をすぎて外環状線を越えるあたりから田園風景がひろがる。途中の服部川付近では大阪平野が眺望できる。服部川駅から信貴山口駅までは急勾配が続く山岳路線の趣がある。なお、服部川駅付近には40‰の勾配があるが、これは近鉄全線中最も急である。平日は通勤・通学利用が主体であるが、土休日は観光客や登山客、高安山にある霊園への参拝客の利用も多い。
スルッとKANSAI対応カードおよびJスルーカード(自動券売機での乗車券引き換えのみ)、ICカードPiTaPa・ICOCAが使用できる。
路線データ
全線、大阪輸送統括部(旧上本町営業局)の管轄である。
運行形態
線内折り返し運転の普通列車のみが、朝夕は約15分間隔、日中は約20分間隔で運転されている(2010年のダイヤ変更以前は昼間時も15分毎だった)。そのうちの朝夕は約半数、日中は約40分に1本の割合で西信貴鋼索線と連絡している。
開始時期は不明だが、1967年までは上本町駅からの直通準急も運転されており、2010年12月12日に信貴線・西信貴鋼索線開業80周年記念イベントとして、この列車の復活運転が行われた[1]。
なお、大晦日から元旦にかけての終夜運転は、ここ最近では線内折り返しの普通列車をおおむね30分間隔で運行し、西信貴鋼索線と連絡するダイヤが組まれている。時刻については近鉄の公式ホームページでも紹介されている。
また、信貴線は制限速度が低く設定されている。河内山本駅 - 服部川駅間は線形が良く駅間も長いが、全線65km/hに制限されている。
車両
大阪線所属の車両が使用されるが、信貴線は2両しか対応していないために2両編成の車両が限定使用され、主に1430系が使われている。詳細は大阪線の項を参照。なお、信貴線に9020系は運用されていない。
歴史
近鉄の前身である大阪電気軌道(大軌)により、信貴山電鉄の鋼索線(現在の西信貴鋼索線)・山上鉄道線(1944年休止、1957年廃止)と同日に開業した。はじめは、信貴山口から生駒山麓を通過して桜井方面に向かう計画であり、信貴線は複線分の線路用地を有している。また、信貴山口から北上して瓢箪山で奈良線にアクセスする計画もあった。
開通当時、信貴山朝護孫子寺へのアクセスとしては既に東側から信貴生駒電鉄によって、1922年に現在の生駒線の一部と東信貴鋼索線(1983年廃止)が開業していた。
しかしこの路線と信貴山電鉄の開業により、それまで関西本線・信貴生駒電鉄経由、ないしは1927年に信貴生駒電鉄の生駒駅 - 王寺駅間が全通したあと、大軌奈良線・信貴生駒電鉄経由で大阪から信貴山へ向かっていた客の多くは、大軌桜井線(後の近鉄大阪線)・信貴線・信貴山電鉄のルートを使うようになった。これにより信貴生駒電鉄は打撃を受け、結局は大軌の傘下に入ることにして存続を図ることにした。信貴生駒電鉄が大軌を改めた近鉄に合併されたのは、1964年のことである。
- 1930年(昭和5年)12月15日:山本駅(現在の河内山本駅) - 信貴山口駅間が開業
- 1968年(昭和43年)10月10日:自動列車停止装置 (ATS) 使用開始
- 2001年(平成13年)2月1日:各駅でスルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始。
- 2001年(平成13年)10月14日:各駅でJスルーカードの取り扱い開始。
- 2007年(平成19年)4月1日:各駅でPiTaPa・ICOCAの取り扱い開始。
- 2009年(平成21年)3月1日:Jスルーカードの自動改札機・のりこし精算機での取り扱いを終了[2]。
- 2010年(平成22年)3月19日:同日のダイヤ変更で、日中の運転間隔が毎時4本から毎時3本に減便。
- 2010年(平成22年)12月12日:信貴線・西信貴鋼索線開業80周年記念イベントとして大阪上本町駅からの直通列車を復活運転。
駅一覧
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 |
---|---|---|---|
河内山本駅 | - | 0.0 | 近畿日本鉄道:大阪線 |
服部川駅 | 2.0 | 2.0 | |
信貴山口駅 | 0.8 | 2.8 | 近畿日本鉄道:西信貴鋼索線 |
脚注
参考文献
関連項目
テンプレート:近畿日本鉄道の路線- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:PDFlink - 近畿日本鉄道プレスリリース 2008年12月2日