サンアントニオ・スパーズ
テンプレート:バスケットボールチーム サンアントニオ・スパーズ(San Antonio Spurs)は、テキサス州サンアントニオに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。チーム名のspurとはカウボーイがブーツの踵に付ける小さな鉄製拍車のこと。
目次
サンアントニオにおけるスパーズ
- サンアントニオ地区には、メジャースポーツのチームはスパーズしかなく、現役のスパーズの選手の多くや、引退した選手でもデビッド・ロビンソンやジョージ・ガービンなどは今でもこの地域に住んでいる。チームでは子供たちを対象に奉仕活動を学ぶプログラム「チームアップ・チャレンジ」[1]を主催しており、選手、スタッフも行事に参加している。
- サンアントニオ市は「米国のヴェニス」と呼ばれることがある。市街に設けられたリバー・ウォークの存在にちなんでおり、チャンピオンを勝ち取った年にスパーズが河川を船でパレードすることでも知られている。
- スパーズはアラモドームを利用していた時期にNBAの観客動員数記録を作っており、1999年のNBAファイナルではファイナルの入場者数新記録を樹立した。現在はアラモドームよりも狭いAT&Tセンターをホームコートにしている。ホームでの応援は、"GO!SPURS GO!"。
- 毎年二月、AT&Tセンターで大規模な家畜の品評会が開催される。同時に開催される、ロデオ大会も恒例の催しなので二月になると、スパーズはホームコートを明け渡し「ロデオ・ロード・トリップ」と呼ばれる通常9試合の長期ロードゲームの旅に出る。この期間の勝敗がシーズンのチームの強さを測る目安にもなり、注目される。地元スパーズラジオのアナウンサーが歌うロデオロードトリップの歌、8,900mile(総移動距離)もある[2]。
歴史
初期
- 現在のサンアントニオ・スパーズの原型となったチームは、1967年にNBAに対抗する形で発足したプロバスケットボールリーグABA創設と同時にリーグに加盟したダラス・チャパラルズだった。
- 観客動員数で伸び悩んだため、チャパラルズは1970-71シーズンにはホーム戦をテキサス州内の数ヶ所(フォートワース、タラント、ラボック等)で行なったが失敗に終わりまたダラスに戻ることになった。このシーズンのみテキサス・チャパラルズという名称を使った。1973年にはサンアントニオの実業家に買い取られて同地に移転、チーム名を今日のサンアントニオ・スパーズと改めた。チームカラーも赤、白、黒だったものを銀、黒に変えた。*ABA時代のスパーズは成績の悪いシーズンは30勝以下、最も成績の良いシーズンで51勝33敗で優勝経験はなく、中堅程度の存在だった。この時期に、現NBAヘッドコーチのジョージ・カールが所属していた。
- 1976年にABAが解散する際、スパーズはABAからNBAに加盟する4チームのうちの1つに決定された。(残りの3チームは、デンバー・ナゲッツ、インディアナ・ペイサーズ、ニューヨーク(現ニュージャージー)・ネッツである。)
アイスマンの時代
- リーグ移行の時期を挟むスパーズ初期のスター選手は、1974年にバージニア・スクワイアーズから獲得したジョージ・ガービンだった。ガービンはプロデビュー後2年目から引退する前のシーズンまで連続で両リーグのオールスター戦に出場、NBAにチームが移ってから3シーズン連続を含め4度得点王となり、のちに殿堂入りする名選手としてチームを牽引した。冷静沈着で、感情を表に出さず、闘志を内面に秘めて黙々とプレーをするため、「アイスマン」のニックネームで呼ばれ、相手チームに恐れられた。
- 現在ウェスタンカンファレンスであるスパーズは編入時には、イースタンカンファレンスのセントラル・デビジョン所属であった。
- 1980年、NBAに新たにダラス・マーベリックス が加盟し、チーム数は23に増加した。これによりリーグの再編が行われ、ミルウォーキー・バックスとシカゴ・ブルズはイースタン・カンファレンスに、サンアントニオ・スパーズとヒューストン・ロケッツはウエスタン・カンファレンスに編入された。 スパーズはミッドウエスト・デビジョン所属となった。
- ガービンの全盛期だった1980年代前半までにスパーズはリーグ加盟後7シーズン中、5度の地区優勝を果たした。
- 1980年代は好調の時代と低迷な時代が同居したが、全体としては勝ち越した。81年から83年までの3シーズンは70年代に続いてプレイオフに進出したが、ヒューストン・ロケッツやロサンゼルス・レイカーズに敗れた。
低迷期
- 1984-85シーズン後にガービンがシカゴ・ブルズに移籍した後は地区でも最下位になるなど低迷の時代となった。続く4シーズン(1988-89シーズンまで)の成績は115勝215敗となった。
- 1988-89シーズンは、ヘッドコーチに、1988年にカンザス大学をNCAAチャンピオンに導いたラリー・ブラウンが就任し、後のヘッドコーチグレッグ・ポポヴィッチがブラウンにアシスタント・コーチとして招かれ、NBAでのキャリアをスタートさせた。当時、核となる選手が1986年にNBA最優秀守備選手賞に選ばれたアルヴィン・ロバートソンぐらいで、低迷していたスパーズは21勝61敗でシリーズを終えた。この年のチャンピオン、デトロイト・ピストンズは、アイザイア・トーマス、ビル・レインビアらのバッドボーイズが揃い、激しいディフェンス、ラフプレイお構いなしの凶暴なチームで、NBAの侵略者と自らを称し、最も嫌われた所謂ヒールチームであった。このチームは次シーズン連覇を果たしており、只の荒くれチームでは無いことを証明している。
アドミラル(提督)の時代
この状況が変わるのは、1987年にドラフト1位で指名された海軍兵学校のデビッド・ロビンソンが卒業後2年間海軍で兵役に就いた後1989年よりチームに加わってからだった。ロビンソンは海軍で軍役に就いていたため、提督(The Admiral)のニックネームでも呼ばれることになる。ブラウン体制の2年目の1989-90シーズンには大きく躍進し、ブラウンとポポヴィッチは見事にチームの再建を果たすこととなる。
- 1989-90シーズンは、待ち望まれていたデビッド・ロビンソンがスパーズに合流し同じ年にドラフト全体3位で指名されたショーン・エリオットやテリー・カミングスの加入によってチームは盛り返し、前年に35勝上乗せした56勝26敗でシーズンを終えた。この年はクライド・ドレクスラーが主力となりウェスタンカンファレンスを制してファイナルに進出したポートランド・トレイルブレイザーズにカンファレンス準決勝で3勝4敗の末敗れた。ロビンソンは新人のセンターとして1試合平均24.3得点、12.0リバウンドをマーク、新人王を獲得した[3]。
- 1990-91シーズンは、55勝27敗でディビジョンを制してプレイオフに進出したが、1回戦でゴールデンステイト・ウォーリヤーズに1勝3敗で敗れた。このシーズンは、優勝を果たしたシカゴ・ブルズ、マイケル・ジョーダンの時代が始まったシーズンであった。
- 1991-92シーズンは、47勝35敗と昨シーズンより成績を落とし、ディビジョンの覇権をジャズに奪われ2位となり第5シードでプレイオフに進出したが、プレイオフ1回戦でサンズにスィープされチームは、ラリー・ブラウンを1991-92シーズン終盤に解雇した。このシーズンは開幕直前にマジック・ジョンソンの引退がありウエスタンの勢力図が塗り替わったシーズンでもあった。もう一つの大きな出来事として、バルセロナ五輪代表のかつてない豪華な陣容である「ドリームチーム」結成があった。スパーズからはデビッド・ロビンソンが参加し、NBAの国際的な人気を決定付けると共に、バスケットボールブームを巻き起こした。
- 1992-93シーズン、ラリー・ブラウンの解雇に伴いポポヴィッチがゴールデンステート・ウォリアーズに移り、こちらも名将の誉れ高いドン・ネルソンのもとでアシスタントコーチとなった。スパーズはカレッジのUNLVのヘッドコーチだったジェリー・ターカニアンと契約したが、序盤の20試合を9勝11敗となったところで解雇した。その後は1試合をおいて、ジョン・ルーカスが引き継ぎ残りシーズンを49勝33敗まで持ち直したものの、このシーズンはディビジョンの覇権をロケッツに奪われ、第5シードでプレイオフに進出、一回戦はブレーザーズを破ったが、またしても、チャールズ・バークレーの活躍で ファイナルに進出したフェニックス・サンズに敗れた。そのサンズもシカゴ・ブルズ、マイケル・ジョーダンの前には、力尽き3連覇を許している。スパーズはシーズン終了後に現在のオーナーグループがチームを購入し、新しく建設されたアラモドームに本拠地を移した。
- 1993-94シーズンは、オフシーズンにショーン・エリオットとのトレードでデニス・ロッドマンを迎えて55勝27敗を記録したが、プレイオフ1回戦で、ジョン・ストックトンとカール・マローンの強力コンビを擁するユタ・ジャズに完敗し、ルーカスヘッドコーチはすぐに解雇された。
- 1994-95シーズンに、ポポヴィッチが、スパーズのゼネラル・マネージャーに就任する。ポポヴィッチに求められたものはラリー・ブラウンの退任後、成長が横ばい状態にあるスパーズを優勝できるチームにすることだった。スパーズは新たにボブ・ヒルをヘッドコーチに迎え、さらにポポヴィッチがウォリアーズのアシスタントコーチをしていた頃から目を付けていたポイントガードのエイブリー・ジョンソンと契約。また、ショーン・エリオットが復帰して、これまでのチーム最高記録の62勝20敗を記録して、ロビンソンもシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンス決勝でアキーム・オラジュワンのヒューストン・ロケッツに敗れてまたしてもファイナル進出はならなかった。シーズン中、そしてプレイオフでたびたび問題を起こしたロッドマンをこのシーズンでシカゴ・ブルズに殆ど無償で放出した。
- 1995-96シーズンは59勝23敗でレギュラーシーズンを終え、カンファレンス準決勝まで進んだが、2シーズン前と同じく、ストックトン、マローンのユタ・ジャズに敗れた。この時点で誰も翌年の不調を予測するものはいなかった。
