トルン
トルン ( Toruń ) | |||
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位置 | |||
250px | |||
情報 | |||
県: | クヤヴィ=ポモージェ県 | ||
緯度: | 北緯 53°02' | ||
経度: | 東経 18°37' | ||
標高: | |||
面積: | 115.75 km² | ||
人口 - 合計 - 人口密度 |
205,397 人 1774 人/km² | ||
郵便番号: | 87-100 ~ 87-120 | ||
市外局番: | 056 | ||
市長: | ミハウ・ザレスキ (Michał Zaleski) | ||
公式サイト: | 市公式ウェブサイト |
トルン(Toruń テンプレート:Audio-IPA、ドイツ語:Thorn)は、ポーランド中北部ヴィスワ川のほとりに位置する工業都市で、クヤヴィ=ポモージェ県の県議会所在地。1998年までは旧トルン県の県都であった。1997年に旧市街が世界遺産に登録された。
トルンはブィドゴシュチュからヴィスワ川を遡り東南東に40kmほどのところにある。2003年にはブィドゴシュチュ医科大学がトルン大学に統合された。
また、近郊には大手エレクトロニクスメーカーのシャープの工場があり、日本人の駐在者を数多く見ることが出来る。
日本語ではトルンの表記の他、トルニと表記されることも多い。
名前の由来
1226年の記録には「Thorn」として登場し、1466年ごろの文書には「Thorun」、「Turon」、「Toron」、「Turun」、「Thoron」などという名で記述されていて、15世紀以降は現在のポーランド語名称「Toruń」となっている。 トルンの名称の起源についてはいくつかの説がある。
- 十字軍によって樹立されたエルサレム王国に「Toron」という町があり、この名に由来した「Thorn」という町をドイツ騎士団がかつてトルンがあった場所(古トルン)の近くに建設した。
- ポーランド語で「道」、「軌道」あるいは「(水の)流れ」を意味する「tor」に由来する。つまり「流れ(沿い)の町」、「ヴィスワのほとりの町」を意味する。
- 「Toron」という人物の名前に由来している。つまり、「Toronの町」を意味する。
- 「tarnina(りんぼく)の町」を意味する「Tarnów」に由来する。Tarnów という名の町はポーランド各地にある。これがのちにドイツ語化して「Thorn」となり、ふたたびポーランド語化されて「Toruń」となった。
- 北欧神話の神、トールに由来する。
しかし、「Toruń」にも「Thorn」にも語源的意味はないとする主張もある。
ドイツ騎士団はトルンの名をたいてい「Thorun」と綴り、のちにトルンがポーランド王国領に入るとラテン語での文書には「Thorun」、「Thorunium」、「civitas Thorunensis」、「civitas Torunensis」と記述されるようになった。その後「Thorn」となり、第二次世界大戦後にポーランド領に復帰すると、公式な名称は「Toruń」になった。
歴史
- 紀元前12~11世紀 - ラウジッツ文化時代に要塞として建設
- 8世紀~12世紀 - ヴィスワ川の渡し場の近くに存在
- 1230年 - 古トルンに要塞が建てられる
- 1233年12月22日 - 都市としての権利を獲得
- 1236年 - 現在トルンがある場所へ移動
- 1264年 - 新市街の建設
- 14世紀~15世紀 - この時期トルンは大いに発展して重要な商業中心地となり、ポーランドで最大規模の都市のひとつとなる。
- 1410年 - タンネンベルクの戦い。ドイツ騎士団、ポーランド・リトアニア連合軍に対し大敗を喫する。
- 1411年 - 第一次トルンの和約。ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合が和約。
- 1440年 - プロイセン連合に加盟。
- 1454年 - ドイツ騎士団に対する新教徒の反乱をきっかけに、三十年戦争が始まる。 騎士団の城を破壊し、新市街と旧市街を連結する
- 1466年 - 第二次トルンの和約 。ドイツ騎士団を含むプロイセンが事実上ポーランド王国支配下に入る。
- 1473年 - ミコワイ・コペルニク(コペルニクス)がトルンで生まれる
- 1500年 - 聖ヨハネ大聖堂に「Tuba Dei」の鐘が吊るされる。
- 16世紀 - 住民の大半がプロテスタントに改宗
- 17世紀 - スウェーデンとの大北方戦争で街が荒廃する
- 1724年 - 「トルン騒動」が起きる
- 1793年 - プロイセンに併合される
- 1807年 - ティルジット条約によりワルシャワ公国に編入
- 1815年 - ウィーン会議の決定によりふたたびプロイセン領になる
- 1919年 - ポーランド領に復帰
- 1939年 - ナチス・ドイツの占領を受ける。第二次世界大戦で旧市街は捕虜収容所として使用されたが、戦闘地から離れていたため中世の街並みはほぼ戦災被害に遭わずに済む
- 1945年 - ポーランドの独立回復。大学を誘致
地理
ワルシャワからの距離はおよそ180kmで、ヴィスワ川の中流に位置する。
世界遺産
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core
経済
トルン出身の人物
- ニコラウス・コペルニクス:天文学者
- カジミェシュ・セロツキ:作曲家
- アレクサンデル・ヴォルシュチャン:太陽系外惑星を初めて発見した天文学者
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon フィラデルフィア(アメリカ合衆国)1976年
- テンプレート:Flagicon ゲッティンゲン(ドイツ連邦共和国)1978年
- テンプレート:Flagicon ライデン(オランダ王国)1988年
- テンプレート:Flagicon ハメーンリンナ(フィンランド共和国)1989年
- テンプレート:Flagicon カリーニングラード(ロシア連邦)1995年
- テンプレート:Flagicon チャドツァ(スロバキア共和国)1996年
- テンプレート:Flagicon スウィンドン(イギリス連邦)2003年
- テンプレート:Flagicon ノヴォ・メスト(スロベニア共和国)2005年
- テンプレート:Flagicon ルーツィク(ウクライナ)
- テンプレート:Flagicon 桂林市(中国)