池田裕行

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テンプレート:BLP unsourced 池田 裕行いけだ ひろゆき1962年4月26日 - )は、TBS報道記者JNNパリ支局長。

東京都出身。血液型A型。筑波大学附属駒場高等学校東京大学教養学部フランス科卒業。

来歴・人物

1987年4月、一般職として採用されてTBSに入社、第23期生アナウンサー(同期には木場弘子長峰由紀戸田恵美子)として放送界にデビュー[1][2]。報道記者として、首都圏関東地方)ローカルのニュース番組や、JNN系列のニュース番組などを多く担当、入社当初は木曜日の「JNNフラッシュニュース」(「ザ・ベストテン」の放送前)を担当していたこともあった。1989年10月から、『筑紫哲也 NEWS23』の男性サブキャスターとなり、初期(1992年頃まで)は報道局アナウンサーとして登場していた(鈴木史朗柴田秀一なども当時は同じ報道局アナウンサーとしての扱い)。同番組降板後は、『JNNニュース1130』のキャスターとして活躍。その後も『JNN報道特集』や『JNNニュースの森』のキャスターを担当。『ニュースの森』(2004年10月 - 2005年3月)と、それを引き継いで2005年3月28日から放送している『イブニング・ファイブJNNイブニング・ニュースを内包)』のキャスターとして、アナウンサーの小倉弘子とコンビを組んだ。2006年9月イブニング・ファイブを降板し、現在JNNパリ支局長を務める。

エピソード

  • 1989年、かつて伊豆大島で火山が噴火した際の生中継を担当。ところが、なかなか出番が来なかった。理由は当時の『JNNニュースコープ』のキャスター・三雲孝江(当時TBSアナウンサー)の中継が長かったためといわれる。怒りがおさまらなかったのか「中継切れ!」「三雲やめろ、バカ!」という発言をして当時のNG大賞や年末の報道特番で放送されたことがある。キャスターの三雲孝江は、自身が司会していた年末の報道特番で実際にその映像を見ていたが、怒ってはいなかった。その後、二人は16年後の2005年3月28日から『イブニング・ファイブ』で共演することになる。
  • 1992年に発行された『筑紫哲也 NEWS23』の番組特製テレカでは、名前が「池田裕之」と誤植されていた。
  • 『ニュースの森』(2004年10月 - 2005年3月)と、それを引き継いで2005年3月28日から放送している『イブニング・ファイブJNNイブニング・ニュースを内包)』のキャスターとして、アナウンサーの小倉弘子とコンビを組んだ。『ニュースの森』が2005年3月25日をもって終了(打ち切り)することを受けた2004年12月の記者会見で泣いたといわれる。
  • 2005年5月15日フジテレビアナウンサーの佐々木恭子と再婚。佐々木恭子は同じ大学・学部・学科の後輩。結婚前に共同で8千万円を超える都内世田谷区の緑深い場所に位置する新築マンションを購入していた。しかし、2006年4月に結婚後9ヶ月で離婚。池田は佐々木との結婚前に離婚歴があるため離婚は2度目。

出演していた番組

脚注

  1. 『TBS50年史』資料編より。
  2. 『TBSアナウンサーの動き』より。

関連項目

参考文献

  • TBS50年史(2002年1月、東京放送編・発行)…国立国会図書館の所蔵情報
    • 資料編
    • 付属資料DVD-ROM『ハイブリッド検索編』に収録されたPDFファイル
      • 『TBSアナウンサーの動き』(ラジオ東京→TBSの歴代アナウンサーの記録を、同社の歴史とともにまとめた文書)全34ページ。

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