- 1996-97シーズン、ロビンソンが背中を痛め、開幕から18試合を欠場し、6試合続けてプレイしただけで左足小指の中足骨を骨折した。手術は無事成功したものの、その後残り試合すべて出場できなかったこともあり、スパーズはチーム史上最低の20勝62敗と一気に凋落した。これはリーグで下から3番目の成績だった。ヒルヘッドコーチは18試合を3勝15敗で終わったところで解雇され、その後をGMであったグレッグ・ポポヴィッチが自ら引き継いだ。しかしこの成績がオフシーズンに幸運をもたらすこととなった。
ツインタワーの時代
1997年のドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得し、ツインタワー時代の幕開けを迎えた。
ポポビッチの始動
- 1997-98シーズン、大学時代はセンターだったダンカンはパワーフォワードとして、ロビンソンとともに「ツインタワー」を形成した。ダンカンは1試合平均21.1得点、11.9リバウンドを記録して、新人ながらオールNBAファーストチームにも選ばれて新人王を獲得した[4]。
- 1998-99シーズンは、開幕前に経験豊富なベテランのマリオ・エリーとジェローム・カーシーを獲得し、ロックアウトで短縮されたシーズンをリーグ首位タイの37勝13敗で締め、プレイオフではウェスタンカンファレンスを11勝1敗の新記録で制覇して、NBAファイナルに初めて出場しニューヨーク・ニックス(イースタンカンファレンス第8シード)を4勝1敗で破り優勝した。ファイナルのMVPはダンカンが獲得した[5]。スパーズはABAから参加したチームの中で最初のNBAファイナルを制覇したチームとなった。(ファイナル出場も初であった。)
- 1999-2000シーズンは、主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。また、前シーズンが通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、連覇の期待が掛かったが、ダンカンがレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休という緊急事態に陥ったチャンピオンチーム、スパーズは、1回戦でフェニックス・サンズと対決。サンズもまたジェイソン・キッド不在という不幸に見舞われていたが、サンズはかつての先発ポイントガード、ケビン・ジョンソンに現役復帰を依頼し、ジョンソンはこれを受諾。サンズは3勝1敗で上位シードのスパーズを破るというアップセットを果たした。チャンピオンチームがファイナル連覇を果たせなかったのは、1986-87シーズン以来のことであった。
- 2000-01シーズンは、58勝24敗を記録しプレーオフでは、ミネソタ・ティンバーウルブズ、ダラス・マーベリックスをそれぞれ1敗しただけで退け、カンファレンスファイナルに進んだが、このシーズンNBAチャンピオンとなったフィル・ジャクソン率いるロサンゼルス・レイカーズに、コービー・ブライアント、シャキール・オニールの活躍で、4連敗スイープで敗れた。
- 2001-02シーズンは昨年同様58勝24敗を記録しディビジョン首位であったが、プレーオフではNBAチャンピオンとなったロサンゼルス・レイカーズにカンファレンスセミファイナルで敗れた。
- 2002-03シーズンは開幕前にロビンソンがシーズン終了後の引退を表明、本拠地もアラモドームからSBCセンター(現AT&Tセンター)に移した。2年目のトニー・パーカー、新加入のエマヌエル・ジノビリやスティーブン・ジャクソン、ダニー・フェリー、ブルース・ボウエン、スティーブ・カー、スティーブ・スミスなど多くのシューターが前回優勝時のメンバーに代わって活躍した。インサイドのダンカンとロビンソンに加えて外からのシュート力も武器となって60勝22敗でプレイオフに進出、プレーオフではカンファレンス準決勝で仇敵レイカーズを破ると、カンファレンス決勝ではポポビッチの元上司であるドン・ネルソン率いるにノビツキー,フィンリー&ナッシュのダラス・マーベリックスを退け、4シーズンぶりにファイナルに進出。司令塔ジェイソン・キッドに牽引され2年連続ファイナル進出のニュージャージー・ネッツを4勝2敗で降し、ポポヴィッチ指揮の下2度目の優勝を遂げた。「ロックアウトの短縮シーズンでたまたま優勝しただけのチーム」という悪評を見事に覆し黄金時代を築いていく。
ビッグ・ファンダメンタルの時代
- 2003-04シーズンは、レギュラーシーズンを7割近い勝率で乗り切り、プレーオフへ進んだ。1st.ラウンドはグリズリーズを難なくスイープで下したが、カンファレンス準決勝でシャック&コービーの時代最後のシーズンとなり、何としてもチャンピオンリングを取りたいベテランのカール・マローン、ゲイリー・ペイトンと大物二人を加え「史上最強のチーム」とも呼ばれたロサンゼルス・レイカーズと対戦し、2勝0敗とリードしたものの、その後4連敗を喫して敗れた。この敗北でチームは大幅な改造をすることとなり、ブレント・バリー、ナジー・モハメド、グレン・ロビンソンを獲得した。このシーズンから、基本に忠実ではあるが、圧倒的な支配力を見せるプレースタイルからビッグ・ファンダメンタル(The Big Fundamental)の愛称を得たティム・ダンカンを中心としたチーム構築が始まる。
ビッグスリーの幕開け
- 2004-05シーズンは、新球団の新設に伴いリーグが再編成され、2カンファレンス4デビジョン制から2カンファレンス6ディヴィジョン制となり、スパーズはミッドウエスト・デビジョンから現在の、サウスウエスト・デビジョン所属となり開幕した。4年目パーカーが平均16.6得点、3年目のジノビリが平均16.0得点と、ダンカンの平均20.3得点に加わり、チームの主力としてビッグスリー誕生のシーズンと言える。大黒柱のティム・ダンカンとパーカー、ジノビリに牽引されたチームは、ウェスタンカンファレンス2位の59勝23敗でプレイオフに進出した。デンバー・ナゲッツ、スーパーソニックス(後のサンダー)、スティーブ・ナッシュの活躍で一躍優勝候補に躍り出たフェニックス・サンズを下し、NBAファイナルへと進んだ。イースタン・カンファレンスを制して、2連覇に挑んだデトロイト・ピストンズを接戦の末4勝3敗で破り、2年ぶりの王座奪還、3度目の優勝を果たした。ファイナルMVPには大黒柱のティム・ダンカン(プレーオフ平均23.6得点、12.4リバウンド、2.7アシスト、2.3ブロック)が選ばれた。
- 2005-2006シーズンは、オフに獲得したベテラン、マイケル・フィンリーの活躍や、パーカーが、苦手だったロングレンジからのシュートを封印し、得意のペネトレイトからの得点に、より磨きをかけ、フィールドゴール成功率が急上昇し、PGとしては異例の54.8%を記録したことで、故障を抱え不調だったダンカン、ジノビリに代わりチームのリーディングスコアラーとして活躍し、スパーズはチーム記録となる63勝19敗の成績を残した。ウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに臨み、一回戦ではキングスを危なげなく下し、カンファレンス準決勝で、かつてスパーズに所属し、ポポビッチの下で優勝を経験したエイブリー・ジョンソンがヘッドコーチのダラス・マーベリックスとの対決となった。このライバル対決は白熱したものとなり、ノヴィツキーとダンカンのエース対決も大いに盛り上がった。最終戦までもつれ、迎えた第7戦、試合終盤でスパーズは3点リードしていた。しかしノヴィツキーが巨体を躍らせながらゴール下に切み執念のダンクを決め、さらにジノビリからファウルを引き出し、ボーナススローも決めた。土壇場で追い付かれたスパーズは、オーバータイムで力尽きシーズンを終えた。
ビッグスリーの時代
- 2006-2007シーズンは、ジノビリがシックスマンへと移向。スターター級のジノビリがベンチに控えることは相手チームにとっては脅威となり、「行き詰った試合の流れを変える」というシックスマンの仕事はうってつけであった。地味ではあるがファブリシオ・オベルト、マット・ボナーの加入も効果が現れ、7割以上の勝率でプレーオフに進出した。また、このシーズンで、10年間続けて50勝以上に相当する戦績(勝率61%以上)でプレーオフに進出している。1回戦のデンバー・ナゲッツとのシリーズ第5戦ではジノビリに替わりスターターとなったマイケル・フィンリーがスリーポイントシュート9本のうち8本を決めるなど活躍。ナゲッツ、サンズ、ジャズを次々と下し、ウェスタンカンファレンス優勝を勝ち取った。ファイナルでは、レブロン・ジェームズ率いるイースタンカンファレンス優勝のクリーブランド・キャバリアーズを、02年のロサンゼルス・レイカーズ以来の四戦全勝で退け、2年ぶりの王座に返り咲いた。ファイナルでは、レブロン・ジェームズに、強固なディフェンダーであるブルース・ボーエンをマッチアップし、フィールドゴール成功率を35%に抑え込む一方、オフェンスでは、トニー・パーカーが独擅場とも言える働き振りを見せ、平均24.5得点5リバウンド3.3アシスト、フィールドゴール成功率は57%を記録し、ファイナルMVPを受賞した。欧州出身選手としては初受賞となった。これでスパーズは出場した4回のNBAファイナルですべて優勝を成し遂げている。また、4-0、4-1、4-2、4-3と勝利のすべてのケースを経験しており、通算16勝6敗(勝率72.7%)のファイナルに強いチームである。
- 2007-2008シーズンは、例年通りシーズンでは安定した戦いを見せ56勝をあげ、プレーオフに進み、フェニックス・サンズ、ニューオリンズ・ホーネッツを破り、カンファレンスファイナルへと駒を進めたが、このシーズン、シックスマン賞受賞のジノビリ[6]がプレーオフ一回戦のサンズ戦で左足首を負傷しており、カンファレンス決勝のロサンゼルス・レイカーズ戦ではその怪我の影響で力が出し切れず意外なほどあっさりと敗れ、またしても連覇を逃した。この年のプレーオフ時点でのロースターの平均年齢は32歳を超えており、チームの若返りがオフの課題となったが、主要な補強は、ロジャー・メイソンとの契約、ジョージ・ヒルのドラフトでの加入程度にとどまった。
