磯分内駅

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ファイル:Isobunnai eki2.jpg
1977年の磯分内駅と周囲約1km範囲。上が網走方面。左へ大きくカーブを描いている軌道跡は、左端に見える1969年まで操業していた日本甜菜製糖磯分内工場へ向かっていた専用線の軌道跡。右下に雪印乳業磯分内工場がある。相対式ホーム2面2線と駅裏に副本線や側線が3本、駅舎横網走側の貨物ホームへ引込み線が2本あり、雪印向けと思われる白い冷蔵車が沢山見える。
この後、貨物荷物扱い廃止と伴に貨物線は全て撤去され、本線も駅舎ホーム側へ棒線化されたが、かつての貨物ホームへの引込み線の内1本は、保線車両用に残されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

磯分内駅(いそぶんないえき)は、北海道川上郡標茶町熊牛原野にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線駅番号B62電報略号イフ

駅構造

単式ホーム1面1線の地上駅。旧上り本線が使われており、かつては下り本線(相対式ホーム)、副本線および貨物ホームを有していた[1]摩周駅管理の無人駅である。

駅名の由来

アイヌ語の「イソポ・ウン・ナイ(うさぎのいる川)」に由来する。「うさぎのいる川」というのは、標茶町と弟子屈町の町境にある小川の沢にが多く住んでいたことから[2][1]

駅周辺

小さな集落がある

歴史

隣の駅

北海道旅客鉄道
釧網本線
南弟子屈駅 (B63) - 磯分内駅 (B62) - 標茶駅 (B61)

日本甜菜製糖磯分内工場専用線

この専用線にいた1号B型タンク機関車は出自不明の謎の機関車として知られている。1920年(大正9年)に北海道製糖帯広工場が完成した時に日本車輌製造の工場で使用していた機関車を譲り受け、その後十勝鉄道、1941年(昭和16年)に小清水製糖所に、1952年(昭和27年)に磯分内製糖所にという遍歴をたどっている。「ランケンハイマー製 米国」という製造銘板がついているが、該当する製造会社がみあたらない。サイズも軽便なみで低くすぎる台枠のため連結器を取付ける端梁を嵩上げし、また大きなキャブに変えられている。外観の特徴からポーター社製とみられスクラップから再生したのではないかと推測されている。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • グループ169.1『北海道 釧網本線』(1999年
  • 北海道旅客鉄道釧路支社『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』(2001年
  • 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』 北海道新聞社2008年) ISBN 978-4-89453-464-3
  • 高井薫平『小型蒸気機関車全記録 東日本編』講談社、2012年、43-44頁
  • 小熊米雄「ナゾの機関車を推理する」『科学朝日』1962年10月号
  • 臼井茂信「機関車の系譜図 2」交友社、1973年、197頁
  • 金田茂裕「H.K.ポーターの機関車」1987年、機関車史研究会、14 -16頁
  • 『編集長敬白』 2005年12月14日
  • 『鉄道省文書・北海道興農工業(元北海道製糖)・昭和十四年~昭和十九年』昭和14年8月7日「北海道製糖製糖専用鉄道敷設免許ノ件」

関連項目

外部リンク

テンプレート:釧網本線

  1. 1.0 1.1 『北海道 釧網本線』 p. 85
  2. 『北海道鉄道駅大図鑑』 p. 300
  3. 『鉄道百年の歩み』 p. 85
  4. 4.0 4.1 昭和14年8月7日「北海道製糖製糖専用鉄道敷設免許ノ件」
  5. 日本甜菜製糖40年史 昭和36年7月発行 P102。
  6. 全国専用線一覧 昭和26年版-昭和45年版にて 作業距離1.9km。また昭和45年版で総延長4.0km。
  7. 『地方鉄道及軌道一覧 : 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  8. 『小型蒸気機関車全記録 東日本編』43頁
  9. 日本甜菜製糖60年史 年表。
  10. 『鉄道百年の歩み』 pp. 111 - 112
  11. 『鉄道百年の歩み』 p. 113
  12. 『鉄道百年の歩み』 p. 117