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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:基礎情報 武士 堀 親寚(ほり ちかしげ)は、江戸時代後期の大名、老中格、信濃飯田藩第10代藩主。信濃飯田藩堀家11代。目から鼻に抜けるような人物で「堀の八方睨み」と称された。
生涯
第7代藩主堀親長の五男として生まれる。寛政8年(1796年)、第9代藩主の兄親民が死去し、その養子となって家督を相続した。文化6年(1809年)に藩政改革反対一揆が起きるなど藩政は安定しなかったが、奏者番、寺社奉行、若年寄、老中などを歴任し、天保14年(1843年)には7000石を加増された。しかし、弘化2年(1845年)の水野忠邦失脚に連座して老中職を御役御免となり、同時に1万石を減封されている。弘化3年(1846年)に長男の親義に家督を譲って隠居し、嘉永元年(1848年)に63歳で没した。
経歴
- 1786年(天明6年)生まれる
- 1796年(寛政8年)藩家督相続
- 1814年(文化11年)奏者番
- 1826年(文政9年)寺社奉行(12月1日)
- 1828年(文政11年)若年寄(11月25日)
- 1841年(天保12年)側用人(7月1日)
- 1843年(天保14年)老中(12月26日)、7000石加増
- 1845年(弘化2年)老中免(4月29日)、1万石減封(9月2日)
- 1846年(弘化3年)隠居致仕
- 1848年(嘉永元年)死去、享年63