- 2008-2009シーズンは、ジノビリが昨シーズンプレーオフで負傷し、北京オリンピックで、さらに悪化した左足首の関節鏡視下手術を9月に受け、チームは73年以来の開幕3連敗をしてしまう。しかし4戦目のウルブズ戦でパーカーがキャリアハイの55得点10アシストの大活躍で連敗を止めた。その後、ジノビリが右腓骨に疲労反応が出たことの影響などで出場試合は自己最低の44試合に終わり、新加入のロジャー・メイソンが71試合に先発、全試合出場し、キャリア最高の成績(平均11.8得点、3ポイント成功率42.1%)を残し、それを補ったものの、チームの勝利数は、昨年を下回り、ウェスタンカンファレンス第3シードでプレーオフに臨んだ。ここでも右の腓骨の疲労骨折で欠場したジノビリ不在が響き、2007-08シーズンに、ベテランPGのジェイソン・キッドを獲得したダラス・マーベリックスに破れ、2000年以来の1回戦敗退となった。
この年あたりから、衰えが見え始めたダンカン一人に頼るスタイルは、終わりを告げざるを得ず、パーカー、ジノビリとのビッグ3に、プラスアルファーを求めて、オフには、主力選手の負担軽減を目指し、主力級のリチャード・ジェファーソンをトレードで獲得した。このシーズンで、50勝以上を10年間続けたことになる。
- 2009-2010シーズンは、ディフェンスの要であるブルース・ボーエンの引退と、リチャード・ジェファーソンが、チームにマッチしきれず、期待した程の活躍ができず、またパーカーが怪我のため出場試合数が56に止まり、平均得点も前年より大きく下げた。パーカーの怪我により大幅に出場時間を増やしたジョージ・ヒルが期待を上回る活躍を見せたが、ダンカン時代を通じて最低の勝率に終わったが、なんとか50勝は確保し、50勝以上のシーズンの継続記録を11年に伸ばした。プレーオフには第7シードで進出し、豪華戦力補強を行ったダラス・マーベリックス戦でジノビリは鼻骨を骨折しながらもプレーを続け、[7]スパーズを2回戦へと進めたものの、2回戦で、フェニックス・サンズにあっさりとスィープされシーズンを終えた。
- 2010-2011シーズンは、ジノビリを中心に据えて[8]パーカー、ダンカンとまさにビッグスリー体制で臨んだ。ダンカンは負担軽減でプレー時間を減らし、平均得点・平均リバウンドも最少に終わったにも関わらず、結果的に61勝21敗と強さを見せつけウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに突入した。この時点でのチーム状況は、アップテンポで攻撃的な試合展開を見せ、得点力は確実に上がった反面、スパーズの最大の強みである強固なディフェンスに隙が見えることも屡々あり、万全とは言い切れないものであった。ジノビリが、右肘を負傷しプレイオフ初戦を欠場し、次戦からも万全な状態でプレーすることができず、またリチャード・ジェファーソンの不振も響き、1戦目で、メンフィス・グリズリーズにグリズリーズ史上始めてのプレイオフでの勝利を許し、そのままグリズリーズの勢いを止められずに2勝4敗で一回戦敗退した。プレイオフで第1シードチームが8位チームに敗退することは、ファーストラウンドが7試合制になって以降としては史上2度目となる失態であった。中心メンバーがベテラン揃いになり、シーズンでは力を発揮するものの長いシーズン後のプレイオフでは疲労が取れずに力を発揮できないシーズンが多くなってきた事と本来のディフェンス力を取り戻すことが課題として残った。しかし、一方では、ジョージ・ヒル、デュワン・ブレア、ゲイリー・ニール、ダニー・グリーンなど他チームからさほど注目されなかった好選手を見い出し育てるスパーズの目利きぶりを発揮しつつ、若返りを進めてはいた。
チーム再構築
- 2011-2012シーズンは、順調に成長を遂げてきたジョージ・ヒルの故郷インディアナでの更なる飛躍と、近年不安材料となっていたディフェンス力の立て直しを図るためインディアナ・ペイサーズの2012年ドラフト一巡目指名のクワイ・レナードとジョージ・ヒルとのトレードを敢行した[9]。更に、カナダ人ポイントガードのコーリー・ジョセフを1巡目指名獲得した。補強ではパーカーの控えとなるポイントガードのT.J.フォードと契約した。
1998年以来のロックアウト[10]でレギュラーシーズンは全66試合と短縮された。開幕後ジノビリの利き手左手の骨折と、古傷からT.J.フォード突然の引退などアクシデントはあったものの、ベテラン陣の安定した働きと、スプリッターを筆頭に若手も順調に実力を伸ばし、ルーキーレナードも経験不足ながら期待通りのディフェンス力を発揮し、序盤、中盤を勝率約7割で安定して乗り切った。更にシーズン途中のトレード・デッドライン直前には、総合的な貢献に限界が感じられたリチャード・ジェファーソンのトレードで、2002-2003シーズンチャンピオンメンバーのスティーブン・ジャクソンを獲得し[11]、その後も、T.J.フォード引退[12]により待ち望んでいた、控えポイントガードにパトリック・ミルズ[13]、パーカーの旧知であり、リーグ屈指のユーティリティープレーヤーのボリス・ディアウと契約を結んだ。終盤、補強選手がチームにかみ合うと、シーズン途中42勝16敗となった時点で2年連続18度目のサウスウエスト地区優勝を飾り、残り2試合となった時点で48勝16敗でウエスタンカンファレンスのプレーオフ第1シード権を得た。最終的にレギュラーシーズンを50勝16敗で乗り切り、ロックアウトで短縮されたシーズンであったにもかかわらず50勝以上のシーズン継続記録を13年に伸ばした。また、前回のロックアウトシーズンも含め勝率61%以上(50勝以上相当)のシーズンと、プレーオフ進出は、15年連続となった。このシーズンでポポビッチは、11連勝後に、2度にわたりビッグスリーを一度に休ませる策に出て、連勝は伸ばせなくとも、選手全員が、良い体調を維持しプレーオフへ突入する体勢を作り、自身2度目の最優秀監督賞に輝いた。1回戦は、第8シードのユタ・ジャズとの対戦となったが、レギュラーシーズンを10連勝で終えた勢いのままに、4戦連勝し、難なくスイープし、続く2ndラウンドでは、クリス・ポールの加入と、ブレイク・グリフィンの成長により、2006年以来のカンファレンス・セミファイナルへ進出したロサンジェルスクリッパーズにも4連勝した。カンファレンス・ファイナルでは、オクラホマシティ・サンダーとの対戦となり、ホームコートで、幸先良く連勝し、連勝を20に延ばした。しかしながらアウェイでの3戦目を、サンダーのフィジカルなディフェンスにオフェンスリズムを狂わせ大差で落とすと、波に乗ったサンダーの勢いを止める事が出来ず、そのまま4連敗し、2007年以来のカンファレンス優勝を果たすことは出来なかった。
若返りとチームスタイルの確立
- 2012-2013シーズンは、アシスタントコーチのジャック・ヴォーンが、オーランド・マジックのヘッドコーチとして転出するなど、コーチ陣に移籍があったが、新ロースターは、フランスナショナルチーム代表のナンド・デ・コロを加えた程度で、昨シーズンと殆ど変わりのない陣容で開幕を迎えた。その分、チームとしての完成度は高く、途中レナードとジャクソンの主力2名を故障で欠いたが、11月終わりまでの17試合を、13勝4敗の好成績でスタートをきった。11月下旬の長期ロードで、スパーズは、全米テレビ放送のあった29日のマイアミ・ヒート戦で、ダンカン、パーカー、ジノビリ、グリーンの主力4選手を遠征から一足先にホームに帰らせ休養を与えた件で、リーグから25万ドルの制裁金処分を受けた。試合はワンサイドゲームとなると予想されたが、主力計6人を欠いた9人編成のチームは、残り1分の時点まではリードし、昨年のチャンピオンを追い込み苦しめたが惜敗に終わった。ヘッドコーチのポポビッチは、予てから主力に休養を与える戦術を用いており、デビッド・スターンの決定については「残念」であるとしたが、テレビ放映権に関わる過密日程が問題視される中では、今後も選手を休養させる可能性のある事を示唆している。12月には、ボブキャッツ戦で19本、マーベリクス戦では、20本の3ポイントショットを決め、フランチャイズ記録を塗り替えるなど、中盤から終盤に掛けて、ジノビリ、パーカー、ディアウなど、主力に故障者が出たものの、総力戦で例年通りの安定した戦いを続け、50勝以上のシーズンを14年連続とした。58勝24敗と60勝には届かなかったが、ウェスタンカンファレンス第2シードで、16シーズン連続でプレーオフ進出を決めた。プレイオフ直前に、フィールドゴール成功率の低迷するスティーブン・ジャクソンを解雇し、前年夏のワークアウトに参加していたトレイシー・マグレディと契約を結びプレーオフに臨んだ。オールNBAファーストチームにダンカンが、2ndチームにパーカーが選出された。
- 2012-2013シーズンのプレイオフは、1stラウンドで、コービー・ブライアント(アキレス腱断裂)を筆頭に、主力の故障による離脱が続いた第7シードのレイカーズとの対戦となり、労することなく4戦全勝でスイープした。このシーズン最大の注目トレードでレイカーズに加わったドワイト・ハワードも期待された活躍が出来ず、最終戦では2度のテクニカルファウルで、シーズンの終了を待たず退場となっている。
カンファレンス・セミファイナルは、第3シードのデンバー・ナゲッツをアップセットした第6シードのゴールデンステイト・ウォーリアーズとの対戦となった。第1戦では、ステフィン・カリーの爆発的な活躍で、4クォーター残り4分で16点差という大量リードを許していた展開から追いつき、2度の延長の末、残り数秒でのジノビリの3ポイントで逆転し、そのまま2点差で逃げ切った。残り4分で16点差からの逆転はプレーオフ史上、初めての出来事であった。次戦では、ウォリアーズ期待の若手クレイ・トンプソンの奮起で、ホームゲームを落としたが、ロードで1勝1敗と粘り、ホーム第5戦、ロード第6戦を連勝し突破した。
