トーマス・ウォートルス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トーマス・ジェームズ・ウォートルス(Thomas James Waters, 1842年7月17日 - 1892年)は明治初期に活躍したお雇い外国人で、建築技術者である。泉布観や銀座煉瓦街の建設で知られる。
略歴
アイルランド生まれ。1864年頃、香港から鹿児島に渡り、薩摩国の紡績所などの工事に携わる。長崎に行き、グラバーのもとで働く。
1868年貨幣司に雇用され、大阪の造幣寮(現泉布観)を建設する。大隈重信らの信任を得て上京し、1870年(明治3年)から大蔵省に雇用される。竹橋陣営や、銀座大火後の銀座煉瓦街の建設が有名。煉瓦工場(ホフマン窯)も自ら築き、日本人を指導した。
工部省に移るが明治8年に解雇され、上海に赴く。鉱山技術者の弟とともにアメリカ合衆国・コロラドに渡る。そこでコロラド銀山を発見して成功を収める[1]。
評価
本質は何でもこなす技術者で、正規の建築教育を受けたわけではない。サインをする際の肩書きは "Architect" ではなく、"Surveyor General" を使用していた。
デザインは古典主義建築(ジョージアン様式)をベースにするが、流行遅れなうえ、正統な様式から見ると、実は相当あやしげなものだという。いかにも明治維新の変動期にふさわしい人物であった。
文献
- 三枝進「ウォートルスの経歴に関する英国側資料について」『銀座文化研究』6号-8号(1991-1994年)