全音音階
テンプレート:混同 テンプレート:出典の明記 全音音階(ぜんおんおんかい、英語:whole tone scale)は、全音のみで1オクターブを6等分した音階。ポピュラー音楽ではホールトーン・スケールと呼ばれる。
- C, D, E, F#, G#, A#, C
概要
ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会でインドネシア・ジャワ島の音楽(ララス・スレンドロ)を聞いて思いついた、と言われる。本格的に全音音階の使用を開始したのはドビュッシーからである(部分的な先例としてはグリンカなどにも見られる)。
一般に馴染まれているドレミファソラシドといった音階では、全音と半音の両方が使われているが、全音音階では、全音(長2度)しか使われない。そのため、ドレミの次はファではなく、ファ#、ソ#、ラ#、となる。ラ#の次はドになってしまう。音階を構成する音の数は6個である。同様に半音ずらすとド#、レ#、ファ、ソ、ラ、シとなる。主音をどれに持ってきてもこの2種類しか存在しない。古典的な意味での和声の調和を、全く目標としていない音階である。また、全音と半音の配置から決定される全音階における主音のような音階の中心音を認識することが不可能となり、古典派やロマン派の音楽の大前提であった調性を崩壊させることにもつながった。
独特の印象のある音階である。勿論どんな音階もそれぞれ独特の印象を持っているのだが、全音音階は(普通のピアノで表現可能な範囲での)他のどの音階とも似ていない。
オクターブを単純に等分することによる平坦さは、平均律と相性が良い。また調性感覚をぼかすのにも都合が良く、ドビュッシーはそれを目的に多用した。オクターブの単純分割と言う意味では、減七和音(ディミニッシュ・コード)も同様である。こちらは短3度によって4分割され、転回を除けば3種の移調のみが存在する。ベートーヴェンが好んで多用したが、西洋音楽の理念では基本的には3度の積み重ねは和音として認識されるため、これは音階とはみなされない。
メシアンが初期に執筆した理論書「わが音楽語法」の中で、「移調の限られた旋法(MTL)」の第1番として定義した。前述の通り、この音階には2種類の移調以外ありえないからである。
同じくメシアンが第2番として指定した、減七和音3種のうち2種を重ねて得られる旋法(ディミニッシュ・スケール)も、ドビュッシーやラヴェル、バルトーク、あるいはそれ以前にリスト、フランクなどにも使用例があり、特にラヴェルは多用しているが、彼らはこのディミニッシュ・スケール(MTL第2番)については理論としてまとめていない。これについては移調の限られた旋法の項に説明を譲る。
顕著な使用例
- フランツ・リスト
- ピアノ曲
- 「悲しみのゴンドラ」第1番(S200/1)1882年頃
- 演奏会用練習曲「ため息」(S144)1948年頃(コーダにおいて全音音階がむき出しに登場する)
- ピアノ曲
- クロード・ドビュッシー
- 歌劇「ペレアスとメリザンド」
- 全曲の冒頭第5小節目(ドビュッシーが大掛かりな作品において初めて全音音階を使用した瞬間。)
- 第3幕第3場(不気味な洞窟の中を覗く場面。不安な印象を与える効果としての最初期の使用例。)
- ピアノ曲
- 舞台音楽劇「聖セバスティアンの殉教」で、セバスティアン殉教間際の瀕死の場面(縦に多く重なる分厚い響きであり、後年のグレツキの全音音階クラスターを予感させる)
- 歌劇「ペレアスとメリザンド」
- マヌエル・デ・ファリャ
- ピアノと管弦楽のための「スペインの庭の夜」第2楽章の一部(同時代の作曲家がドビュッシーに追随した例の一つ)
- ジャン・シベリウス
- 交響詩「タピオラ」(シベリウス後期の作品)
- ジャコモ・プッチーニ
- 歌劇「西部の娘」冒頭部分など (プッチーニは後期ロマン派オペラの様式を保持しながらも、後年この全音音階など新しい語法を部分的に取り入れた)
- ヘンリク・グレツキ
- 商業音楽のシーン
- シャルル・トレネの一部のシャンソン。1920年代になると流行歌の世界でも違和感なく全音音階を取り入れるようになった。まずお膝元フランスでの使用例として挙げる。
- 「鉄腕アトム」のオープニング曲(高井達雄作曲の第1作)のイントロ。日本での使用例ではもっとも有名なものの一つ。
- 「美少女戦士セーラームーン」の必殺技「ムーン・ヒーリング・エスカレーション」。ただし同じ必殺技でも「幻の銀水晶」を手に入れてからは違う音楽になった。
- スティーヴィー・ワンダー「You Are The Sunshine of My Life」のイントロ。スケールの順進行。