カンファレンス・ファイナルではサンダーをアップセットで倒したメンフィス・グリズリーズとの対戦となった。この年の最優秀ディフェンシブプレーヤーに選ばれたマーク・ガソルを擁し、強固なディフェンスで定評のあるグリズリーズとの第1戦は、泥臭い試合になると予想されたが、結果はスパーズの安定した試合運びで22点差のワンサイドゲームでスパーズが勝利した。第2戦は、最終クオーター残り26秒4点差で逃げ切りの展開から、ジノビリのトニー・アレンに対するフレグラント・ファウルに伴う2スロー、1ポゼッションで追いつかれ、オーバータイムへ入ったが、ダンカンの6得点で連勝を決めた。後日このフレグラントファールは、アレンのフロッピングと裁定され、5,000ドルの罰金が科された。第3戦は、開始直後からグリズリーズの激しいディフェンスで1stクオーターは、8ターンオーバー、13得点、29失点の16点ビハインドに追い込まれたが、2~4クオーターで地道に追いつき2試合連続オーバータイムとなった。前戦同様ダンカンがゲームを支配し3連勝となった。この試合で、ダンカンはプレーオフでの通算ダブルダブルを144とし、143回のウィルト・チェンバレンを抜き、歴代2位となった。1位はマジック・ジョンソンの157回、4位はシャキール・オニールの142回、5位はビル・ラッセルの137回である。第4戦はパーカーのフィールドゴール成功率7割を超える37得点でグリズリーズを圧倒しスイープする結果となり、2007年以来久々のカンファレンス優勝を飾った。ファイナルを前に、ポポビッチの下で6年間第1アシスタントコーチを務めてきたマイク・バデンホルツァーが来期のアトランタ・ホークスのヘッドコーチに就任することが発表された。
久々のファイナル進出と初めての敗退
- 2013年NBAファイナルは、スパーズが対戦相手決定待ちの間、イースタンカンファレンス決勝は、ヒート対ペイサーズで7戦まで縺れたが、前年王座のヒートと対戦相手となった。レブロンとは7年ぶりのマッチアップとなる。最長と最短の休養での対戦となったアウェイでの第1戦は、ビッグスリーの安定した働きで勝利したが第2戦は逆にビッグスリーが精彩を欠き、第3クオーターで突き放されるとそのまま敗戦した。ホームに戻った第3戦は、グリーンとニールを中心に、NBAファイナル新記録の3ポイント16本(32投)を決め、レナードのレブロンへのディフェンスも有効に機能しゴール成功率を33%、フリースローなしに抑え、37点差の大量リードで勝利した。第4戦は、ビッグスリーが、パーカーの右ハムストリングの故障とジノビリの長期スランプから、合計40得点に止まったのに反し、ヒートのビッグスリーには合計85得点を許し、16点差で敗れた。この試合では、ヒートのクリス・ボッシュにフロッピングの裁定が下り、ファイナルでは初の罰金が科された。ホームでの最終戦となる第5戦は、ジノビリがスターターで、センターなしのスモールラインアップで臨んだ。ジノビリがこれまでの不調を払拭し24得点10アシストの活躍を見せ、パーカーも故障を抱えながら26得点、ダンカンは安定して17得点、12リバウンドとビッグスリーが本来の姿を取り戻した上に、グリーンが24得点と、しぶといディフェンスで貢献し、対戦成績を3勝2敗とし優位に立った。この試合で6本のスリーポイントを決めたグリーンは、相手チームのレイ・アレンがセルティクスで2008年に記録したファイナル3ポイント総成功数記録22本を超え、更に25本まで記録を伸ばした。この時点で成功率は66%であった。第6戦は、前半はダンカンのハイパフォーマンスで優位にゲームを進め、このまま優勝するかとおもわれたが、グリーンの3ポイントが封じられたこと、ジノビリのターンオーバーの繰り返し、終盤のダンカン、パーカーの消耗が響き、オーバータイムの末、敗れ3勝3敗となった。最終戦は、近年希に見る接戦となったが、レブロン・ジェームズに本来の爆発力を取り戻されてしまい、スパーズは、これまで4度のファイナル進出ではすべて優勝していたが、初めてファイナル敗退を喫した。
チームバスケットの確立
- 2013-2014シーズンは、開幕前にFAのゲイリー・ニールがバックスへ、デュワン・ブレアがマーベリックスに移籍し、主な補強は、マルコ・ベリネリ(前ブルズ)、ジェフ・エイアーズ(前ペーサーズ)の入団となった。オールスター前までの前半戦は、レナード、グリーン、スプリッターなどの故障欠場で、スターターの変更を余儀なくされる中で、層の厚いベンチプレーヤーの活躍で、38勝15敗の成績で乗り切った。中でも、以前ユーロリーグでジノビリと同チームでプレーした経験のあるベリネリが当初からチームに馴染み、高確率で3ポイントを決め貢献した。またベリネリはオールスターのスリーポイントシュートアウトで24得点をあげ優勝した。オールスター明けの後半戦は、当初パーカーが体調万全まで回復するため数試合休養したが、チームは好調を維持した。3月15日のレーカーズ戦での勝利で後半戦を11勝1敗とし、この勝利で、スパーズビッグスリーである、ダンカン、パーカー、ジノビリ、トリオのレギュラーシーズンでの勝利数を491勝とし、ロサンゼルス・レーカーズの、マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、マイケル・クーパーを抜きNBA歴代2位となった。 歴代首位540勝のトリオはボストン・セルティックスのラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュである。スパーズビッグスリーでの試合数は664試合で歴代3位であり、勝率は74%とポポビッチ時代の勝率68%の中でも群を抜いている。プレーオフ試合数は2014年5月6日時点で165試合で歴代1位である。2位はマジックらの157試合、3位はバードらの150試合である。また数あるビッグスリーの中でも、全員が異なる国籍であるのはスパーズビッグスリーのみである。従来から外国籍選手が多いスパーズではあるが、このシーズンはナンド・デ・コロがオースティン・デイと交換トレードされた後でも、フランス2名、オーストラリア2名、カナダ、アルゼンチン、イタリア、ブラジル各1名、合計8名が海外選手で占められた。このシーズン66試合目となるユタ・ジャズ戦を10連勝で勝利し、50勝以上のシーズンを15年連続とした。ここから連勝は更に続き、レギュラーシーズンのフランチャイズ新記録の19連勝まで到達した。ちなみに、レギュラーシーズンからプレーオフを合わせた連勝記録は前シーズンの20連勝である。4月12日、サンズ戦に勝利し、62勝18敗とし、プレイオフ全体の第1シードを確定した。続く2戦は主力を休養させ2敗し、62勝20敗でレギュラーシーズンを終えた。このシーズンのスパーズは従来にも増してチームプレー重視のスタイルが貫かれ、少しでもオープンな選手がいればパスを回し続ける(ワン・モア・パス)プレーで、アシスト数はポイントガードに偏らず、チームとして毎試合多くを記録した。また得点に関しても、スタープレーヤに偏るのではなくチームとして積み上げていく(アンセルフィッシュ)スタイルで強固なオフェンスを作り上げた。ロースターのうち9人が1試合平均8得点以上を記録するという、NBAの歴史でも希にしかない記録を作った。
トップシードでプレーオフへ
- プレーオフ1stラウンドはダラス・マーベリックスとの対戦となった。ダラスヘッドコーチのカーライルは、通常のマッチアップでは勝算が薄いと踏んで、ピック・アンド・ロールディフェンスで、スイッチを多用し敢えてミスマッチを作り、スパーズのシステマチックなオフェンスに混乱を生じさせる策に出た。第2戦はこの戦術が当たりダラスが勝利し、第3戦ではヴィンス・カーターのブザービーターで逆転の連敗を喫し、第6戦では、元スパーズのデュワン・ブレアの10得点14リバウンド、4スティールのダブルダブルの活躍で敗れ、最終戦まで縺れたが、本来のリズムを取り戻し最終ゲームを大差で勝ち、4勝3敗で、対ポートランド・トレイルブレイザーズのカンファレンス・セミファイナルへ進んだ。カンファレンス・セミファイナルは、ホーム初戦から3戦まで圧勝し、4勝1敗でカンファレンスファイナルへ進んだ。オクラホマシティ・サンダーとのホームでの第1戦は、122-105で圧勝し、この勝利でスパーズビッグスリーのプレーオフでの勝利数は110となり、ショータイム時代のロサンゼルス・レイカーズの、ジョンソン、ジャバー、クーパートリオと並んだ[14]。第2戦は112対77とさらに大勝し、勝利数を111として、歴代最高記録を達成した。ロードでの第3戦、第4戦は、欠場していたサージ・イバーカの突然の出場に撹乱され連敗を喫したが、第5戦から、イバーカ対策としてマット・ボナーをスターターに起用し、イバーカをペイントエリアからペリメーターに引き出し、ペイントエリアポイントを増やすことに成功し、勝利した。第6戦はオーバータイムまで縺れたが、連勝し2年連続でカンファレンス優勝を勝ち取った。今回から、ホーム・ホーム・アウェイ・アウェイ・ホーム・アウェイ・ホームにフォーマットが変更になり、移動の負担が増えるファイナルは2年連続ディフェンディングチャンピオンのマイアミ・ヒートとの対戦となった。
7年ぶりのチャンピオン
- ホームでの第1戦は、AT&Tセンターの空調設備が故障し、コートの温度が32℃を上回る過酷な条件でゲームが進んだ。終盤、レブロン・ジェームズが左足に痙攣を起こし途中退場すると、ヒートは完全に変調をきたし、スパーズの圧勝に終わった。後に「エアコンゲーム」と呼ばれた。第2戦は、レブロンが復活し、ゲームは接戦となったが、勝負どころでスパーズがパーカー、ダンカンと4連続でフリースローを外し、これまでのプレーオフで連敗のないヒートに僅差で逃げ切られた。
- アウェイのアメリカン・エアラインズ・アリーナに所を変えた第3戦は、スパーズの完成度の高いチームオフェンスが機能し、前半でフィールドゴール成功率75.8%というNBAファイナル記録をたたき出し、前半終了時で、71対50と21点差とし、後半も1、2戦、スランプ気味であったクワイ・レナードが、ディフェンス・オフェンス共に活躍し、キャリアハイの29得点をあげ、19点差で圧勝した。このゲームを期にレナードが攻守ともに好調を取り戻し、スパーズのベンチメンバーも含めた総力オフェンスに対し、ヒートは策を失い連敗し、ホームでの第5戦に向け王手をかけた。
- ファイナル3勝1敗から逆転したチームはないことを受け、ジェームズは歴史は自分たちが作ると、復活を誓った第5戦は、序盤のみレブロンの活躍があったが、その後はスパーズが総合力で凌駕し、圧勝で5度目となるチャンピオンを勝ち取った。攻守の活躍でファイナルMVPにはレナードが選ばれた。このシーズンのスパーズのプレーは、パスを中心においたボールムーブで、メディアから「ビューティフル・バスケットボール」などど表現されたように、チーム最優先のプレーが際立っており、他チームのプレーヤーもこれを賞賛した。合計70点差をつけての優勝は、1965年のファイナルでセルティックスがレイカーズを相手に合計63点差をつけて優勝した時の記録を抜き、ファイナル史上最大得点差での優勝となった[15]。フィールドゴール成功率52.8%もファイナル新記録である[16]。
シーズンごとの成績
テンプレート:NBA SBS
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: white; color: red;"|ダラス・チャパラルズ (ABA)
|-
|1967-68 || 46 || 32 || .590 || 1st.ラウンド勝利
ABA準決勝敗退 || ダラス 3, ヒューストン 0
ニューオーリンズ 4, ダラス 1
|-
|1968-69 || 41 || 37 || .526 || 1st.ラウンド敗退 || ニューオーリンズ 4, ダラス 3
|-
|1969-70 || 45 || 39 || .536 || 1st.ラウンド敗退 || ロサンゼルス 4, ダラス 2
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: red; color: white;" |テキサス・チャパラルズ (ABA)
|-
|1970-71 || 30 || 54 || .357 || 1st.ラウンド敗退 || ユタ 4, テキサス 0
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: white; color: red;" |ダラス・チャパラルズ (ABA)
|-
|1971-72 || 42 || 42 || .500 || 1st.ラウンド敗退 || ユタ 4, ダラス 0
|-
|1972-73 || 28 || 56 || .333 || ||
|-
!colspan="10" style="text-align: center; background-color: #000; color: silver;" |サンアントニオ・スパーズ (ABA)
|-
|1973-74 || 45 || 39 || .536 || 1st.ラウンド敗退 || ペイサーズ 4, スパーズ 3
|-
|1974-75 || 51 || 33 || .607 || 1st.ラウンド敗退 || ペイサーズ 4, スパーズ 2
|-
|1975-76 || 50 || 34 || .595 || 1st.ラウンド敗退 || ニューヨーク 4, スパーズ 3
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: #000; color: silver;" |サンアントニオ・スパーズ (NBA)
|-
|1976-77 || 44 || 38 || .537 ||セントラル3位
1st.ラウンド敗退 || セルティックス 2, スパーズ 0
|-
|1977-78 || 52 || 30 || .634 || セントラル1位
カンファレンス準決勝敗退 || ワシントン 4, スパーズ 2
|-
|1978-79 || 48 || 34 || .585 || セントラル1位
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 || スパーズ 4, シクサーズ 3
ワシントン 4, スパーズ 3
|-
|1979-80 || 41 || 41 || .500 ||セントラル3位
1st.ラウンド敗退 || ロケッツ 2, スパーズ 1
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: #aaa; color: white;" |イースタン・カンファレンス → ウエスタン・カンファレンス
|-
|1980-81 || 52 || 30 || .634 || ミッドウエスト1位
カンファレンス準決勝敗退 || ロケッツ 4, スパーズ 3
|-
|1981-82 || 48 || 34 || .585 || ミッドウエスト1位
準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 || スパーズ 4, ソニックス 1
レイカーズ 4, スパーズ 0
|-
|1982-83 || 53 || 29 || .646 || ミッドウエスト1位
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 || スパーズ 4, ナゲッツ 1
レイカーズ 4, スパーズ 2
|-
|1983-84 || 37 || 45 || .451 ||ミッドウエスト5位
||
|-
|1984-85 || 41 || 41 || .500 || ミッドウエスト5位
1st.ラウンド敗退 || ナゲッツ 3, スパーズ 2
|-
|1985-86 || 35 || 47 || .427 || ミッドウエスト6位
1st.ラウンド敗退 || レイカーズ 3, スパーズ 0
|-
|1986-87 || 28 || 54 || .341 || ミッドウエスト6位
||
|-
|1987-88 || 31 || 51 || .378 || ミッドウエスト5位
1st.ラウンド敗退 || レイカーズ 3, スパーズ 0
|-
|1988-89 || 21 || 61 || .256 ||ミッドウエスト5位
||
|-
|1989-90 || 56 || 26 || .683 ||ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 || スパーズ 3, ナゲッツ 0
ブレイザーズ 4, スパーズ 3
|-
|1990-91 || 55 || 27 || .671 || ミッドウエスト1位
1st.ラウンド敗退 || ウォリアーズ 3, スパーズ 1
|-
|1991-92 || 47 || 35 || .573 || ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退 || サンズ 3, スパーズ 0
|-
|1992-93 || 49 || 33 || .598 || ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 || スパーズ 3, ブレイザーズ 1
サンズ 4, スパーズ 2
|-
|1993-94 || 55 || 27 || .671 ||ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退 || ジャズ 3, スパーズ 1
|-
|1994-95 || 62 || 20 || .756 || ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 || スパーズ 3, ナゲッツ 0
スパーズ 4, レイカーズ 2
ロケッツ 4, スパーズ 2
|-
|1995-96 || 59 || 23 || .720 || ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 || スパーズ 3, サンズ 1
ジャズ 4, スパーズ 2
|-
|1996-97 || 20 || 62 || .244 ||ミッドウエスト6位
||
|-
|1997-98 || 56 || 26 || .683 || ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 || スパーズ 3, サンズ 1
ジャズ 4, スパーズ 1
|-
|1998-99ファイル:NBA FINAL CHAMP.png
ロックアウト || 37 || 13 || .740 ||ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝 || 第1シード
スパーズ 3, ウルブズ 1
スパーズ 4, レイカーズ 0
スパーズ 4, ブレイザーズ 0
スパーズ 4, ニックス 1
|-
|1999-2000 || 53 || 29 || .646 ||ミッドウエスト2位
1st.ラウンド敗退 ||第4シード
サンズ 3, スパーズ 1
|-
|2000-01 || 58 || 24 || .707 || ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 ||第1シード
スパーズ 3, ウルブズ 1
スパーズ 4, マーベリックス 1
レイカーズ 4, スパーズ 0
|-
|2001-02 || 58 || 24 || .707 || ミッドウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||第2シード
スパーズ 3, ソニックス 2
レイカーズ 4, スパーズ 1
|-
|2002-03ファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.png || 60 || 22 || .732 ||ミッドウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝 ||第1シード
スパーズ 4, サンズ 2
スパーズ 4, レイカーズ 2
スパーズ 4, マーベリックス 2
スパーズ 4, ネッツ 2
|-
!colspan="6" style="text-align: center; background-color: #aaa; color: white;" |ミッド・ウエスト → サウス・ウエスト div.
|-
|2003-04 || 57 || 25 || .695 ||サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 ||第3シード
スパーズ 4, グリズリーズ 0
レイカーズ 4, スパーズ 2
|-
|2004-05ファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.png || 59 || 23 || .720 ||サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝 || 第2シード
スパーズ 4, ナゲッツ 1
スパーズ 4, ソニックス 2
スパーズ 4, サンズ 1
スパーズ 4, ピストンズ 3
|-
|2005-06 || 63 || 19 || .768 ||サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退 || 第1シード
スパーズ 4, キングス 2
マーベリックス 4, スパーズ 3
|-
|2006-07ファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.png || 58 || 24 || .707 ||サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝 ||第3シード
スパーズ 4, ナゲッツ 1
スパーズ 4, サンズ 2
スパーズ 4, ジャズ 1
スパーズ 4, キャブス 0
|-
|2007-08 || 56 || 26 || .683 ||サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
NBAカンファレンス決勝敗退 || 第3シード
スパーズ 4, サンズ 1
スパーズ 4, ホーネッツ 3
レイカーズ 4, スパーズ 1
|-
|2008-09 || 54 || 28 || .659 || サウスウエスト1位
1st.ラウンド敗退 ||第3シード
マーベリックス 4, スパーズ 1
|-
|2009-10 || 50 || 32 || .610 ||サウスウエスト2位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝敗退
||第7シード
スパーズ 4, マーベリックス 2
サンズ 4, スパーズ 0
|-
|2010-11 || 61 || 21 || .744 ||サウスウエスト1位
1st.ラウンド敗退 ||第1シード
グリズリーズ 4, スパーズ 2
|-
|2011-12
ロックアウト || 50 || 16 || .758 || サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || 第1シード
スパーズ 4,ジャズ 0
スパーズ 4, クリッパーズ 0
サンダー 4, スパーズ 2
|-
|2012-13 || 58 || 24 || .707 || サウスウエスト1位
1st.ラウンド勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退||第2シード
スパーズ 4, レイカーズ 0
スパーズ 4, ウォリアーズ 2
スパーズ 4, グリズリーズ 0
ヒート 4, スパーズ 3
|-
|2013-14ファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.pngファイル:NBA FINAL CHAMP.png || 62 || 20 || .756 || サウスウエスト1位
1st.ラウンド
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス優勝
NBAファイナル優勝 || 第1シード
スパーズ 4, マーベリックス 3
スパーズ 4, ブレイザーズ 1
スパーズ 4, サンダー 2
スパーズ 4,マイアミ・ヒート 1
|-
!通算勝敗 || 2262 || 1550 || .593 || ||
|-
!プレイオフ || 219 || 189 || .537 || 優勝5回 ||
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現在のチームスタイル
ダンカン、パーカー、ジノビリのビッグスリーはもちろん、現在のロースターの内、多くがNBAでスパーズ以外のチームに在籍したことのないプレーヤーであり、一度チームに馴染むと離れ難くなる魅力を持っているかのように感じられるチームである。ポポビッチ、ダンカンの人柄によるところも大きいが、チーム運営方針にもフランチャイズを大切に扱う姿勢が感じられる。スパーズといえば、ジャージの色だけでなくプレーも兎に角、堅実地味でプロスポーツらしからぬとの声もあるが、安定度は群を抜いており、2014年現在、シーズン50勝以上の記録が15年続いている。ロックアウトのあった1998年も勝率では60勝以上に相当し、これを含めた場合17年連続となる。10年以上継続したチームは他にレイカースの12年、マーベリックスの11年のみである。[17]。堅実な努力の重要性をメンバーに浸透させるためにポポビッチはジェイコブ・リースの以下の名言を引用している[18]。ハンマーで岩を叩き割った図柄が優勝を勝ち取った証として、チャンピオンリングにレイアウトされている[19]。
- パウンディング・ザ・ロック(Pounding the Rock):「救いがないと感じたときには、私は石切工が岩石を叩くのを見に行く。おそらく100回叩いても亀裂さえできないだろう。しかしそれでも100と1回目で真っ二つに割れることもある。私は知っている。その最後の一打により岩石は割れたのではなく、それ以前に叩いたすべてによることを。」(“When nothing seems to help, I go look at a stonecutter hammering away at his rock, perhaps a hundred times without as much as a crack showing in it. Yet at the hundred and first blow it will split in two, and I know it was not that blow that did it, but all that had gone before.”)
プレースタイル
- 執拗で強固なディフェンスを基盤に、ダンカンを中心にしたハーフコートオフェンスを主体とした緻密なオフェンスを組み立て、その中へジノビリの予測できないプレー、パーカーのペネトレート、トランジションオフェンス、ボナーなど長距離シューターのスリーポイントを織り交ぜ、相手チームを翻弄するゲームメークが特徴である。
- 最近では、ラン&ガン・オフェンスに近い形のトランジションオフェンスも取り入れられて来ており、チームの平均総得点が高い傾向にあるが、逆にトランジションディフェンスに綻びが出る場合もあり、苦戦することがある。
- 3ポイントシューター、スクリーンプレーヤー、などロールプレーヤーを使い分けすることも特徴である。
- ポポビッチが無用なダンクシュートを嫌うことから必要なとき以外にダンクをする選手が少なく、地味過ぎると言われる所以となっている。従ってアリウープダンクなどは滅多に見ることが出来ない。
- チームプレーやディフェンスの出来ない選手は、たとえスタープレーヤーでも許さない体質があり、スパーズに馴染むには年単位で、時間がかかると、在籍したリチャード・ジェファーソンも語っている。
主なディフェンスプレー
- かつてのブルース・ボーエンに代表されるような優秀なペリメーター・ディフェンダーを相手の得点源に張り付け、ディナイ・ディフェンスでボール保持を困難にする。
- ボールを保持したオフェンスをディフェンスに有利なサイドを開けて追い込み、ダブルチームあるいはダンカンに代表される長身ディフェンダーがカバーディフェンスし、ショットを難しいもの(タフショット)にする。
- 近年、3ポイントでの得点が重要度を増しているが、スパーズディフェンスでは、比較的確率の高くなる両コーナーからのアテンプトを出来るだけ少なくするよう対応している[20]。従って、相手チームの3ポイントはアーチ側で放たれる場合が多くなる。
- ファウルを極力しない形でのディフェンスを行う[21]が、時としてドワイト・ハワードやブレンダン・ヘイウッドなどフリースローを不得意としている選手にはハックをかけることがある。
- 相手によって、マンツーマン(ガード、フォアード)とゾーン(センター)を併用したディフェンス体系を用いることも多い。
主なオフェンスプレー
- ダンカンのアイソレーションからのバンクショットはあまりにも有名である。また、バスケットを背にし、ディフェンダーをペイントエリアへ押し込みながらターンしてのショットを放つ事も多い。
- アイソレーションしてボールを保持した選手の脇をすり抜けボールを受取り、エンドライン側からペイントエリアへペネトレイトしシュートへ持ち込むか、カバーが集まった場合は、3ポイントシューターへキックアウトする。
- ペリメーター近辺でピックアンドロールし、ロールしたプレーヤーがフリースローサークル近辺でパスを受けワイドオープンの場合ミドルショットを放つ。カバーが来た場合は、コーナーで待つ選手へパスを送るか、その選手がペイントエリアへカットインしそこへパスを送る。更にそこからワイドオープンの3本とシューターへパスが送られる場合もある。
- パーカーが得意としているのは、ペリメーター近辺でピックアンドロールし、カバーディフェンスが遅れた場合には、ドリブルペネトレイトからループ(ティアードロップ)ショットを放つプレー。ペイントエリア外で急にストップしミドルショットを放つことも多い。
- ジノビリの得意としているのは、3ポイントライン直ぐ後ろでパスを受け、ポンプフェイク、クロスオーバーフェイクを織り交ぜ、ディフェンダーの反応を見て、3ポイントショットを放つ、クロスオーバーで抜き去る、を自在にし分けるプレーである。必要に応じてダンクに持ち込むこともあれば、ユーロステップでディフェンダーを翻弄しサーカスショットを決める場合もある。
- 3ポイントラインから離れた位置でスクリーナーが来るのを待ち、ピックした瞬間に、バスケットに向かってペネトレイトし、カバーディフェンスをペイントエリアへ集め、ボールを3ポイントライン近辺にいるシューターにキックアウトし、3ポイントショットを放つ。または、そこを基点に、サイドコーナーで待つ3ポイントシューターにパスを出す。
- 自チームのハードなディフェンダーは、オフェンスでの消耗を避けるため、上記のシューターとなる場合が多く、3ポイントライン近辺でパスを待つ場合が多い。
主な選手
現役選手
テンプレート:サンアントニオ・スパーズのロースター テンプレート:サンアントニオ・スパーズのデプス
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手[22] (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-2 1960年代 (プレイオフ進出:2回)
- ジョン・ビーズレイ (John Beasley) :1967-1971
- キンキナトゥス・パウエル (Cincinnatus Powell) :1967-1970
- ボブ・ヴェルガ (Bob Verga) :1967-1968
- グレン・コムズ (Glen Combs) :1968-1971
- リッチ・ジョーンズ (Rich Jones) :1969-1975)
1970年代 (プレイオフ進出:9回)
- ドニー・フリーマン (Donnie Freeman) :1971-1972、1974-1975
- ジェームズ・サイラス (James Silas) :1972-1981
- ジョージ・カール (George Karl) : 1973-1978
- ジョージ・ガービン (George Gervin) :1974-1985 (50)
- ラリー・ケノン (Larry Kenon) :1975-1980
1980年代 (プレイオフ進出:7回)
- ジョニー・ムーア (Johnny Moore) :1980-1987
- マイク・ミッチェル (Mike Mitchell) :1981-1988
- アーティス・ギルモア (Artis Gilmore) :1982-1987
- アルヴィン・ロバートソン (Alvin Robertson) :1984-1989
- ウィリー・アンダーソン (Willie Anderson) :1988-1995
- テリー・カミングス (Terry Cummings) :1989-1995
- ショーン・エリオット (Sean Elliott) :1989-1993、1994-2001 (C99)
- デビッド・ロビンソン (David Robinson) :1989-2003 (M95)(C99)(50)
1990年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)
- エイブリー・ジョンソン (Avery Johnson) :1991-1993、1994-2001 (C99)
- ヴィニー・デル・ネグロ (Vinny Del Negro) :1993-1998
- デニス・ロドマン (Dennis Rodman) :1993-1995
- チャック・パーソン (Chuck Person) :1994-1998
- モーゼス・マローン (Moses Malone) :1994-1995 (50)
- ドミニク・ウィルキンス (Dominique Wilkins) :1996-1997
- モンティ・ウィリアムズ (Monty Williams) :1996-1998
- ティム・ダンカン (Tim Duncan) :1997- (C99)(M99FNL)(M02)(M03)(C03)(M03FNL)(C05)(M05FNL)(C07)(C14)
- ジャレン・ジャクソン (Jaren Jackson) :1997-2001 (C99)
- マリック・ローズ (Malik Rose) :1997-2005 (C99)(C03)
- スティーブ・カー (Steve Kerr) :1998-2001(C99)2002-2003 (C03)
- マリオ・エリー (Mario Elie) :1999-2000 (C99)
テンプレート:Col-2 2000年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:3回 優勝:3回)
- ダニー・フェリー (Danny Ferry) :2000-2003 (C03)
- ブルース・ボウエン (Bruce Bowen) :2001-2009 (C03)(C05)(C07)
- スティーブン・ジャクソン (Stephen Jackson) :2001-2003 (C03) 2012-2013
- トニー・パーカー (Tony Parker) ::2001- (C03)(C05)(C07)(M07FNL)(C14)
- エマニュエル・ジノビリ (Emanuel Ginobili) :2002- (C03)(C05)(C07)(C14)
- ロバート・オーリー (Robert Horry) :2003-2008 (C05)(C07)
- ラーショ・ネステロヴィッチ (Rasho Nesterovic) :2003-2006 (C05)
- ブレント・バリー (Brent Barry) :2004-2008 (C05)(C07)
- ファブリシオ・オベルト (Fabricio Oberto) :2005-2009 (C07)
- マイケル・フィンリー (Michael Finley) :2005-2010 (C07)
- ナジー・モハメド (Nazr Mohammed) :2005-2006 (C05)
- ベイノ・ウードリック (Beno Udorih) :2005-2008 (C05)(C07)
- ジャック・ヴォーン (Jacque Vaughn) :2006-2009 (C07)
- フランシスコ・エルソン (Francisco Elson) :2006-2008 (C07)
- イアン・マヒンミ (Ian Mahinmi) :2007-2010
- アイミ・ウドカ (Ime Udoka) :2007-2009
- マット・ボナー (Matt Bonner) :2006- (C07)(C14)
- カート・トーマス(Kurt Thomas) :2008-2009
- ロジャー・メイソン (Roger Mason, Jr.) :2008-2010
- ジョージ・ヒル (George Hill) :2008-2011
- アントニオ・マクダイス (Antonio McDyece) :2009-2011
- リチャード・ジェファーソン(Richard Jefferson) :2009-2012
- デュワン・ブレア (DeJuan Blair) :2009-2013
2010年代 (プレイオフ進出:4回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)
- ジェームズ・アンダーソン (James Anderson) :2010-2012
- ティアゴ・スプリッター(Tiago Splitter) :2010-(C14)
- ゲイリー・ニール (Gary Neal ) :2010-2013
- ダニー・グリーン(Danny Green) :2010-(C14)
- クワイ・レナード(Kawhi Leonard) :2011-(C14)(M14FNL)
- T.J.フォード(T.J.Ford) :2011-2012
- パトリック・ミルズ (Patrick Mills):2012-(C14)
- ボリス・ディアウ (Boris Diaw) :2012-(C14)
- トレーシー・マグレディ (Tracy McGrady) :2013-2013
- マルコ・ベリネリ (Marco Belineli):2013-(C14)
デプス
栄誉
殿堂入り
- 1996 - ジョージ・ガービン (George Gervin)
- 2001 - モーゼス・マローン (Moses Malone)
- 2006 - ドミニク・ウィルキンス (Dominique Wilkins)
- 2009 - デビッド・ロビンソン (David Robinson)
- 2011 - デニス・ロドマン (Dennis Rodman)
- 2002 - ラリー・ブラウン (Larry Brown) ヘッドコーチ
永久欠番
- 00 - ジョニー・ムーア (Johnny Moore)
- 6 - エイブリー・ジョンソン (Avery Johnson)
- 12 - ブルース・ボウエン (Bruce Bowen)
- 13 - ジェームズ・サイラス (James Silas)
- 32 - ショーン・エリオット (Sean Elliott)
- 44 - ジョージ・ガービン (George Gervin)
- 50 - デビッド・ロビンソン (David Robinson)
スタッツリーダー
太字現役選手 "名前*" ABA時代の記録を含む選手 斜体 現在は他チームで現役選手
得点(レギュラーシーズン) (2013–14 シーズン終了時点)[23]
- 1. ティム・ダンカン (24,904)
- 2. ジョージ・ガービン* (23,602)
- 3. デビッド・ロビンソン (20,790)
- 4. トニー・パーカー (16,051)
- 5. マヌ・ジノビリ (11,657)
- 6. ジェームス・サイラス* (10,290)
- 7. マイク・ミッチェル (9,799)
- 8. ショーン・エリオット (9,659)
- 9. ラリー・ケノン* (8,428)
- 10. エイブリー・ジョンソン (6,486)
- 11. リッチ・ジョーンズ* (6,466)
- 12. アルビン・ロバートソン (6,285)
- 13. アーティス・ギルモア (6,127)
- 14. ジョン・ビーズリー* (5,983)
- 15. ウィリー・アンダーソン (5,946)
- 16. マーク・オルバーディング* (5,626)
- 17. ビリー・ポールツ* (5,297)
- 18. テリー・カミングス (5,181)
- 19. ジョニー・ムーア (4,890)
- 20. ヴィニー・デル・ネグロ (4,844)
- 21. シンシナトス・パウエル* (4,392)
- 22. ブルース・ボウエン (4,061)
- 23. ドニー・フリーマン* (3,920)
- 24. コービー・ディエトリック* (3,857)
- 25. グレン・コームズ* (3,839)
- 26. マリック・ローズ (3,815)
- 27. ジーン・バンクス (3,800)
- 28. ジョー・ハミルトン* (3,781)
- 29. ロン・ボーン* (3,495)
- 30. マイク・ゲイル* (3,299)
その他(レギュラーシーズン) (2013–14 シーズン終了時点)[23]
テンプレート:Columns-start 出場時間(分)
- 1. ティム・ダンカン (43,605)
- 2. デビッド・ロビンソン (34,271)
- 3. ジョージ・ガービン* (31,115)
- 4. トニー・パーカー (30,685)
- 5. ショーン・エリオット (22,093)
テンプレート:Column リバウンド
- 1. ティム・ダンカン (13,940)
- 2. デビッド・ロビンソン (10,497)
- 3. ジョージ・ガービン* (4,841)
- 4. ラリー・ケノン* (4,114)
- 5. ジョン・ビーズリー* (3,673)
テンプレート:Column アシスト
- 1. トニー・パーカー (5,635)
- 2. エイブリー・ジョンソン (4,474)
- 3. ジョニー・ムーア (3,865)
- 4. ティム・ダンカン (3,832)
- 5. マヌ・ジノビリ (3,185)
テンプレート:Column スティール
- 1. デビッド・ロビンソン (1,388)
- 2. ジョージ・ガービン* (1,159)
- 3. マヌ・ジノビリ (1,134)
- 4. アルビン・ロバートソン (1,128)
- 5. ジョニー・ムーア (1,017)
テンプレート:Column ブロック
- 1. デビッド・ロビンソン (2,954)
- 2. ティム・ダンカン (2,791)
- 3. ジョージ・ガービン* (938)
- 4. ビリー・ポールツ* (796)
- 5. アーティス・ギルモア (700)
個人受賞
- デビッド・ロビンソン – 1995
- ティム・ダンカン – 2002, 2003
- NBAファイナルMVP
- デビッド・ロビンソン – 1990
- ティム・ダンカン – 1998
- デビッド・ロビンソン – 1992
- マヌ・ジノビリ – 2003
- アルビン・ロバートソン – 1986
オールNBAチーム
- オールNBAファーストチーム
- ジョージ・ガービン – 1978, 1979, 1980, 1981, 1982
- デビッド・ロビンソン – 1991, 1992, 1995, 1996
- ティム・ダンカン – 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2007,2013
- オールNBAセカンドチーム
- ジョージ・ガービン – 1977, 1983
- アルビン・ロバートソン – 1986
- デビッド・ロビンソン – 1994, 1998
- ティム・ダンカン – 2006, 2008, 2009
- トニー・パーカー - 2012, 2013, 2014
- オールNBAサードチーム
- デビッド・ロビンソン – 1990, 1993, 2000, 2001
- マヌ・ジノビリ – 2008, 2011
- トニー・パーカー - 2009
- ティム・ダンカン – 2010
NBAオールディフェンシブチーム
- NBAオールディフェンスファーストチーム
- アルビン・ロバートソン – 1987
- デビッド・ロビンソン – 1990, 1993, 1994, 1997, 1998
- ティム・ダンカン – 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2005, 2007, 2008
- ブルース・ボーエン – 2004, 2005, 2006, 2007, 2008
- NBAオールディフェンスセカンドチーム
- アルビン・ロバートソン – 1986, 1988, 1989
- デビッド・ロビンソン – 1991, 1992, 1995, 1996
- ティム・ダンカン – 1998, 2004, 2006, 2009, 2010, 2013
- ブルース・ボーエン – 2002, 2003
- クワイ・レナード -2014
NBAオールルーキーチーム
- NBAオールルーキーファーストチーム
- グレッグ・・アンダーソン – 1988
- ウイリー・アンダーソン – 1989
- デビッド・ロビンソン – 1990
- ティム・ダンカン – 1998
- トニー・パーカー - 2002
- ゲイリー・ニール – 2011
- クワイ・レナード – 2012
- NBAオールルーキーセカンドチーム
- ショーン・エリオット - 1990
- マヌ・ジノビリ - 2003
- デュワン・ブレア - 2010
- グレッグ・ポポビッチ – 2003,2012,2014
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
- クリフ・ヘイゲン (Cliff Hagen) (1967-68/1969-70)
- マックス・ウィリアムス (Max Williams) (1969-70/1970-71)
- ビル・ブレイクリー (Bill Blakely) (1970-71)
- トム・ニッソーク (Tom Nissalke) (1971-72)
- ベイブ・マッカーシー (Babe McCarthy) (1972-73)
- デイブ・ブラウン (Dave Brown) (1972-73)
- トム・ニッソーク (Tom Nissalke) (1973-74/1974-75)
- ボブ・バス (Bob Bass) (1974-75/1975-76)
- ダグ・モー (Doug Moe) (1976-77/1979-80)
- ボブ・バス (Bob Bass) (1979-80)
- スタン・アルベック (Stan Albeck) (1980-81/1982-83)
- モリス・マクホーン (Morris McHone) (1983-84)
- ボブ・バス (Bob Bass) (1983-84)
- コットン・フィッツシモンズ (Cotton Fitzsimmons) (1984-85/1985-86)
- ボブ・ワイス (Bob Weiss) (1986-87/1987-88)
- ラリー・ブラウン (Larry Brown) (1988-89/1991-92)
- ボブ・バス (Bob Bass) (1991-92)
- ジェリー・ターカニアン (Jerry Tarkanian) (1992-93)
- ジョン・ルーカス (John Lucas) (1992-93/1993-94)
- ボブ・ヒル (Bob Hill) (1994-95/1996-97)
- グレッグ・ポポヴィッチ (Gregg Popovich) (1996-97/現在)
現在のチーム・スタッフ
- ゼネラルマネージャー(GENERAL MANAGER)
- ヘッドコーチ(HEAD COACH)
- アシスタントコーチ(ASSISTANT COACH(ES))
- ジム・ボイレン(w:Jim Boylen)()
- チップ・イングランド(Chip Engelland) (College - Duke)
- ショーン・マークス(Sean Marks) (College - California)
- チャド・フォーシァー(Chad Forcier) (College - Seattle Pacific)
- アイミ・ウドカ (w:Ime Udoka) ()
- 強化調整コーチ(STRENGTH-AND-CONDITIONING COACH)
- アスレチックトレーナー(ATHLETIC TRAINER)
- ウィル・セヴェニング(Will Sevening|) (College - Wisconsin-LaCrosse)
他チームの現在のスタッフ
- ジャック・ヴォーン(Jacque Vaughn)/オーランド・マジックヘッドコーチ
- マイク・バデンホルツァー(Mike Budenholzer)/アトランタ・ホークスヘッドコーチ
- ブレット・ブラウン(Brett Brown)/76サーズヘッドコーチ
テンプレート:Col-end テンプレート:サンアントニオ・スパーズの歴代ヘッドコーチ テンプレート:NBAヘッドコーチ テンプレート:NBAゼネラルマネージャー
チーム記録
マスコット
脚註
外部リンク
- Supurs.com San Antonio Spurs official site(英語版)
- San Antonio Spurs official Facebook
- Basketball Reference.com San Antonio Spurs Franchise Index(英語版)
- Spurs Nation -San Antonio Spurs news and features(英語版)
- Pounding the Rock -For all your Manu Ginobili loving San Antonio Spurs news(英語版)
- 48 minutes of Hell San Antonio Spurs(英語版)
- SpursReport.com(英語版)
- Yahoo sports San Antonio Spurs(英語版)
- Sports illustrated San Antonio Spurs(英語版)
テンプレート:サンアントニオ・スパーズ 1998-99NBA優勝 テンプレート:サンアントニオ・スパーズ 2002-03NBA優勝 テンプレート:サンアントニオ・スパーズ 2004-05NBA優勝 テンプレート:サンアントニオ・スパーズ 2006-07NBA優勝 テンプレート:サンアントニオ・スパーズ 2013-14NBA優勝 テンプレート:サウスウェスト・ディビジョン (NBA)
テンプレート:Link GA
- ↑ Team Up Challenge -Spurs.com
- ↑ 8900miles by Bill Schoening
- ↑ Rookie of the Year NBA.com
- ↑ Rookie of the Year NBA.com
- ↑ Most Valuable Player NBA.com
- ↑ Six Man Award-NBA.com
- ↑ dallas-mavericks-vs-san-antonio-spurs -ESPN.com
- ↑ もう退屈だとは言わせない、絶好調スパーズの七変化-Number.bubsyun.jp
- ↑ Pacers trade for G George Hill - The Washington Times
- ↑ N.B.A. Reaches a Tentative Deal to Save the Season - The New York Times
- ↑ Warriors send Jackson to Spurs for small forward Jefferson - Sports illstrated
- ↑ NBA's T.J. Ford retires as medical precaution - USA Today
- ↑ Spurs Sign Patrick Mills - Spurs.con
- ↑ Spurs' Big 3 ties Showtime Lakers greats for most playoff wins by a trio --Yahoo.sports
- ↑ 2014NBAファイナル第5戦スタッツ分析:スパーズが史上最多得点差をつけて優勝
- ↑ Nine amazing stats about San Antonio's dominant 2014 NBA championship--USA TODAY SPORTS
- ↑ San Antonio Spurs Win 50 Games For NBA-Record 15th Straight Season
- ↑ Coach Pop on pounding the rock
- ↑ Google画像検索
- ↑ Why corner threes matter for defenses-Si.com
- ↑ Spurs lead league with few fouls -spurs,nation
- ↑ Most Valuable Player NBA.com
- ↑ 23.0 23.1 テンプレート:Cite web
- ↑ The Coyote's Den
- ↑ Silver Dancers - spurs.com